いただきます教信者
――いただきます――
――ごちそうさま――
手を合わせての、食事の前と後のあいさつ。
私はこれを普通で当たり前の事だと思ってきた。
疑問に思った事なんて一度もない。
両親祖父母から教わり、毎食時かかさずやり続けてきた。
『命をいただいて生きていくんだから、食べる前にはいただきます。食べた後にはごちそうさま。これは、大切な事だからね』
いつもは優しい母が、真面目な顔をして私に教えてくれたのを覚えている。
食材になってくれた動植物への感謝。
食材を生産してくれた人への感謝。
調理をしてくれた人への感謝。
食事に関わる人達のおかげで食べられるのだから、感謝の念を忘れてはいけない。
そう、教えられた。
だから、実家で家族と食べる時はもちろん。
外で食べる時も。誰かと食べる時も。
一人で食べる時も。自分が調理した時も。
私は、手を合わせて『いただきます』『ごちそうさま』と言っていた。
私にとっては、息をするように自然な事。
だから、大学でゼミの先輩や友人にからかわれた時は、とても衝撃を受けた。
「なんで、一々言ってんの?」「キモくない?」「え? わざわざ手あわせるの?」「一人で食べる時も?」
からかわれて、笑われて。
ショックを受けた……というより、衝撃。
私にとっては当たり前の事だけど、他の人にとってはキモい事なんだ、って。
思わず、笑ってしまうような事なんだって。
少し、悲しかった。
それから私は、その人達と少し距離をおいた。
やむを得ない場合をのぞいて、誰かと食事をともにする事をやめた。
からかわれても笑われても、『いただきます』『ごちそうさま』をやめる事はしたくないから。
私の『いただきます』『ごちそうさま』が居合わせる人を不快にさせるなら、同じ食事の場にいない方がお互いにいい。
大学を卒業して社会人になった私に、初めて彼氏ができた。
職場の先輩で、仕事のできるその人を尊敬していた。
初デートの時の食事でも、私はいつもの通り『いただきます』『ごちそうさま』をした。
それを見た彼氏は、今まで楽しく話していたのに、眉をしかめてあからさまに口数が減った。
何か気にさわる事をしてしまったのかと狼狽していた私は、会計を終え店外に出たところで冷や水を浴びせられる事になる。
「ああいう事さ、恥ずかしいからやめてくれる?」
「ああいう事って何ですか?」
「いただきます、ごちそうさまってさ。わざわざ外で言うような事じゃないでしょ?」
その瞬間、あれだけ尊敬して大好きだと思っていた感情が、急激に冷めていくのを感じてしまった。
「でも、私は両親から食材や作ってくれた人に対する感謝の気持ちは大切だって教えられて……」
「はぁー。理不尽に命を奪われて食べられる動物や魚が、感謝されたからってどうだって言うの? 食事を作る人もそれが仕事でしょ? 親は自分が作ってやったんだから感謝しろって事? 野菜を作ってくれた人に感謝なら、生産者に手紙でも出せば? 届かないところで言ったって意味ないでしょ?」
先輩も私も、どちらも間違ってはいないのだろう。
どちらもそれぞれの考えや価値観があり、変えられない習慣があるだけだ。
「毎回毎回手を合わせて、『いただきます』『ごちそうさま』って、何それ。どっかの宗教? あ、いただきます教?」
ただ、私は『いただきます』『ごちそうさま』を好まない人に強制した事なんて一度もない。
「当たり前の挨拶もできないなんて」なんて馬鹿にした事だってない。
なのに、何で私はこんなに馬鹿にされなくちゃいけないんだろう。
「毎回言うとか、まじカルトっぽい。いただきます教信者とかまじウケる」
心底面白いかのように話す彼を見て、もう無理だ。と思った。
この人の考えを聞いていたくない。嫌だ。
私は、彼に別れを告げた。
「彼氏と別れたんだって? どうしたの?」
職場の同僚が、心配と好奇心をないまぜにしながら話しかけてくる。
どうしたの?って、聞かなくても知ってるくせに。
元カレである先輩が、私の事を面白おかしく吹聴してる話は私の耳にも入ってきてる。
ご丁寧に、別の先輩が教えてくれたから。
「カルト」「宗教」「信者」「まじウケる」「まじキモい」「自己満足」
前までなら、その言葉にへこんでいた私だけど、もういい加減に慣れた。
自己満足で何が悪い。
言う方が自己満足なら、言わない方だって自己満足だろう。
私は、当たり前という言葉を盾に、感謝を忘れる人間にはなりたくない。
「食に対する価値観の違いでね。あわなかったの。毎日の食事って大事だし、別れたのはお互いにとっても良かったと思うよ」
お互いにを強調するのを忘れずに。
私の方から表だって何も言わなくても、別れて良かったと思ってるのは元カレだけじゃない。
「そっかー。あ、なら合コンとか行っちゃう? メンバー集めようか?」
「わざわざありがとう。でも、今はまだいいや」
無難に受け流し、PCの前に座り仕事を再開する。
キーボードを叩きながら、元カレが言った事もあながち間違ってはいないかな、と考える。
もちろん、元カレの擁護じゃない。
『いただきます教信者』
私にとっては、かなりインパクトのある言葉だった。
確かに、ある意味私は信者だ。
それぞれの価値観や習慣が違うのはしょうがない、どちらも間違っているとないえない。とかきれい事を言っておきながら、『いただきます』『ごちそうさま』を蔑ろにした彼に、一瞬で冷めたのだから。
それは、私が無意識で『いただきます』『ごちそうさま』を相手にも求めていた証拠なんじゃないだろうか。
『いただきます』『ごちそうさま』を、元カレも当然の事のようにやるものだと考えていた。
口に出さないまでも、心の中で言っているのだと。
それこそ、カルト宗教の狂信者のように疑いもしなかった。
価値観が決定的に違うし、あそこまで馬鹿にされたのだから冷めても仕方がない。と思う自分がいる一方で、元カレが『いただきます』『ごちそうさま』をしないから冷めたんじゃないか。と思う自分もいる。
これは、ずっと考えても答えの出ない結論だろうし、出す意味もないのだろう。
私は元カレに冷めて別れた。
ただ、それだけだ。
相手に何を言われようと、私はこれからも『いただきます』『ごちそうさま』を言い続ける。
昼休憩を告げる、12時のチャイムの音が鳴る。
「今日のお昼は? 社食行く?」
「私、お弁当持ってきてますので」
答えながら、鞄から巾着に包まれたお弁当箱を取り出す。
「そか、じゃいってきまーす」
同僚や上司、先輩を見送り、幾人かが残るフロアの中で蓋を開ける。
手を合わせて――
「いただきます」