魔物襲来
リリーと別れてから、エレナは村より遠く離れた平原へとやってきた。
何もない場所で魔法書を開き、杖を高く掲げ初級魔法【火炎】を唱え始める。村長の手伝いを終えると、エレナはいつもこうやって一人で特訓をしているのだ。
しかし、何度呪文を繰り返そうと、出てくる火はか細く弱いものばかり。どれも戦闘で使えるような代物ではなかった。
「あーもう! 上手くいかない!」
一時間くらい練習したところで、エレナは草っ原へ仰向けに倒れこんだ。杖を振り過ぎて腕は重いし、大声を出しまくったのでのどが痛い。もうヘトヘトだ。
草の匂いに包まれながら、空を見上げると、青く澄んだ色がどこまでも広がっている。流れる雲をぼんやり眺めていると、不意に『お前なんかに魔法使いは無理だろ』と言うアストラの顔が浮かんできて、エレナは無性に腹が立った。
「うるさいなぁ! 余計なお世話だってば!」
大声で叫ぶと、小鳥たちが驚いたのか、草むらから慌てて飛び立っていった。
私だって上手くなりたいのに。どうして何回やってもだめなんだろう。
世界を救った大賢者のような、強い魔法使いになりたい。
伝記を読んだ半年前から、エレナは夢を叶えるべく魔法の練習を始めた。教えてくれる者は誰も居ない。昔、大切な人からもらった古い魔法書だけが、唯一の先生だ。
毎度、手のひら大の火が出ることを期待しながら、練習を繰り返しているが、全くと言っていいほど上達しない。一・二センチほどの火が杖の上に灯るようになったのはごく最近だ。
こんなにやっても出来ないなんて、やっぱり私、才能ないのかな。
理想と現実の差はあまりに激しく、エレナを打ちのめした。悔しくて情けなくて、ぎゅっと唇を結べば、長いまつげの端に涙が滲んだ。エレナは右手の木の杖をじっと眺める。落ち込む彼女を慰めるように、風がさわさわと頬を撫でていった。
しかし、穏やかな時間は突如終わりを告げた。村の方から大きな爆発音がしたのだ。エレナは慌てて上半身を起こし、そちらを見る。木や建物からは真っ黒な煙が上がっており、たくさんの村人たちが悲鳴を上げながら平原へと向かって走ってきた。
村が、燃えてる。あの時みたいに……!
過去に見た光景が一瞬、エレナの頭をよぎる。動悸がして、冷や汗が背中を伝ったのを感じた。エレナは立ち上がり、次々とすれ違う村人の一人に叫んだ。
「あの! 何かあったんですか!?」
「でかい魔物が村を襲ってるんだ! エレナも早くここを離れろ!」
そう告げて村人は走って行ってしまった。命の危機がすぐそこまで迫ってきている。エレナは怖くなり、自分も逃げようと思ったが、孤児院の子供たちのことが気にかかった。
あの子たちが、もし逃げ遅れていたら?
考えるといてもたってもいられなくなり、彼女は魔法書をポケットへ入れ、杖を手に村の方へ駆け出した。
逃げ惑う人々を避けながら、子供たちを探す。孤児院の庭には、もう誰も居なかった。エレナは玄関から大声で呼びかけるが、建物の中から返事はない。
良かった。みんな、ちゃんと避難できたんだ。
彼女がほっとして、孤児院の外へ出た時。
遠くから、助けて!と叫びながら、リリーが駆けて来るのが見えた。彼女はエレナの所へたどり着く前に、石につまずき転んでしまう。そのすぐ後ろに迫って来る、三メートルほどの背丈の魔物。目は一つしかなく、全身が真っ赤だ。上半身は筋肉質であり、髪は炎のようにゆらゆらと逆立っている。
リリーが危ない!と瞬時に理解したエレナは、夢中で呪文を叫んだ。手のひらほどの火の玉が杖の先から飛び、魔物に思い切りぶつかる。魔物はうめき声を漏らし、二・三歩後退りした。
魔法が初めて成功したことに一瞬驚いたが、エレナは急いでリリーの元に走ってきて、その手をぎゅっと掴んだ。
「今のうちに! 早く!」
だがリリーは怪我をしていて、すぐに立ち上がれない。そのうちに魔物は、燃え上がる炎を全て飲み込み、消し去ってしまった。
嘘でしょ? 火の魔法が効かないなんて!
一体どうやって、この魔物に立ち向かえばいいのか。エレナは恐怖で背筋が凍るのを感じた。横でリリーが真っ青な顔をして震えている。せめてこの子だけでも守らなければと思い、エレナは彼女を自分の背中に隠した。
「ナカナカ、イイモノヲ見ツケタ。ワガ主ニ捧ゲルトシヨウ」
ギョロリと大きな目をこちらに向け、魔物は低くうめきながら、エレナへ手を伸ばした。