p.1
「あなたを愛しているから。だからあなたから離れるの」
「そんなことはわかっているさ。でも、ぼくは――」
「わたしが憎い?」
「そうじゃないんだ! ただ、もうどうしたらいいのかわからないんだよ!」
ぼくは両手で顔を覆った。涙がぽたぽた落ちた。
「じゃあ、愛してるって言ってくれる? それだけでいいわ」
ぼくは顔を上げた。彼女の澄んだ瞳を真っ直ぐに見て言った。
「きみを……愛しているよ……」
「ありがとう。わたしもよ。愛しているわ」
彼女はにっこり笑ったが、すぐに瞳を揺らし泣き出した。そのまましばらくの間、声を殺して泣いていた。それからやっと顔を上げ、無理をして微笑んでみせた。
「ねえ、キスしてくれる?」
ぼくは彼女の肩に手をかけ、唇を重ねた。
「これで終わりね」
彼女がささやき声で言い、ぼくたちは抱き合ったまま、長いあいだじっとしていた。やがて、どちらからともなく離れると、ぼくたちはお互いの顔を見つめ合った。
「元気でいてちょうだいね。約束よ」
「ああ。きっとだよ」
「さよなら」
「さようなら」
「お幸せに」
「君こそ」
彼女はぼくの首に腕をまわし、もう一度キスした。それから、ぼくの手をとって自分の胸に押し当てた。そこは温かく柔らかくて、かすかに震えていた。その感触を確かめるように、ぼくはそっと指に力を入れた。
しばらくそうしていたが、やがて彼女はぼくの手を離すと、一歩さがった。
「さようなら」
彼女はそう言うと、くるりと向きを変えて走り去った。ぼくはその背中を見送った。いつまでも、いつまでも……。
そのあと、どうやって家に帰ったかよく覚えていない。気がつくと、ベッドの上に倒れ込んで眠っていたのだ。そして目を覚ますと、いつものように朝になっていた。
昨日の出来事は夢だったのではないかと思った。しかし、それは違った。テーブルの上を見ると、小さな指輪が転がっていた。彼女のものだった。ぼくはそれを手に取り、ぼんやりと見つめた。まるで現実味がなかった。何もかもが遠い世界の出来事みたいに思えた。でも、これは紛れもない事実なのだ。
ぼくは指輪を手に取り、左手の中指にはめてみた。サイズが小さかったので第一関節辺りまでしか入らなかった。ぼくは自分の中指を見ながら思った。
(こんなちっぽけなものが愛の証だったのか)
それから何日かたつうちに、少しずつ気持ちが落ちついてきた。悲しみはまだ心の中に残っていたけれど、それを表に出さずに済むようになった。