第一話「総統という概念」
続きです。
2019年が終わった。
私という概念が誕生してから約百年だ。思えば私という概念が今の今まで生き残っていることは奇跡だと言える。わたしはアントン・ドレクスラーによって生み出された。
アントン・ドレクスラーはひどく臆病な人間でありながらもその気質に似合わぬ壮大かつ新たな思想を持っていたことは我が闘争の中にも書かれている有名なことだ。
だから彼はヒトラーの演説能力をみて圧倒され入党するように促した、しかし彼は自分の想像以上の力を持つヒトラーを徐々に抑えきれなくなった。
だから私が誕生した。圧倒的主人公補正を持つ正義のヒーローの概念としてヒトラーの頭に埋め込まれた私はヒトラーの思考の6割を乗っ取りドイツをなんとか元の道に戻そうとした、私という概念に侵略されていることに気がついたヒトラーは徐々に精神不安定となり狂気的な政策を多用することになった。例えばユダヤ人スラブ人への虐殺はヒトラーが私という概念をユダヤ系秘密結社に埋め込まれたからでないかと疑った結果である。
ヒトラーが死んだあとも私という概念は存在し続けた・・・いやどちらかと言うとヒトラーとしても私は喪失したがその記憶や経験を残した状態ですべての人の中に存在した。ヒトラーを知るものならば私の存在を認知し、あるものはそれはヒトラーの遺言だと思い、あるものは私の本質に気がついてもいた。
このまま雑多な概念の渦として消える運命にある私を救ったのはゲーリングである。ヒトラーという存在が2つの顔を持つことを知っていた彼は私と1時間ほど会話すると私の本質とその正体を看破した、またそれと同時に私を救う決断もしていた。
彼によればヒトラーは周りから見ても少々不自然だったらしく彼はその原因を長い間疑問に思っていたらしい。
彼は私という概念を他人から見たゲーリングの概念と織り交ぜることによってその存在を確固たるものにしようと画策した。例えばゲーリングのニュルンベルク裁判時の討論においてゲーリングがかなり流暢に様々な検事に対し反論をしたことは多くの人の記憶に残っている、これは私とゲーリングによる同時多数の並列思考によって成り立った芸当で私の概念てきな存在をかなり強化した。
また彼は死亡時に射殺されることを望んだ。その理由はゲーリングの英雄的な行動が更にゲーリングとしての概念を固めるからというものだったが結局受理されなかったので仕方なくインパクトの強い自殺にした。
ゲーリングが死んだあとも私という概念は存在し続けた。ヒトラーとゲーリングという存在を認知しているならば私はその人の頭の中に概念としてに存在する事ができる。
しかし今日。私はこの世界を去ることになるだろう。いま、この世界において私の概念を認知する人よりも別の世界において私の概念を意識し、肯定する人々が増えた。
さらば、地球よ。まだ私の概念は存在し続けるがきっと今から本質的なものは別の世界へと行くだろう、
友として、素晴らしい存在であったヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング。ヒトラーとしての私をたすけてくれた多数の部下よ。
ハイル!!!ゲルマン!!
ハイル!!!アーリア!!
ハイル!!!ジャーマニー!!
次回は次の金曜日の予定です。