第4話ー③ ブザー
高橋は治験薬を投与されてからの三日ほど、ほとんどの時間を眠らされていた。
脳波の形状を示す波は、安定した波形を描いている。
「どんな様子だ……」
外から治験事務所に戻ってきた大森が、高橋の傍らでデータを取っている堀越に尋ねた。
「ええ、異常はありません。特に苦しんでいる様子もありません。ただ、試した薬にもよりますが、レム睡眠からノンレム睡眠に切り替わるスピードが少し早いようで、その過程で顔をしかめることがありますね……」
「まあ、個体差もあるからな……。その過程が逆に遅すぎると、次の段階にも影響が出てしまう。調整は難しいんだ。また田所先生に報告だな」
「はい」
「それより、昨日今日と市川君の姿が見えないが……」
「それなら市川から連絡がありまして、体調が優れないので、しばらく休ませてほしいと……」
「気楽なものだな。自分がしている仕事の本当の実態も知らずに……。まあ、彼女にはこちらの言う通り、気楽に看護師の仕事をしてもらえればそれでいいんだが……。
まさか君、この前二人で田所さんに会いに行った時に、市川君に何か言ったんじゃないだろうな……?」
「……いえ、私は何も……」
「それならいいが……。よし、薬別のノンレム睡眠の反応時間を表にまとめておいてくれ」
「……はい、分かりました」
市川はその日から、堀越の緊急の呼び出しがあるまで、治験事務所に姿を見せなかった。
高橋の容体は、治験契約期間の一週間を目前に控えた六日目に、突然急変した。
高橋の状態チェックは、他の病院との兼ね合いで留守にしがちな大森の代わりに、事務員の堀越が泊まり込みで行っていた。薬の特性上、一つの薬の作用を見るのに、最長で十時間ほどかかることもあるためだった。
堀越は長時間勤務の疲れから、高橋の眠るベッドの傍らで、つい眠り込んでしまっていた。
その堀越を叩き起こしたのは、高橋の異常を知らせる緊急ブザーだった。
高橋は、すぐさま田所のいる大学病院へ搬送された。
田所の研究を知る大学上層部の力が働いたのか、高橋は病院最上階の特別個室に、極秘裏に収容された。搬送が真夜中だったこともあり、病院内の人は少なく、比較的スムーズに処置へ入ることができた。
「いったい何が起こったんだ」
田所は、いつもの落ち着き払った様子から一変し、珍しく声を震わせながら堀越に詰め寄った。
「分かりません……。気づいたら緊急ブザーが鳴っていて……脈拍が低下していて……。僕にも、何が何だか……」
「ふぅ……。まあ、君に言っても仕方のないことだな……。大森医師はどうした?」
「大森先生は、今日は別の内科での勤務がありまして……。ですが、この時間帯は、どのみち私ひとりで見ていましたが……」
「そうか……。悪いが、大森医師もすぐに呼び出してくれ……」
「はい。もう呼びました。今、向かっていると思います」
大学病院の薄暗い廊下を、高橋の処置にあたる医師たちが慌ただしく行き交う。その中の一人の医師と、田所が言葉を交わしていた。
「どうやら、命に別状はないようですね……。ただ、意識はまだ戻っていないようですが」
田所は、その言葉を受け、堀越に向かって早口で伝えた。
「やはり、私の責任です……。私がもっと注意して見ていれば……」
「まだ原因は分からんが、何か突発的な反応らしい。薬に対するアレルギー反応が起きた可能性もある……」
「そういえば、被験者は病歴に、小児喘息を患っていたと……」
「小児喘息? 大森医師からは、何も報告を受けていないが……。それなら、なぜ……」
「おそらく、発作がもう十年ほど起きていないと被験者が話したのを聞いて、大森先生が大丈夫だと判断したのだと思います。被験者がなかなか見つからず、大森先生も焦っていましたから……」
「……うーん……」
田所は、自分の大森への圧力が原因の一つになったのではないかと考えたのか、それきり口を閉ざした。
大森医師が病院に駆けつけたのは、それから一時間ほど経ってからだった。
「田所先生……すみません。私がいない時間に、被験者に異常が出たようで……」
近くに来ると、大森からは微かにアルコールの臭いが漂ってきた。病院特有のものではない。直前まで、どこかで飲んでいたのだろう。
田所はその様子を見て、呆れたのか、口を開こうとしなかった。
代わりに堀越が、事の成り行きを大森に伝える。
大森はそれを聞くや否や、堀越を責め立て始めた。酔っているせいか、やたらと声が大きい。通りすがる医師たちが、ちらちらとこちらを振り返る。
見かねた田所が、二人を高橋のいる病室へと連れ込んだ。




