抱える痛み
広場でゼクターたちと別れた、数時間後。
宿屋の二階にて、白いチュニック姿のエレナは、ベッドへ仰向けになり、物思いにふけっていた。疲れているはずなのに、眠れない。
そんな時、下から戸の閉まる音がかすかに聞こえた。窓の外を覗くと、月下に白いローブの背中が見えた。
ユーティスさん、こんな遅くにどこへ行くんだろう?
エレナは気になり、藍色の外套を羽織って外へ出た。
ひんやり冷たい風が肌に当たる。エレナは彼を追いかけ、王国の西側までやって来た。
大きな池にかかる、真っ直ぐな橋の上。ユーティスは欄干にもたれ、首飾りを右手に乗せて、見つめていた。
「ユーティスさん」
「おや、エレナさん。まだ起きておられたのですか?」
「はい。何だか眠れなくて」
「私もです。なので夜道を散歩していました。ここはとても素敵な場所ですね」
彼が移した視線をたどると、まあるい月が池の水面に輝く姿を落としていた。
ユーティスは切なげに長いまつげを伏せる。エレナは彼の手元に目をやりながら言った。
「綺麗な首飾りですね」
「ええ。これは妖精の森から逃げる時、母が私にくれた物なのです」
「そうなんですか」
首飾りにはめ込まれている、ひし形の石は、月に照らされて、蒼くきらめいている。
ユーティスはあの親子たちを見て、優しかった母のことを懐かしんでいたのだろう。
それはエレナも同じだった。
今は亡き、魔法使いの父。そして穏和だった母に思いを馳せていた。
「ソフィアはいいなぁ。お父さんお母さんと、一緒に居られて」
気が付くと、エレナは独り言を漏らしていた。胸に広がる疼きを隠せなかったのだ。
「エレナさんは孤児院出身なのですよね? ご両親のこと、覚えてらっしゃるのですか?」
ユーティスに何気なく質問され、一瞬、言葉に詰まる。答えるかどうか迷ったが、エレナは彼に嘘をつきたくなかったので、正直に話すことにした。
「覚えてます。私、十三歳まで両親に育てられました。実はルピスの村が出来てから、孤児院に入ったんです」
「そうだったのですね。ご両親はどこかに行かれてしまったのですか?」
「いえ。二人は亡くなりました。四年前、魔王フォボスに殺されて」
思った以上に沈んだ声が出た。ユーティスはすぐさま驚きと悲痛の表情を浮かべる。
それを見てエレナは、ああ、余計なことを言ってしまった、と後悔した。
どうしよう。ユーティスさんに気を遣わせちゃう。
エレナは唇を噛んで、ユーティスの様子をうかがう。彼は眉を下げ、丁重に謝った。
「申し訳ありません。悲しいことを思い出させてしまって」
「いいんです、いいんです! 気にしないでください! 昔の話ですから!」
エレナは口端を持ち上げ、努めて明るく振る舞った。しかしユーティスは首を横に振った。
「何年経っても、失ったものの重みと痛みは変わりません。──あなたのご両親の御魂が、どうか、神の下で救われますように」
ぎゅっと目を閉じたユーティスは、首飾りを握った手を胸に押し当て、祈りを捧げた。エレナは彼の姿を見て、同じように両親へ心の中で話しかけた。
お父さん、お母さん。私、元気に魔法の修行してるよ。きっと、みんなを守れるくらい、強くなるからね。
──実際、彼の言う通りだった。本当はまだ、完全に立ち直れてはいない。出来るだけ考えないようにして、日々をやり過ごしているだけだ。両親を奪われた喪失感や自責の念が、四年経った今も、彼女を苦しめ続けている。
祈り終わってまぶたを開くと、ユーティスと目が合った。
柔らかく包み込むような視線に、エレナは少し赤くなる。それを悟られないように、彼女は軽くうつむいた。
「ところでエレナさん」
おもむろにユーティスは、真剣な声で切り出した。
「あなたは、私が怖くないのですか?」
「え? どうしてですか?」
エレナがきょとんとして首をかしげると、彼は重々しく告げた。
「今日、目の当たりにしたでしょう? 私は恐ろしく強大な魔法を使える。それこそ、国一つ簡単に滅ぼせるだけの力があるのです。だから皆、私をどうにか味方に引き入れようとする。しかし、どれだけ力や功績を褒め称えようとも。本当は皆、この私を、心の底から畏れているのです。エレナさん。あなたもそうではないのですか?」
深緑の両目が、また潤んでいる。あの揺らぐ炎の中で見た瞳と、同じである。エレナはユーティスがどうしてこんなに悲しい顔をしているのか、やっと気付いた。
ユーティスさんはきっと、淋しいんだ。みんなに畏れられて、避けられてるみたいに感じて、とっても辛いんだ。
エレナは彼を見つめ、気持ちを込めて言った。
「私、ユーティスさんのこと、怖くありませんよ」
彼は目を見開き、尋ねた。
「なぜ、そう思うのですか?」
「だってユーティスさんは、優しいから」
エレナは穏やかな口調で言葉を紡いだ。
「確かに魔法の力は怖いです。一歩間違えたら、何もかも壊しちゃうかもしれないし。でもユーティスさんは、自分のために力を振りかざしたりしない。絶対、人を傷付けるために使ったりしない。それがちゃんと分かってるから。だから私は、ユーティスさんを怖いなんて思ったこと、一度もありません!」
すっぱりと、自信たっぷりに言い切るエレナ。ユーティスはハッとして、彼女を見つめた。それから頬をわずかに染め、そうですか、とつぶやいて口角を持ち上げた。
「ありがとうございます。エレナさん」
この上なく嬉しそうに、ユーティスは笑った。いつもの落ち着いた雰囲気とはまた違う、少年のような笑顔。向けられたエレナまで、幸せな気持ちになる。二人の心に、温かい何かが灯ったような感じがした。
良かった。ユーティスさんが、笑ってくれた。
エレナは安堵して、熱くなる頬をふわりと緩めた。
静寂の夜は冷たく、だけど穏やかに更けていく。
互いの胸に抱える痛みを知り、受け止め合うことで、二人の心の距離はよりいっそう、近くなっていったのであった。




