交換条件
十分が経過した。
二人は一旦荷物を置き、竜の様子を少し離れた場所からうかがっている。
寝息を立てて横たわっていた彼は、おもむろに目を開け首を起こした。
「あ、起きましたか?」
エレナは緊張しながら近付き、努めて穏やかに声をかけた。竜は状況が理解出来ていないらしく、静止している。かと思えば突然翼を広げ、後ろへ飛び退いた。それから自分の身体をまじまじと見て、エレナに問いかける。
「お主、吾輩の怪我を治したのか?」
「はい。魔法をかけておきました。思ったより傷が深かったので、完全に治るまでは時間がかかりそうですけど」
「なぜそんなことをする? お主らは、吾輩や友を殺しにきたんだろう?」
「違います。私たちは、妖精族に魔法を教わりに来たんです。仲間を助けるために」
「仲間だと?」
竜は鼻で笑った。
「そのような話、信じると思っているのか? 馬鹿馬鹿しい!」
「あなたが信じてくれなくても、これは本当の話です」
「人間は自分勝手な生き物だ! 他者のために行動するなど、とうてい思えん!」
「そうじゃない人間だって、たくさん居ます」
「ぬう! 口答えの多い娘だ! これ以上、無駄口が叩けんよう、その頭、噛み砕いてやろうか?」
竜はギザギザの歯を見せつけ、今にも飛びかからんとしている。彼はとても短気な性格のようだ
エレナは平気な顔を作ってはいたが、心の中で悲鳴を上げていた。ユーティスのことがなかったら、とっくにこの場から逃げ出している。
エレナが冷や汗まみれになっていると、アストラが彼女を背中に隠した。
「おっさん、落ち着けよ! おれたちは戦うつもりはねぇ! あんたが攻撃さえしてこなけりゃな!」
アストラは厳しい態度で、反撃はするぞと言い含める。彼はまだ竜を疑っているようで、敵意の視線を緩めない。
竜はアストラをジロリと睨み返した。
「おっさんなどではない! 吾輩は誇り高き竜族の長、クラドーだ! 覚えておけ人間よ!」
「あの、クラドーさん。私たち、困ってるんです。話を聞いてもらえませんか?」
「ふん! 話すことなど何もないわ! だが治療の礼に見逃してはやる! すぐにここから立ち去れ!」
「嫌です!」
「何ぃ?」
「私たちが妖精を見つけられなかったら、ユーティスさんが。大切な仲間が呪いで死んじゃうんです! だからお願いします! 知ってることがあるなら、教えてください!!」
エレナは泣きそうになるのを堪えながら、必死に頭を下げた。
「呪い、だと?」
クラドーは目を丸くしてうなるのを止めた。彼はエレナの本質を見定めるように、その後頭部をじっと眺めている。
「ぬう。なるほどな。事情はまあ分かった。それなら妖精族のところまで案内してやってもいい」
「本当ですか!? ありがとうございます!!」
「ただし、条件がある。吾輩が許可するまで、お主らは魔法も剣も一切使うな」
「何だって? そんなの無理に決まってんだろ?」
アストラが強い口調で非難する。クラドーは薄ら笑いを浮かべた。
「ならばこの山中を好きなだけさ迷うがよい。妖精に出会う前に、仲間とやらが死ぬかもしれんがな」
エレナは迷った。クラドーは人間を酷く嫌っている。安易に信じるのは危険かもしれない。
けれどユーティスの体力を考えると、なるだけ早く妖精を見つければいけないのもまた事実だ。正直この広い山々を探し回ってる暇はない。
エレナはしばし黙っていたが、決心してうなずいた。
「分かりました。条件を飲みます」
「エレナ! お前!」
「私はクラドーさんを信じる。──言う通りにしますから、約束は必ず守ってください」
アストラにきっぱりと宣言してから、エレナは真っ直ぐな瞳でクラドーを見上げた。
彼女の言葉に、クラドーは心底驚いた顔をして、咳払いをする。
「よかろう。ならば吾輩に付いて来るがよい」
「はい! よろしくお願いします!!」
エレナは元気よく言って、深々と礼をする。
その後、エレナとアストラは、離れたところに置いてある荷物を取りに行った。クラドーは二人の後ろ姿をいぶかしげに見つめている。
「吾輩を信じる、か」
クラドーは自身の傷跡をもう一度よく観察した。体内で暴れていた毒は消え、痛みは少しずつ癒えてきている。エレナが適切に治療をしなければ、命も危なかっただろう。
「なんとも変わった娘だ。しかし、しょせんは卑怯で薄汚い人間。必ずぼろを出すに決まっている。その時が、あやつらの最期だ」
クラドーは重く呟き、美しい金色の瞳を冷たく光らせた。