魔眼の少女と人喰い悪魔ー3
「がぁあ?なんだぁてめーは」
せっかくの楽しみを邪魔された挙句に、自分の腕を叩き落された豚の悪魔は鼻をヒクヒクと上下に動かしながらよだれをまき散らせて大声を出す。
人間の姿をした男だというのが気に障ったのか豚の悪魔は近くにあった壁に拳をぶつけた。
何も答えないまま男は、私の顔を見る。金色の虹彩に浮かぶ瞳孔が少し丸みを帯びて揺れた。
あいつの名前を呼ぼうと口を開きかけた。けれど悪魔が、不機嫌そうな醜い唸り声をあげて足を踏み鳴らしたせいで、男は私から視線を外して豚の悪魔の方を見る。
さっきまで丸みを帯びていた男の瞳孔は針のように細くなり、男の柔らかそうな唇からは鋭い犬歯が僅かに覗いている。
「俺は黒い鉤爪…吸血鬼だ」
「オレの魔眼を横取りしようってことかぁ?」
「…俺はこの子を守る。そういう契約だ」
ガラはそう言うと一歩前に進み出た。そして、悪魔から私の姿を隠すかのように羽織っている黒い外套を広げる。
「ぎゃははは!未熟な魔眼持ちにヒトを守る吸血鬼。今日は珍しい日だな」
ひとしきり笑った悪魔は、目尻に浮かんだ涙を子供の腕くらいある太さの指で拭う。
そして、口の周りをよだれでべたべたになった自分の口を大きく開き、そこを指差しながらこう言った。
「よろこびな。二人仲良くオレの腹ン中に詰めてやる」
そう言い終わるが早いか、悪魔は腕を大きく振りかぶってこちらを目掛けて思い切り振り下ろす。
ガラが私の体をグイと引き寄せて悪魔の攻撃を避ける。
「吸血鬼は悪魔の天敵じゃないのかよ」
「…人間の血を吸っている吸血鬼なら、な。俺は呪いのせいで許可なく人の血は吸えない」
舞い上がった埃の奥から再び悪魔が腕を振り上げているのが見える。
「餓死寸前の俺でも時間くらいなら稼げる。ここから出たらこれを頭からかぶって狭いところでじっとしていろ」
私を抱えながら何度か悪魔の拳を避けたガラは、やけにガサガサする布を腰のベルトから外して私に押し付けた。
「なんだよこれ」
押し付けられたのは私の髪みたいに赤い布だった。私の顔を見ないまま、ガラは悪魔が振り下ろした腕をまた避ける。
「俺の血が染みこんでる。悪魔にとっては猛毒だ」
タンっと地面を蹴って悪魔から距離を取ったガラは私の背中を押す。目の前にある土壁は私一人なら通れそうな穴が開いている。
「行ってくれ」
こいつが死んでも私には関係ない。人以外には心を許すなっていうのが神様の訓えだ。
私はガラに背中を向けて走り出す。
とにかくここから離れて、木の洞でもなんでもいいから隠れる場所を探そう。
そう思って走り出した私の耳に湿った音と、なにかが折れる音が飛び込んできて足を止める。
「人を守りたい吸血鬼なんてちょろいもんだ。赤頭巾の姿になったら急に動きが鈍りやがった」
ドシャッという音と共に、私の目の前に手と足がめちゃくちゃな方向に曲がったガラが落ちてくる。
後ろを振り向くと、真っ赤に染まった鉈を持った悪魔がニタニタと笑って立っていた。
「大丈夫、だから」
ガラは、私の肩に手を置く。生まれたての子ヤギみたいにふらふらして立ち上がられたら、そんな言葉を信じられない。
馬鹿な吸血鬼。その場で適当に言った私との約束を守ろうとして死ぬなんて。