悪魔との対決
狂ってる、と。
エレナは言い知れぬ恐怖におののいた。同時にずきずきと心が痛くなる。
彼女は思ったことを、そのままティシフォネに告げた。
「恋人さんは、あなたの助けなんて、少しも望んでなかったと思います」
ティシフォネの細い眉がぴくっと動く。
「だって好きな人が自分のために悪いことをしたら、きっと辛いから」
──今は亡き、ティシフォネの恋人。
エレナは話を聞きながら、彼の気持ちを想像したのだ。
女王から衝撃の事実を聞かされ、苦しんだに違いないこと。彼女を止められなかった自分を、責め立てたに違いないことを。
「ティシフォネさん。あなたは勝手です。相手の気持ちも考えず、自分の気持ちを押し付ける。それは本当に愛なんですか? それってただの自己満足じゃないんですか?」
『愛』なんてものは、まだ分からない。恋すらもつい数時間前に、気付いたばかりなのだ。
しかしティシフォネの言う『愛』には、違和感を覚えた。
これだけしてあげたのだから、もっと、誉めて欲しい。これだけ尽くしてあげたのだから、もっと、愛して欲しい。
そういった感情が、言葉から見え隠れしている気がした。
「生意気言わないで! 小娘に何が分かるっていうの!!」
ティシフォネの怒りに連動して、紫のつるがぎりぎりと締め付けてくる。エレナは痛みに耐えながら、彼女を睨んだ。
「自分の思い通りにならないからって、全部を壊すなんて! 関係のない人を巻き込むなんて、そんなのおかしい! あなたなんかにソフィアの大切な人は奪わせない! 私はあの子の幸せを守る!!」
杖を固く握り締め、エレナは結界の光魔法を唱えた。手足に巻いていたつるが、苦しそうにのたうち回ってほどける。
エレナは走って女から距離を取り、かろうじて立っているゼクターに回復魔法を放った。以前ポロンに少し教わっただけだったが、威力は数十倍にも増している。
ゼクターは身体が軽くなったらしく、背筋を伸ばして赤髪の魔法使いを見つめた。かなり驚いているようだ。
「ゼクターさん! 出口、こっちですよね?」
エレナは通路を指さして、早口で聞いた。
「あ、ああ。そうだが」
「ここに居るみんなを起こして、逃がしてあげてください!」
エレナは走りながら、倒れている者たちに回復魔法をかけた。
「な!? だが、君は」
「私はあの人を引きつけます! さあ、早く!」
少女は叫び、また襲ってくるつるを、光魔法で防いだ。
ゼクターは一瞬、困惑した顔を覗かせたが、覚悟を決めたのか大声で返事をした。
「すまない! 皆を避難させたら、すぐ援護する!」
彼は倒れている人たちを、起こしにかかる。
「ちょっと!! 待ちなさい!!」
ティシフォネは落ちた水晶玉を胸にしまい、ゼクターたちには目もくれず、エレナの後を追った。
エレナは光魔法で杖の先に明かりを灯し、全速力で走った。
長い道のりを行き、やっとのことで洞窟の外へ出ると、辺りはもう日が暮れ始めていた。
針葉樹の間を縫うようにして駆ける。ゼクターたちが洞窟から逃げ出せるよう、出来る限り、時間を稼がなければ。
そんなことを考えていた矢先。
地面を高速で這ってきた紫のつるが、右足に巻きついて、エレナを転ばせた。
膝を擦りむいて痛みに顔をしかめたが、すぐに立ち上がり、風魔法でつるを切り払った。
「小娘が!! もう、許さないわ!!」
怒鳴り声を浴びせられ後ろを振り返ると、十メートル先に息を切らしたティシフォネが居た。
その瞳が、赤い輝きを増していく。
すると彼女の頭から二本の短い角と、黒い大きな羽根、槍のような尻尾が生えてきた。白い肌はそのままに、耳は尖り、犬歯が伸びる。
「あたしの全力の魔法で殺してあげる!!」
女の姿はまさに悪魔だった。美しさと残酷さを合わせ持つ、異質な存在。その邪悪さに身体中が震え出しそうになる。
エレナは意を決し、ティシフォネと対峙した。
負けない。負けちゃだめだ。絶対に。
去来する想いを胸に、女の次の手を待った。ティシフォネは鞭を捨て、両の手のひらをエレナに向けた。
「死の宴!!」
真っ黒な闇がおぞましい悪霊に姿を変え、エレナに襲いかかる。それを見据え、少女も高らかに呪文を唱えた。
「光の球!!」
杖の先から、大きくて真っ白な光の塊が、尾を引いて飛ぶ。相反する二つの魔法は、エレナとティシフォネの間で激しくぶつかり合った。衝突により生まれる陣風。二人の長い髪が乱れ踊る。
一瞬、互角に見えたせめぎ合いだったが、ティシフォネの闇魔法の力が大きく、押してきている。エレナの両足は後ろへじりじりと下がり、次第に杖を握る手がしびれてきた。
この人、なんて強いの……!!
あまりの強大な力にくじけそうになる。しかし、今ここでティシフォネを倒さねば、イスト王国もそこに住む人たちも、皆消えてしまうかもしれない。
エレナの脳裏に、頬を染めた天使の笑顔が浮かんだ。
そんなこと……絶対にさせない!!
「いっけぇーーーーーーーーーーーっ!!」
湧いてきた力を更に魔法へ注ぎ込む。悪霊共は消し飛び、巨大な光はティシフォネに衝突した。
「きゃああああああああああああああ!!」
悲鳴が上がり、悪魔はその場にどさりと倒れた。
白い煙が彼女の身体から、もくもくと上がっている。