準備
同じ頃。イスト城玉座の間にて。
赤いドレスに身を包んだガイラは、金の巻き髪を振り乱しながら、スコルディーに抗議をしていた。
「お母様! どうしてあの魔法使いの女を、処罰してくださらなかったのですか? 事情はお聞きになったでしょう? あたくしを侮辱したのですわよ!?」
ガイラはきんきん声で吠えている。色々あり魔法勝負後のいざこざを、エレナはすっかり忘れていたのだが、彼女はしっかり根に持っていたようだ。
蒼い外套を羽織るスコルディーは、豪華な椅子に座り、無言でガイラの訴えに耳を傾けていた。
そしておもむろに玉座から立ち上がり、つかつかと彼女に近寄って、左頬を思い切りはたいた。
「このうつけ者が。お前は誰のお陰で命が助かったと思っている? あの魔法使いが居なければ、お前は確実にティシフォネに殺されていたのだ。あの女は、わらわを苦しめることを至上の喜びとしていたからな」
「た、叩くなんて、酷いですわ! あたくしはお母様のために嫌いな魔法も勉強したし、あの大賢者にも近付いたんですのよ?」
「何?」
「彼の強大な力があれば、この国はずっと安泰でしょう? それに、世界を救った英雄を夫に迎えられたなら、あたくしの鼻も高いですわ!」
「そのようなことを考えておったのか。どこまで愚かなのだ。もし万が一、お前が奴を怒らせていたら、この国は滅んでいたかも知れんのだぞ?」
スコルディーの背から憤怒の気が溢れ出した。玉座の間は一気にぴりぴりした雰囲気に変わる。彼女は刺すようにガイラを睨んで、宣告した。
「どうやらわらわは、公務に没頭するあまり、お前を自由にさせすぎたようだ。今後はお前を常に監視下へ置き、わらわ直々に帝王学を一から教えてやろう」
「そんな! あたくしを四六時中、城へ閉じ込めておくつもりですの!? あんまりですわ! !」
「反論は認めん! 耳障りだ! 即刻立ち去れ!」
二人の兵士に両腕を引っ張られ、ガイラは部屋を出ていった。
スコルディーは椅子に座り、綺麗な顔を歪め、右手で額を押さえた。娘は思慮が浅すぎる。国を背負っていくのに、あの精神は未熟としか言いようがない。生半可な覚悟では王になれないのだ。持って生まれた身分など、関係ない。力を手にした強き者が民衆の上に立つ。それがこの世の真理なのだから。
少ししてから、上質な灰色のコートを着た、はげ頭の老人──スコルディーの相談役である大臣が、女王の前にひざまずいた。賢そうな奥目を伏せ、白く豊かなひげを震わせて、彼は用件を話し始める。
「陛下。ご報告致します。追跡調査の結果、先日の『魔物襲来』事件による人命被害は、驚くべきことにありませんでした。また『神隠し』事件の被害者も、衰弱していましたが、全員無事に帰還し、今は魔力も回復しつつあるようです。そして二つの事件により負傷した、魔法団の者と兵士数名は、博識の魔法使い殿の協力もあり、現在は快方へ向かってきております」
「うむ。しかと把握した。大臣よ、報告ご苦労である」
スコルディーは無表情でひじ掛けに手を置き、冷静に問いかけた。
「おかしいと思わんか? ティシフォネが起こした神隠し事件と同時期に、あのような大規模な魔物の群れが現れるなど。偶然とは言いがたい」
「それは、ティシフォネがそうさせたのではないですか?」
「いや。現れた魔物共は中位クラスだと聞いている。相当の数を呼び出すには、莫大な魔力が要るはずだ。同時刻にゼクターらを返り討ちに出来るほどの魔力を有していたのなら、あの女の差し金とは考えにくい」
「では、誰がこんなことを」
「そんなもの、あの西の王がやったに決まっている。奴が何らかの方法を使い、この国に魔物を差し向けたのだ。ティシフォネを脱獄させたのも、奴の計画だったに違いない」
スコルディーは鋭く大臣を見据え、確固たる口調で命令した。
「魔法使い・兵士の力を更に強化し、戦争の準備をせよ。わらわの王国をあの者が壊そうというのなら、そうなる前にこちらが向こうを滅ぼしてやる」
「戦争ですか。しかし、そうなればノース王国も黙ってはおりません。あの国には博識の魔法使いともう一人。『破壊の魔法使い』も居るのですよ?」
「承知している。だから利用するのだ。『破壊の魔法使い』は、見たところ警戒心の強い男である。ヴェスタ王国が、我が国やノース王国を消そうとしていると言えば、恐らくはこちらに加担するだろう。彼に直接使者を送り、秘密裏に協力を要請せよ。絶対に博識の魔法使いには漏らすな。あれは三国の平和などという、生ぬるい考えで動いておるからな」
「ははっ。仰せのままに」
大臣は膝をついて一礼してから、退室した。スコルディーはひじ置きを握り締め、大きな目に憎悪を宿らせて、つぶやいた。
「今に見ておれ、愚かなる西の王よ……! 必ずやお主の王国を叩き潰してやる!」
ところ変わって、ヴェスタ城。
一番高い塔のてっぺんに、漆黒のローブの男──ウーディニアが居た。
「ティシフォネが死んだか」
耳の下で束ねている波打った長髪が、びゅうびゅう鳴る風に舞い上がっている。
塔側面にある四角い穴には、黒い大きな鳥が留まっていた。ウーディニアは白く輝く水晶玉を右手に持ち、遠くを見つめている。
「しかし魔物の群れを送り込んで正解であったな。あの男の足止めは成功し、ティシフォネは目的の魔力を集め、我に渡せたのだから」
輝く美貌と復讐心を持った女。我が力に心酔し、我のためだけに動く。実に忠実なるしもべであった。
「惜しい女を失くしたが、まあいい。次なる段階に移るとしよう。引き続き、奴らを監視せねばな」
ウーディニアは、切れ長の赤い両目を東に向け、行けと短く命じた。黒い大きな鳥は、その姿を小さく変え、また曇り空へ飛び立つ。
それを見送ってから、ウーディニアは呪文を唱えた。水晶玉の光は黒に変化し、男の身体を包み込む。彼は満悦の表情でその全てを受け入れた。
数秒後、光を失った水晶玉を、彼はいとも容易く握り潰す。粉々に砕けた破片は真っ黒な砂となり、さらさらと床に落ちていった。
ふいに嫌らしく弧を描いた口元。ウーディニアは、取り込んだ膨大な魔力の奔流を全身に感じながら、愉しげに言葉を吐いた。
「宴の日は近い。楽しみにしているがいい。博識の魔法使いよ」
狂気をはらんだ闇の足音は、徐々に近付き、もうエレナたちの真後ろまで、迫って来ていた──。