傷
「ヴェスタ王国を離れるおつもりですか?」
ユーティスは途端に心配顔になる。国を離れるということは、そこで得た地位や財産を全部捨てるということだ。ましてやそれを、あの国王が簡単に許すはずもない。
彼の気がかりを察したのか、ポロンはちょっと怒ったように言った。
「ああ、そうさ! アタシ一人だったら、我慢してやっても良かったんだけどね! そうも言ってられないよ! 国王はアタシだけじゃなく、大事な教え子たちまで巻き込んだ! 絶対に許せやしない!」
ポロンはふんっと息を吐いてから、強い志を持った目をした。
「戦争なんて愚か者がすることさ。罪のないたくさんの者たちの未来を奪う。若い力は、そんなくだらないことのためにあるんじゃないんだ。アタシは教師として、あの子たちを守ってやらなきゃならない。何としてでもね」
「でしたら、我がノース王国にいらしてください。ポロン先生たちに危害が及ばぬよう、私がお守りします」
「ありがたい話だけど、それは無理だね。国王はどうでもいいけど、ヴェスタ王国の人々は心配だ。あの子たちを安全な場所へ逃がしたら、アタシは時々、偵察に訪れるつもりなんだよ」
ユーティスは口元に手を添えて、しばらく黙っていたが、名案が思い付いたようで、顔色を明るくした。
「だったら、エレナさんの村──ルピスに行ってもらえませんか? あそこはまだ王国には知られていませんし、迷いの森の小人族に頼めば、兵士たちの侵入も、きっと妨害してもらえます。それにあそこは魔法使いが誰も居ないので、ポロン先生たちが行ってくだされば、とても助かります。いかがでしょうか?」
話をうんうんと聞いていたポロンは、笑顔で快諾した。
ユーティスは背中の荷物から、紙と羽ペンを出し、さらさらと手紙を書いた。一つはミョルニ、もう一つはルピスの村長宛だ。
「紹介状を書いておきました。お二人に渡してください」
「ああ。ありがとね」
ポロンは微笑み、手紙を受け取った。
と、その時、男の怒鳴る声がして、遠くから人影が近付いてきた。
皆がそちらを見ると、王国の兵士三名がこちらに向かっている。
「うわ、もう出てきやがったのか!」
「え? どういうことなの?」
「門番の奴らが邪魔だったから、先生の落とし穴に突き落として来たんだけど、あの様子だと、他の兵士に引っ張り出されたみたいだな」
「うわぁ。じゃあものすごく怒ってるよね。早く謝りに行かなきゃ! 」
「まじかよ!? おっさんたちから説教食らうのはごめんだぜ! とっとと逃げるぞ!」
「だめだよ! まだ私、旅の荷物とか持って来てないし! ちゃんと事情を説明して謝ったら、きっと分かってもらえるよ! さっ、行こう! 」
渋るアストラの背中をどんどん押しながら、エレナは強面の兵士たちの元へ走って行った。
平原に残された、二人の魔法使い。騒がしい彼らが居なくなり、のどかな静けさが訪れた。
「面白い子たちだよ、本当に」
若者たちの後ろ姿を優しく眺め、ポロンは言った。ユーティスはそうですね、と頬を緩めている。
「『レアリア・ド・マキア』。稀少な存在の者たちが、まさか偶然出会うとはね。全く神様は何を考えているのやら」
ポロンが意味深長な独り言を呟く。
──そう。ユーティスもまた、普通の枠から外れた性質の持ち主だった。類いまれなる魔法の才能と膨大な量の魔力を、生まれつき有している。
『レアリア・ド・マキア』とは、古代より言い伝えられし、尊敬と畏れを含んだ言葉なのだ。
神に選ばれ、特別な力を与えられた者。それはきっと、この世の行く末を握る鍵となる。
栄光か、滅びか。
彼らはこの先、どちらの扉を開くのだろう──?
「感情を力にする魔法使い、か。エレナには何か大きな可能性を感じるよ。それこそ、この世をひっくり返しちまうような、何かがさ」
ま、これは教師としての長年の勘だけどね! と、ポロンはいたずらっぽく笑った。
ユーティスも、そうかもしれませんね、と同意した。彼女を心から慈しんでいる。そんな表情だ。
「ねぇ、ユーティス。アンタの『傷』は、もう癒えたのかい?」
不意にポロンは、案ずるようなオレンジの瞳を、彼に向ける。
ユーティスは短くいいえとだけ答えた。
「そうかい。それはアタシでも治せないからね。アンタ自身で答えを見つけるしかない。でもね、何もかも一人で抱え込んじゃいけないよ。アンタを想ってくれる人間が、ちゃんとあそこに居るんだからね」
穏やかにそう告げると、彼女は
「さて、アタシもあの子たちと一緒に謝ってくるかね!」
とエレナたちの後を、颯爽と追いかけていった。
ざあ、と強い風が吹いてきて、ユーティスの栗色の髪とフードを揺らした。空は青く、今日も太陽が辺りを等しく照らしている。
新緑と町と城。
美しく、だが薄汚れている世界。
渦巻く陰謀は、栄華を極める王国に、重苦しい影を色濃く落としていた。
いつかこの傷の癒える日が来るのだろうか。
ユーティスは左の首筋をぎゅっと押さえたまま、遠くなった三人の背中を、切ない眼差しで、ずっとずっと見つめていたのだった。




