第5話ー② 移送
自分がどこか別の場所に移されていると気づくまで、少し時間がかかった。
窓のブラインドの隙間から、朝日が細く差し込んでくる。ここ数日、ほとんどの時間を眠らされていた脳が、ゆっくりとリセットされていく感覚があった。
昨日聞こえた会話は、何だったのだろう……。
あれも夢の中の出来事だったのだろうか。
考えてみれば、この数日、ほとんど一日中眠らされていた。治験薬の種類にもよるのだろうが、木倉の話とはだいぶ違う。マンガを読んだり、テレビを見たりする時間があると聞いていたのだが……。
まあ、寝ているだけで二十万円もらえるのなら、ありがたいバイトには違いない。
扉をノックする音がして、堀越と市川が入ってきた。
ずいぶん長く眠っていたせいか、二人の顔にどこか懐かしさすら覚える。市川の顔色が、いくぶん悪いのが気になった。
「高橋さん……もうお目覚めでしたか?」
堀越が、やけに明るい口調で言った。
「いや……いきなり病室が変わってたんで、びっくりしましたよ。前の治験事務所じゃないみたいですが……」
「すみません。実は、治験事務所だけではできない試験がありまして、昨日の晩に大学病院へ移させてもらったんです。本当は高橋さんにお伝えしようと思ったんですが……薬の効き目もあってか、あまりにもぐっすり眠っていらっしゃったので……」
堀越のいつもの営業スマイルは見慣れていたが、事情を聞いて少し安心した。
「それで、また急で申し訳ないのですが……治験事務所へ戻って頂きたいんです。体調はいかがですか?」
これまで散々、横で薬を投与してきた堀越が、心配そうに尋ねる。
今さらそんなことを言い出すということは、最後に何か危ない薬でも試したのだろうか。
高橋はベッドから足を投げ出し、体重をかけてみた。だが、思うように腰に力が入らない。
「んー……ずっと寝てたせいか、あんまり力が入りませんけど……まあ、大丈夫そうですよ」
「そうですか……。すみません。今回の治験は、少し試験時間が長かったもので……。歩けそうですか?」
高橋はベッドの下に置かれていたスリッパを履き、立ち上がった。
少しふらついたものの、特に問題はなさそうだった。
堀越は市川の方をちらりと見て、
「市川君、下の駐車場まで高橋さんを支えてあげて」
と言った。
市川は高橋の脇に体を寄せ、ほとんど二人三脚のような形になった。
高橋は、さすがに大げさだろうと断ろうとしたが、白衣越しでもはっきり分かる体の感触にとまどい、結局何も言えなかった。
しかし、間近で見た今日の市川の表情は、いつもの胡散臭い笑顔が影を潜め、今にも泣き出しそうなほど神妙だった。何があったのかは分からないが、その健気な雰囲気が、いつもより可愛く見えた。
——何だか、やけに親切だな。
そんな考えが一瞬よぎったが、歩くたびに伝わってくる感触に、その思考も、そして昨日聞いた頭上の会話のことも、その時はすっかり忘れてしまっていた。




