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快速四号  作者: ヤーツツ・トモミ
発車前
19/45

第5話ー④ 昼食と沈黙

時計の針は、もうすぐ十二時を指そうとしていた。

 考えすぎて体力を使ったのか、市川はひどい空腹を感じた。近くのコンビニで何か買ってこようと立ち上がった、その時だった。


 高橋が眠りから覚め、上体を起こした。


「あっ、高橋さん。目が覚めたんですね……」


「ええ……いつ眠ってしまったのかも、覚えていないんですけどね……」


 目の前には市川ひとりだけだった。

 いつもいるはずの堀越の姿がない。


「あれ、堀越さんは……?」


「堀越さんは……ええと……他に用事があって、出て行かれました」


「今日は治験、行わないんですかね? いつもこの時間くらいになると、その日の治験が始まるんですが……」


 そう言って、高橋は壁の時計を指さした。


「さあ……今日は……ないんじゃないですかね。治験最終日でもありますし、最後は休養日、ってことじゃ……」


 市川は、この治験についてあまり詳しい内容を知らされていないらしい。

 まあ、あの注射の腕前からしても、重要視されていないのは分かるが……。


「私、これから昼食を買いに行こうと思ってたんですが……高橋さん、お腹すいてます?」


「ええ……少し……」


「確か……治験用の食事が、今日の分まであったはず……ええと、堀越さん、鍵をどこに……」


 市川は診察室の棚の引き出しを開け、鍵束を取り出すと、トイレ横の扉をガチャリと開けて中へ入っていった。

 高橋は、その様子をぼんやりと眺めていた。


 治験用のパックに入った弁当は、とても「おいしい」と呼べるものではなかった。

 正常な状態で治験を行うため、栄養バランスはきっちり考えられているのだろうが、どれも味付けが薄く、ひどく味気ない。


 市川は隣で、どこかで買ってきた弁当を食べている。


 堀越といる時とは違い、市川との二人きりの沈黙は、どこか息苦しい。

 勝手にこちらが意識しているだけだろうか。


 市川の方も、特に何をするでもなく、窓の外を見たり、時計を見たりと、落ち着かない様子だ。

 高橋は、たまらず声をかけた。


「市川さん、俺のことなら気にしないで、何か他の仕事でもしててくださいよ……」


「……大丈夫ですよ。高橋さんの容体をチェックするのが、私の仕事ですから……」


「俺の容体、どこか悪いんですか?」


 何気なく聞いたつもりだった。

 しかし市川は、少しばつの悪そうな顔をし、沈黙が流れた。


(この人、顔に出やすいな……)


「い、いえ……そういうわけじゃなくて……。ほら、治験では最終日に必ず体調チェックをしますし……だから、何も……」


 高橋は、大学病院に移されたことに、ずっと違和感を覚えていた。

 そうだ。昨晩、病室で聞いた頭上の会話。


 思い出す。


 市川は、この二、三日、治験事務所に姿を見せていなかった。

 そして大学病院に現れた時の、あの青ざめた顔。


 高橋は、ある仮説を立て、市川に尋ねた。


「市川さん……俺、聞いちゃったんですよ。

 大学病院の、俺の病室で……。治験中に何かトラブルがあった、って話……。

 あれ、俺のことですよね……?」


 市川の顔色が、みるみる青くなっていく。


「話してたのは……一人は聞いたことのない声で……もう一人は、多分、大森医師……。

 で、原因は……あなたが、何かミスを……」


「違います……!」


 市川は思わず声を荒げた。


「ミスをしたのは、私なんかじゃ……」


 言った瞬間、その言葉が、逆にすべてを肯定してしまったことに気づき、市川はひどくうろたえた。


「少し……そのことについて聞きたいんですが……」


 高橋は、動揺する市川をまっすぐ見つめ、静かにそう言った。



 日が落ちかけた十九時過ぎ、堀越が治験事務所に戻ってきた。


「いや、高橋さん……最終日だというのに、遅くなってしまってすみません」


 堀越は市川の側に寄り、何か小声で話していた。

 ——多分、俺の容体について聞いているんだろう。


 堀越は市川の言葉に何度か頷くと、こちらを向いた。


「高橋さん、念のため最後に身体チェックを行います。

 まあ、すぐ終わりますので」


 最初の面接の時と同じように、尿検査、血液検査、脈拍のチェック。

 一通り終え、ようやく解放された。


「何か体調が優れない場合は、またこちらに来て頂くか、連絡を下さい。

 治験協力費は、後日、口座に振り込ませて頂きますので……」


 堀越は最後まで営業スマイルを崩さなかった。

 横の市川を見ると、相変わらず沈んだ表情をしている。


 ——もっとも……これからやることを考えれば、俺はもう、ここに来ることはないだろう。

 ……いや、もう一度だけ必要か。


 二階から一階へ、錆びた外階段をキイキイと鳴らしながら下りると、高橋は久しぶりに自由の身になった実感を覚えた。


 自転車をどこに停めたか、しばらく探すことになったが、辺りはすでに、闇の世界が急速に広がりつつあった。


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