太陽
岩山を越えた先。北風吹く海へと突き出した絶壁に、目的地はあった。
緑に溶け込むようにして佇むノース王国は、他の二国とは明らかに違っている。規模が小さいのだ。
領地の中心に、三角屋根の薄茶色の城が建っており、その両隣に大聖堂と図書館がある。二つの施設は普段から開放され、人々の憩いの場となっているようだ。
城の周りを取り囲むようにギルドと剣の訓練所があり、更に外側に宿屋、農園、畜舎、鍛冶屋などが並んでいる。
見回りの兵士と町の者は気軽に挨拶を交わし、人々は楽しげに仕事に打ち込んでいた。
「大賢者様。おいら、一旦商品を仲間の店に預けてきます。なので皆さんは一足先に城へ行ってきてください」
入国の手続きを終えてから。
エレナたち三人は各自荷物と武器を手に、馬車を降りた。ヘルメと別れ、ルカーヌと一緒に城へ向かう。
城内に入ると、女神の彫像が出迎えてくれた。磨かれた石の床に幾何学模様のカーペットが敷かれている。正面の天井を見上げると、ステンドグラスがはまっていた。この世界の唯一神レアリアと天使たちが、日の光を受け鮮やかな色で輝いている。
なんて綺麗なんだろう。
その美しさにエレナは息を飲んで見とれる。天国から神たちが見守ってくれているみたいで、心が洗われるようであった。
「さあ、入るがよい」
重厚な扉を開けたルカーヌに促され、エレナたちは奧へと進んでいく。
広々とした謁見の間に入ると、燭台が左右に並んでいた。屈強な兵士二人が入口に立っている。部屋の右奥には大きな暖炉があり、オレンジ色の炎が燃えている。手足が冷えていたのでその温かさが身に深く染みた。
真っ直ぐ敷かれた茶色いカーペットの先。
壇上の玉座に収まっているのは、平和を愛する王──ダミア=ノースラッドである。
歳は六十代後半くらい。肩下まで伸びた白い長髪と、豊かなあご髭が印象的だ。緩やかに上がるふさふさの眉と、高い知性をうかがわせる青い瞳。頭には王冠を被り、上下白のスーツの上から黄土色のガウンを羽織っている。
彼の左中指には、琥珀の石の指輪がはめられていた。
「陛下。不肖ルカーヌ、魔物の討伐完了し、ただいま戻りました」
ルカーヌがひざまずいて頭を下げる。その後ろでエレナたち三人も同じく礼をした。
「加えて大賢者殿とその仲間もこちらに帰還しました。ご報告があるようなので、今しばらくこのままでお聞きください」
「賢者ルカーヌよ。しばし彼らと内密な話がしたい。護衛の兵を下げてはもらえぬか?」
ダミアはしわがれた声で、ルカーヌに頼む。
「御意。すぐに」
ルカーヌは兵士に命じて、謁見の間を退室させた。
三人は頭を上げてダミアを見つめた。しわの刻まれた垂れ目が、すっと細められる。
「大賢者ユーティスよ。長旅ご苦労であった」
ダミアは穏やかな口振りで言った。労りに満ちた瞳だ。
「さて、お主。こたびはどのようにして、こんな可愛らしいご令嬢と、立派な若者を仲間にしたのだ? その辺りを詳しく朕に教えてくれぬか?」
ダミアは前のめりになり、好奇心を覗かせた。
「陛下。職務の最中です。世間話はお止めください」
ルカーヌはユーティスの隣に立ち、すかさず話に割って入った。ダミアはつまらなさそうに口を尖らせる。
「固いことを言うでない。久しぶりに会ったのだ。積もる話もあろう?」
「しかし」
「だいたいお主は真面目すぎるのだ。そんなに気を張ってばかりいては、疲れるだろう。もっと手を抜くことを覚えよ」
「国政を預かる者が手を抜くなど、言語道断です。陛下はもっとご自分の立場をお考えください」
「むうう。お主は口うるさくて敵わぬ。では王として命令しよう。『今は休憩時間である! ゆえに必ず隣人と会話を楽しむこととする!』」
ダミアの宣言にルカーヌは眉間のしわを深くして黙った。完全にやり込められている。どうやら人払いをしたのは、ユーティスと気楽に話がしたかったからのようだ。何とも自由な王様である。
ユーティスは微笑み、なだめるように言った。
「陛下。ここに至った経緯をお話すると、大変長くなってしまいます。ですので先に今回の視察報告をさせてください」
「ふうむ、そうか。なら仕方あるまい」
ダミアは残念そうに椅子にもたれた。ユーティスは報告を開始する。
「私はここに来る前、ヴェスタ王国とイスト王国に立ち寄りました。両国の関係はいまだ良好とは言えません。密偵を使った水面下での探り合いが続いている状態だと思われます。また、魔物共の動きも活発化しており、ますます油断ならない情勢となっております」
「うむ。魔物の件はルカーヌからも話を聞いている。まるで災いの予兆のようで、朕も不安を覚えておるのだ」
「予兆ですか」
「ああ。とてもよく似ている。あの魔王フォボスが現れた時の状況と」
魔王フォボス……!
エレナの心は酷くざわついた。父母の命を奪った張本人。三年前に滅びたはずの魔王が、またこの世に甦るというのか?
ユーティスは真剣な面持ちでダミアを見つめた。
「もしそうだとするなら、なおさら三国が協力し合う必要がありますね」
「そうであるな。どうにか彼らをまとめられぬか、思案してみるとしよう」
「あと私事なのですが、陛下にお知らせしたい事柄があります」
「何だ?」
「実はつい先日、私の故郷である【妖精の森】と思わしき場所が、古書によって判明いたしました」
「なんと! それはまことか?」
「はい。ここよりはるか北にある可能性が高いです」
「おお! それは嬉しい知らせである! お主の探し求めていたものが、やっと見つかるのだな!」
ダミアは顔をほころばせ、自分のことのように喜んでいる。エレナは彼につられてにっこりした。
「故郷の有無や母の安否も分からず、今までさぞ辛かったであろう。職務はひとまずこちらに任せ、すぐに旅立つがよい。今夜はお主のために、祝いの席を設けよう。心して待っておれ。ルカーヌよ! すぐに料理人と晩餐の献立を打ち合わせようぞ!」
ダミアは嬉しそうにルカーヌに手招きした。賢者は、また急な話ですねと苦笑いしながら、耳を貸している。
エレナは、皆が王様を慕う理由が何となく分かった気がした。彼は情が深いのだ。他人の幸せを願い、苦しみに寄り添い、喜びを分かち合う。周りの者を温かく照らす、太陽のような人物。それがこのダミアなのだ。
「あの、私も食事の支度、お手伝いしてもよろしいですか?」
エレナが勇気を出し、ダミアに聞いてみると、彼は明るい声で快くうなずいた。
「もちろんだ! 皆で楽しい席にしようぞ!」