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下編

 駅の構内で彼女が踊る。輪郭がうっすらと空気に溶けて、その姿は陽炎のようだ。


「君はなんで死んじゃったの」


 噂が本当なら死因は自殺だ。死んだ人間にこんなことを聞くのは酷かもしれない。けど、楽しそうにくるくると踊る少女と、世を悲観して自ら命を絶つ姿がつながらなかった。その差を埋めたい。彼女のことを知りたい。だが少女は答えなかった。その代わりに動きをゆっくりと止めて、一太のほうへ向きなおる。少女ときちんと対面するのは初めてだった。


「こんな世の中、ぜんぶ壊れたらいいのにって思わない?」


 少女はそう言って笑う。適切な返事が思い浮かばない。自分に同意を求めるという事は、彼女はそう思っているんだろうか。一太の胸中は複雑だ。


「こんな狂った世界で生きてて、みんなよく平気だよね」


 彼女の表情はじつに無邪気でかわいらしかった。しかし、その口から紡がれる苛烈な言葉。一太は察した。彼女は、この世を憎んでいるのだ。


「もうすぐ来る。わたしを食べに。それまで踊り続けなきゃ」


 少女はまた踊り始めた。指先をピンと伸ばし、スカートをひるがえしながら優雅に舞う。一太には少女の言葉がどういう意味かわからなかった。


「なにが来るの。君が食べられたら、どうなるの」


 彼女を食べにくるナニカ。その為に彼女は踊っているのだという。だとしたら、それが完遂した後はどうなるのだろう。

 少女は笑った。


「みんな死ぬ」



 ◇



 朝、目が覚めた瞬間から体がおかしかった。

 全身がぞわぞわとして落ち着かない。学校へ向かおうと外にでると、奇妙な悪寒はいっそう強くなった。


 駅に向かう途中で遠くにある建物に目が奪われた。そこに覆いかぶさるように、黒くておそろしく巨大なモノがいたのだ。ゆっくりとだが、それは動いている。サンショウウオのような太く平べったい手が何本もあり、建物をかき分けるように動いていた。


 一太はテレビで見る巨大怪獣を思い浮かべたが、すぐさまそれを否定する。あれは、うつつのものではない。


 誰もあれが見えていない。

 あんなに禍々しいのに、みないつもと同じように歩いている。制服やスーツを着た人間が、いつも通りの朝を過ごしている。


 気付けば一太は駅へ向かって駆け出していた。いつまでも背中に走る怖気は無視して、とにかく足を動かした。走って、走って、踊っている少女を探す。駅はかなり広い。人ごみをかき分けて、がむしゃらに視線を動かす。


 ──いた。ごった返す広い駅のホーム、そのわずかに空いた空間で踊っている。なんとか近くへ体を押し込み、少女を間近にとらえた。


「ねえ、君がアレを呼んだの」


 肩で息をしながら一太は少女を見る。動きすぎたせいか、呼吸がまとまらない。周囲は一太のことを訝しげに見るが、それも一瞬のことですぐさま興味を無くした。


 少女は一太を見て動きを止めた。セーラー服を着た彼女は柔らかくほほ笑んでいる。


「あなたは逃げた方がいいんじゃない。ここにいると死んじゃうかも」

「いやだ」


 なぜだか強く言い切ってしまった。ずっとこの場にいたらよくない事が起きるのはわかる。しかし一太は少女と話をしたかった。


「君こそ逃げないの」

「どうして? この日を待ちわびていたのに」


 少しずつあの異形が近づいてくるのを感じる。アレは少女を喰らうためにやって来ているのだろう。ずるりずるりと醜い巨体を這わせ、舌なめずりをしながら。


「アイツが来たら、食べられちゃうんだろう。そんなのダメだよ。ここから離れようよ」


 少女の存在が一瞬揺れた。そして怒ったように目を吊り上げ、一太を睨みつける。


「私を、止めるの? やっと……やっとあいつらに復讐できるのに、どうしてそんなこと言うの!」


 ざわりと空気が動いた。髪がうねり、少女の雰囲気に禍々しさが増す。先ほどまであった清らかさは影をひそめ、恐ろしい空気を纏っていく。一太はこれに見覚えがある。近づいてはいけない危険な存在だ。目の前で起こった変容に一太が固まっていると、少女はハッとして己の手を見た。そして確かめるように全身を見渡す。


 焦ったように少女は再び踊りはじめた。アスファルトのホームを舞台として立つ踊り子は、通行人をすり抜け優雅に手足をなびかせる。コマが回るようにくるくると踊る。次第に少女がまとっていた禍々しさは消えていった。少女どころか空気さえ清らかになっていく気がする。


「お願いだから邪魔しないで」


 か細く、悲しそうな声だった。


「君の踊っている姿が好きなんだ。化け物に食べられてほしくない」

「私はこの場所から動けないの。自分で縛りつけたから」


 踊りながら少女は力なくつぶやく。

 どうしてそこまで。彼女は何を成就させたいんだ。君を止めるには何が必要だ。もう時間がない。


「どうやったら君は助かるの」

「……駅の東口から出て、まっすぐ行ったところに神社があるの、わかる?」


 わかる。背の低い建物の中にまぎれるように、小さな神社があることを知っている。


「あそこに、私の髪を隠したの。死ぬ前に切った私の髪が。それを神社からだせば、私は動けるかもしれない」

「髪?」

「そう。私の執念がこもった、生前の髪」


 あなたには見つけられないでしょうけど、と続けると少女はくすくす笑った。恐ろしい気配はすぐそこまで迫っていた。早くしないと、少女も、ここにいる人も、大変なことになるかもしれない。


 一太は走り出した。神社に一刻も早くたどり着かなきゃ。人の流れに逆らいながら一太は必死に体を動かした。


「ばいばい」


 構内を駆ける途中、少女の声が聞こえたような気がした。



 ◇



『──の午前七時半ごろ、H市中央区の駅付近で大規模な崩落がありました。警察・消防・自衛隊が救助をすすめていますが、現時点で死者五六三名、負傷者四〇七八名の前代未聞の被害となっております。崩落の原因は専門家の間で意見がわれており、局所的な地震ではないかという見方が強く、早急な事実解明が求められています。繰り返します──』


 室内に流れるテレビの音。一太はそれを無感情に聞いていた。ただ起こった事実を噛みしめる。


 あの時、一太は少女に言われた通りに神社を目指した。駅の東口を目指して走り、外に出てすぐ。──大きな唸り声をあげ、駅の建物が崩壊をはじめた。大量の瓦礫を空から落とし、粉塵を巻き上げ、たくさんの人をのみ込んだまま無惨な姿になっていく。一太はそれをすぐ目の前で見ていた。あと1メートル手前だったら、飛んできたコンクリートブロックの餌食になっていたかもしれない。


 目の前のことが信じられず、ただただ呆然としていると、知らない大人に腕を引かれた。そのうち人がたくさん集まってきて、救急車や消防車のサイレンがけたたましく鳴り響く。一太のその前後のことをよく覚えていない。


 ニュースは駅の崩落を伝え続ける。街の機能は麻痺し、日常へ戻ることは当分先の話だろう。学校もしばらく休校になった。


 結局、あの怪物は何だったのか、少女が何を恨んであんな事をしたのか、なにもわからないままだった。手がかりが掴めるかもと例の神社へ赴くも、何もない。探しても聞いても、少女の言っていたものはなかった。


 今でも鮮明に思い出せる。

 駅のホームで美しく舞う、天使の姿を。

 日常を地獄絵図に変えた、悪魔の姿を。


 あの時、どうすればよかったのだろう。周囲に警告した方がよかったのか、最後まで少女の説得をするべきだったかのか。取るべきだった正しい行動は何か。一太はそればかりを考えてしまうのだ。



 ◇



 立ち入り禁止になっている壊れた駅の片隅。ひしゃげたコインロッカーの中に、根本をヘアゴムでくくったポニーテールのような毛束があった。扉は開いており、数本の髪が重力に従い下へと垂れている。

 艶のある長い黒髪だった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったですー(๑˃̵ᴗ˂̵) 内容に関しては色々と考察できそうですが、まず文章から想起される絵面が凄くいいと思いました。抑圧的な前半からは想像もつかない後半、繊細な気持ちの揺れ動きを…
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