もう一人の賢者(4)
ミーシュの街からエールベーラまでは徒歩で2日ほどだ。
王都からは離れているものの、街には警備兵が常駐しているため治安も良く、街道から大きく外れなければ危険な魔物に出くわすことも少ない。
ミーシュの街で乗合馬車を降りた僕たちは、小麦畑の真ん中に敷かれた見晴らしの良い街道を進んでいた。
「良い景色ね。気持ちいい。」
「王都ではなかなか見ることのできない風景ですね。」
田舎育ちの僕にとっては当たり前の風景でも、都会育ちのフローにとっては特別なものなのだろう。
「こうも平和だと眠くなっちまうな。」
頭の後ろに手を組んだトゥラデルが大きな欠伸をした。
「姫様の前だぞ。お前にはとデリカシーというものがないのか?!」
「それでメシが食えるんなら考えてやるよ。」
トゥラデルとアクアディールは相変わらず犬猿の仲だが、慣れてしまった今となっては、このやりとりも心地よい。
「おっ、あっちに湖があるってよ。行こうぜ。」
街道には『青の湖』と記載された立て看板が設置され、ご丁寧に側道を指し示していた。
「姫様だって忙しいのだ。お前のわがままに付き合っている暇はない。」
大きなため息とともにアクアディールが眉間にしわを寄せる。
「でもよ、野営はしなくちゃならないんだから、街道沿いでも湖のほとりでも一緒だと思うぜ。」
トゥラデルの言うことも一理ある。どうせなら景色のいい場所で野営を楽しみたい。
「街道から湖はそれほど離れてないから、湖で野営をしてもエールベーラに到着する時間はそれほどからわないと思うよ。」
僕がそう補足すると、フローが「ホント?」と目をキラキラさせながら僕の顔を覗き込んできた。
どうやらフローも湖に寄りたかったが、アクアディールの目があって言い出せずにいたようだ。
街道を外れて1時間ほど森の中を歩いた先に『青の湖』はある。
名前の由来は諸説あるようだが、湖の底には蒼竜石を多く含む地層、いわゆる露頭と言われているものがあり青色く発色して見えるという説が有力だ。
「ロゼライトさん、見えてきましたよ。」
森を抜けた先は丘のようになっていて、少し下った先に『青の湖の』はあった。
「姫様、危ないですから、あまり離れないで下さい。」
抑えきれず走り出してしまったフローをアクアディールが後を追う。
「まったく、騒がしい二人だな。」
トゥラデルが「やれやれ」とつぶやきながら、丘を下っていく。
「あれ?トゥラデルが行きたかったんじゃないの?」
思いの外、冷めた態度を見せるトゥラデルに、僕は意地悪な質問を投げかけた。
「けっ、バカ言うなよ。街道沿いっていうのは魔物の襲撃は少ないけど何かと目立つ。嬢ちゃんもお前も衛兵に見つかったらまずいだろ?」
なるほど。何気ない行動の中にも、しっかした意味があったんだな。
「ちゃんと考えて行動してるんだ。」
「若い頃は俺も衛兵から逃げてた時期があったんでな。その辺は抜かりないぜ。」
叩けば埃まみれになりそうなトゥラデルの過去はほっといて、僕も湖での野営を楽しむとしよう。
そう思って地面を蹴り出そうとした瞬間、不自然なほど鋭い一陣の風が湖に向かって吹き抜けた。
「小僧、嬢ちゃんたちを呼び戻せ!何かがおかしいぞ。この時間、風は湖方向から吹き上がってくるはずなんだ。」
トゥラデルの表情に緊張が見て取れる。どうからいつもの冗談というわけではないようだ。
「フロー!アクアディール!何かがおかしい、戻ってくるんだ。」
しかし僕の言葉は勢いを増す風にかき消され、二人までは届かない。
「えー?!何ですか?聞こえないでーす!」
かすかに聞こえるフローの声。どうやら会話は諦めたほうが良さそうだ。
「トゥラデル、行こう。」
僕はトゥラデルの返事を聞かずに走り出した。渋々とトゥラデルも僕のあとに続く。
空気がまとわりつく。変な言い方であるが、そうとしか表現できない奇妙な感覚。
足を、首を、腰を、まるで生きているように、空気がうねり、圧迫する。
――私を起こすのは誰だ?
「おい、小僧、今の聞こえたか?」
あとに続くトゥラデルが、周りを警戒しながら声を発した。
「トゥラデルにも聞こえたってことは、僕の空耳じゃないって事だよね。」
できれば空耳であってほしかったのだが。
「そういう事だな。」
トゥラデルがいつでも鞘から抜けるように、剣の留め具を外した。
「姫様下がって下さい、湖が!」
アクアディールが背中に背負っていた槍を両手に持ち、フローを背にして湖に向かって槍を構える。
最初は奇妙な渦を成していただけの水面だったが、僕とトゥラデルが湖に到着した頃には湖全体が膨張し、山のような姿を見せた。
――私を起こすのは誰だ?
さっきとは別の声だ。
「見て下さい、風が舞っています。」
目を凝らして見ると、膨張した水面で遊ぶように風が走り、水滴を弾いている。
「蒸発させてやるよ!」
トゥラデルが右手に魔力を集中し火球を作り上げて放つ。
しかし、火球は水山に当たる前に風に包まれ、呆気なく霧散してしまう。
「トゥラデル駄目だ、炎は相性が悪すぎる。」
「だからって指くわえて見とけって言うのかよ!」
水と風。こういった実体のない相手には、当然のことながら剣は通用しない。
そうだ、風と土を使ったフローの雷の魔法なら・・・。
――もう一度問う。お前は何者だ?
「皆さん待って下さい。もしかしたら敵じゃないのかもしれません。」
フローが一歩前に出て風と水に手をかざす。
――なるほど、『制する者』か。
今までとは打って変わった静かな声が響き、次の瞬間、湖の上に2体の影が姿を現した。




