洞窟と悪夢
──「どうしたんすか、団長? 浮かない顔っすね」
同じ頃。王国から数キロ離れた、針葉樹林の中。
十名の魔法使いが、草むらに腰かけ水を飲んでいる。敵の根城と思われる洞窟に入る前に、休憩を取っているのだ。
イスト王国魔法団の最年少、二十歳のジェイクは、オレンジの短髪を揺らし、ゼクターの顔を人懐っこい目で覗き込んだ。まるで子犬のようである。
彼の向かいでゼクターは、金のロケットの首飾りを開いて見つめている。中には妻と娘の似顔絵がはめ込まれていた。
「皆には黙っていたが、今日は娘の誕生日なのだ」
「え!? そうなんすか! タイミング最悪っすね」
「早く家に帰ってやりたいが、この件が片付かないとな」
あの子は怒っているだろう、とゼクターはため息をついた。
彼は魔法団の中で一番の実力者だ。常に冷静沈着。経験も魔力量も多い。
立場上、魔物の討伐、若手の訓練、事件の調査などに忙しく、帰りはいつも遅い。最近、娘の寝顔しか見ていないという淋しい日々が続いている。
妻は仕方ないと笑ってくれているが、彼女にも悲しい毎日を背負わせていることを、ゼクターは痛いほど知っていた。
せめて誕生日くらいは、早く帰って一緒にお祝いしてやりたい。
そんなささやかな願いを、現実は簡単に打ち砕いた。ティシフォネの情報が入ったからだ。
すぐさま女王から命令が下され、早朝から討伐に向かうこととなる。
ゼクターはまだ、娘におめでとうすら伝えられていない。
ふと森を見渡すと、綺麗な花が咲いていた。
そういえばあの子は花が好きだったな。
仕事が終わったら、あれを摘んで帰ってあげようと、ゼクターは思った。
気に病んでいても仕方ない。ここ数ヶ月。探し求めていたティシフォネの手がかりを、やっと掴んだのだ。
今日中に必ず決着をつけねば。
ゼクターはロケットを閉じ、目を光らせて立ち上がる。
「よし! これから洞窟に向かうぞ! 準備はいいな?」
「もちろんっす! さっさとあの女をやっつけて、早く娘さんのところに帰りましょう!」
ジェイクはおっしゃ、やるぞー! と叫んだ。その声に他の魔法使いたちの士気も高まる。
若い奴は元気があっていいな、とゼクターは温かな笑みをこぼした。
しばらくして、真っ暗な洞窟に入る魔法使いたち。
杖の先の水晶を魔法で光らせ、恐る恐る、前に進む。
先頭はもちろんゼクターだ。彼が注意深く様子をうかがいながら、後ろの者たちに小声で告げる。
「お前たち、幻や操り魔法の対策は出来ているな?」
「もちろんっす! 『呪文無効』の魔法は皆かけてるっすよ!」
「ティシフォネは闇魔法により、魔物化している可能性が高い。奴を発見したら、光魔法で一気に片を付ける。いいな?」
「了解っす!」
洞窟内は静かだ。土の匂いと湿った空気が、辺りを支配している。
気温は低いはずなのに、汗が流れてきた。一本道が長く長く感じる。
ゼクターは行く先に広い空間があるのを発見した。そこからわずかな光が漏れているのに気付き、足を止める。
ティシフォネがいるのか?
壁に背を付け、息を詰めて、空間の様子を探る。
天井に光る魔鉱石。その下には大勢の人間が苦しそうに横たわっていた。
「これは……さらわれた人たちか!」
ゼクターは早く助けに行きたい衝動にかられた。しかし、まだあの女の姿が見当たらない。今、動くのは危険か? 躊躇していると、ジェイクが止める間もなく走り出していってしまった。
「皆、大丈夫っすか!?」
彼がその空間に入った時。
邪悪な気配が一気に高まった。
紫の太いつるが大量に地面から生えてきたかと思うと、瞬時にジェイクの身体に巻き付き、彼を捕らえた。
「風魔法を使え! ジェイク!」
ゼクターは叫ぶが、彼は口をつるで塞がれており、呪文を唱えられない。
そうこうしているうちに、ゼクター以外の仲間たちも、つるでぐるぐる巻きにされた。
「くそっ! 捕まってなるものか!」
ゼクターは風魔法を唱え、まず周辺の仲間たちのつるを切り裂いた。
地面にどさどさと崩れ落ちる仲間たち。気絶してしまっている。
ジェイクが危ない!
ゼクターはそう判断し、もはやつるの塊となってしまった彼に、魔法を放った。
「疾風の刃!」
鋭い刃物になった無数の風が、ジェイクのつるを跡形もなく切り刻む。
彼はその場に力なく倒れ込んだ。
「大丈夫か、ジェイク! しっかりしろ!」
彼を乱暴に揺り動かす。うめき声が上がって、息があるのは確認出来た。
「うふふ。お久しぶりね、団長様」
ほっとしたのもつかの間。愉しそうな声が聞こえ、怖気が走った。広い空間の奥。黒いワンピースを着た、美しい金髪の女が、赤い目をして立っていたから。
「ティシフォネ! やはり『神隠し』はお前の仕業だったのだな!」
「ええ、そうよ。よく分かったわね」
「なぜ、こんなことをした? 答えろ!」
「答えろ、ですって?」
女の目が大きく見開かれ、赤々と光り出す。
「口を慎みなさい。王国の犬が。貴方の力など、もうあたしの足元にも及ばないのよ」
「ならば試してやる!」
ゼクターは杖を掲げ、上級の光魔法を唱えようとした。
しかしそれは叶わず、彼は頭を押さえ地面に倒れた。持っていた杖が音を立てて転がっていく。
「ジェイク……なぜ……?」
彼の視線の先には、虚ろな目をしたジェイクが、赤く汚れた杖を握り締めて立っていた。女に操られているのだ。
「勢いのある馬鹿ほど、扱いやすい道具はないのよ。【呪文無効】の魔法など、より力を手に入れたあたしなら、容易く破れるの」
ティシフォネは伏せるゼクターへ、囁くように言った。
「ねぇ。あたしがどうして魔物を町に放ったと思う? 貴方たち魔法団を、ここにおびきよせるためよ」
手がかりを掴んだと思っていたのに。あれはこの女の罠だったのか。
ゼクターは絶望と悔しさに顔を歪める。
「うふふ。素敵な顔ね。めちゃくちゃに壊したいくらいだわ」
不吉な笑い声がして、彼は自分がこの先どうなるかを悟った。
ソフィア。
すまない。父さんはもう、帰れそうにない。
洞窟に響き渡る、鈍い音。意識を失くし、地面に顔をうずめた彼。首から下がっていた金のロケットは、落ちた衝撃でひび割れていた。
ティシフォネは満足げな笑みをたたえながら、それを尖った靴で思い切り踏み潰した。そしてゆるりと言葉を落とす。
慈愛に満ちた甘い甘い声で──。
「おやすみなさい。良い悪夢を」




