揺らぐ炎
倒せたのかな?
短く息を吐きながら、エレナはそっと様子をうかがう。
その時だった。
ティシフォネが胸元にしまった水晶玉を、天高くに放り投げた。
すると、どこからか大きな黒い鳥がはばたいてきて、それを両爪で受け取ると、西の方角へ飛び去ってしまった。
ティシフォネから黒い霧が発生し始める。女の運命は、もはや決したのだ。
「うふふ、ふ、ふふ」
彼女は何がおかしいのか、寝転がったまま愉しそうな声を出した。
「復讐は終わらない。あたしが死んでも、あのお方が願いを叶えてくださる。あたしを牢獄から解き放ってくれた、素晴らしきご主人様が」
「ご主人様? それは一体、誰なんですか?」
エレナは尋ねたが、ティシフォネは、さあね、と含み笑いを浮かべるだけだった。
「貴方もいずれ解る時が来るわ。人間共がいかに醜いかを。守る価値などないということを」
「例え何があっても、私は戦います。みんなを守りたいから」
「綺麗事ね。虫酸が走るわ」
見透かしたような目で、ティシフォネは言った。
「闇は誰にでも存在する。もちろん貴方の中にもね。どうあがこうが、それには逆らえない。悪意を前にして、いつまでそんな美しいセリフが吐けるかしら? 楽しみね」
ティシフォネの身体が足元からどんどん消えていく。何かを囁いてから、ティシフォネはエレナに慈愛の視線を投げた。
「貴方に絶望的な死が訪れますように」
──双眸に灯った赤い光が消える。
愛を欲し闇へと堕ちた麗しき悪魔。
最期の最期、怨念のこもった棘を残し、彼女は林を吹き抜ける冷たい突風へと姿を変えたのであった。
闇魔法に手を染めなければ、ティシフォネは恋人と、いつか本当の愛を見つけられたのだろうか。
切なさを胸に、エレナは彼女が倒れていた場所を眺める。
だがふいに、うごめく怪しい気配を感じた。
地面から魔物たちが這い出してきたのだ。背丈はエレナの半分くらいと小さく、きのこのような姿をしている。目は柄の部分に一つだけあり、細い手足がそこから生えている。傘の色は紫に赤のまだら模様で、何とも悪趣味な色合いだ。
どうやらティシフォネは、消える間際にこの者たちを呼び出していたらしい。
たくさんのきのこの魔物は紫の粘液を地面に引きながら近付いてくる。彼らの足元の草が、しゅうっと音を立て、黒く溶けていった。エレナはあまりの気持ち悪さに、ひっと声を上げ後ずさりをする。
「エレナさーん!!」
するとはるか遠くから、焦ったような声が聞こえてきた。
「ユーティスさん!」
振り返ると、白いローブの男が駆け寄ってくるのが見えた。恐らく、エレナがさらわれたことを知り、助けに来てくれたのだ。
「遅くなり申し訳ありません!! おけがはありませんでしたか!?」
「はい! 大丈夫です! それより、この魔物は……?」
ユーティスは、目の前に居る二十体もの魔物を睨み付けた。
「恐らく、何らかの毒を持つ魔物です。放っておけばこの土地は病気に侵され、草木は全て腐り果ててしまうでしょう」
「そんな。一体どうすれば」
「毒が広がらないよう、奴らの触れた場所全部を焼き尽くすしかない。エレナさん。遠くに離れていてください。私が何とかします」
エレナは言われた通り、急いで彼から距離を取る。ユーティスは魔物を見据え、杖を掲げて魔法を唱えた。
「地獄の業火!!」
真っ赤な火が杖から噴射され、辺り一帯に燃え広がる。魔物たちは逃げる暇もなく焼かれ、全て灰と化した。ねずみ色の煙と明るい炎が、夕闇の空へ高々と上がっている。草木の焼ける臭いがした。
「すごい……!」
エレナは感嘆の声を落とした。すさまじい威力の魔法を間近に見られて、ただ硬直していた。
いつの間にか、ゼクターや王国魔法団の者たち。そして、王女と町の者たちがエレナの横にやって来ていた。
彼らは燃え上がる林と、ユーティスの後ろ姿を唖然と見つめている。
「なんて圧倒的な力ですの」
がくがくと震えながら、ガイラは独り言を漏らした。
皆、不安と畏れを抱いた眼差しを彼に送っている。
ちらっとこちらを見た、ユーティス。揺らぐ炎に照らされた彼の表情は、何故か悲愴感に満ちていて。
エレナは、泣きそうに潤む深緑の瞳が心に焼き付いて、いつまでも離れなかったのだった。