魔眼の少女と痩せた狼-3
「赤頭巾、随分遅かったね。餓死しちまうところだったよ」
いくつかの畑を通り、森を抜けてババアの家に着いた私は、ベッドに横たわっているババアの悪態を聞き流す。乱暴にパンと干した豆の入った籠を長机に置いて作業をしていると、ババアが怪訝そうな顔をしているのが目に入る。
「狼が付いてきてるじゃないか?恩知らずめ。あいつにあたしを喰わせる気だろ」
ババアは開いたままの玄関の扉から見えた狼を見つけると、やかましい声でわめき始めた。
母親はいつも通りと言っていたけど、やっぱりアレは狼だし、今日突然現れたんじゃないか。
ババアは枕元に合った鉈を私に向けた。
後退りをした私を見て起き上がった狼は、扉の外でワンと鳴く。そして、狼はババアのこと金色の瞳でじっと見る。
「あの狼は別に…」
「は?狼だと?なにいってんだ。あんたの犬は相変わらず不気味だね」
狼に見つめられて数秒、呆けたような顔をしていたババアは、私の言い訳を遮って首をかしげてる。
自分が手に取った鉈を不思議そうに見て、ババアはそれを枕元へ戻す。
さっきまで狼だと騒いでいたことなんて忘れたみたいだ。ボケたか?それとも、あいつの金色の瞳を見たから?
「用が済んだらさっさと帰んな」
帰り道も狼は、私の後ろを変わらずついてくる。
こいつが何かをしたのはわかる。でも、それを誰か大人に伝えようにも誰も呪われた子の言うことなんて聞いてくれない。
人を襲うわけでもないなら、せいぜい犬として役立ってもらおう。こいつがいれば森で悪魔や他の狼に襲われても死なずに済むかもしれない。
「おい、狼。あんたが私を守ってくれるのなら騙されてやる。だから良い子にしていろよ」
「…俺は黒い鉤爪。その契約を受け入れよう」
しゃべりやがった。
思わず手に持っていた袋を入れた籠を落とすと、狼は器用に鼻先を籠の取っ手にひっかけ、私の手元へ持ってきた。
「俺の力が効かないのは、その贈り物のせいか」
狼がしゃべった?それとも、とうとう私の頭が壊れちまったのか?
返事をせずに再び私が歩き出すと、狼もついてきて勝手に話を続ける。
「破幻の魔眼…美しい夕焼け色の髪。なるほど…古き隣人の祝福を得た子」
「これが祝福なもんか。この赤い髪も変なものが見える眼も私は欲しいなんて言ってない」
祝福…と言われてカチンとくる。
手にしていた籠を地面に叩きつけるように置いた私は、自分の血みたいに汚い色をした髪を引っ張ってガラに見せた。
「私は…普通でよかった。こんなもの…私にとっては呪いと同じだ」
言葉が止まらない。さんざん呪われた悪魔の子だと言われていたのに今さら祝福だと言われたって…私にとっては忌々《いまいま》しいものに変わりはない。
「…他の人間や神がどうあれ、人の理から外れている俺にとっては好ましいものだ。催眠も魅了も効果がないのは不便だが、こうして意思疎通ができる」
冷たい鼻先が手の甲に押し当てられて、自分が掌から血の滲むほど強くこぶしを握り締めていたことに気が付く。
どうやらこいつは私を慰めているつもりらしい。
そして、私は生まれて初めて「好ましい」なんて言葉を言われて少し舞い上がってるのかもしれない。
「あんたと会話してたら、私はますます頭の出来を疑われちまうだろうが」
「傷が癒えたらここを去る」
再び歩き出した私の横を歩きながら、ガラは言葉を続ける。
「あんたは昔の知り合いに似てるんだ。暇つぶしに付き合ってくれ」
「…自分の食い扶持は自分で獲れよ」
この得体のしれないしゃべる狼が近いうちに出ていくのなら、少しくらい話してやってもいいのかもしれない。
どうせ私にかけられる言葉は命令か、嫌味か罵倒なのだから…少しくらい私だって普通の話を誰かとして笑ったりしても神様だってお目溢しをしてくれるだろう。
木々が少なくなり、見慣れた畑がポツポツと見え始める辺りでガラは私に話しかけてこなくなった。
まだ太陽は高く登っているのに、夕暮れみたいに空気が冷えてしまったみたいだ。よくわからない寒さを覚えながら、私は無言のガラと並んで歩いて家へと戻った。