人形
アストラは狩人のような目をして、狼の動きを観察し、牙を避けた。彼一人で三匹の狼を相手にしている。身のこなしはかなり俊敏だ。黒髪の剣士は、勢いよく飛びかかってくる狼たちを、愛用の細剣で次々になぎ払っていった。
メルフは身体強化や回復魔法を使って、皆を援護している。
小人たちはぴょんぴょんと木に登り、上からハンマーで狼を叩きのめした。エレナも襲いくる敵の頭に、杖で渾身の一撃をお見舞いする。
凶暴な狼の群れは、彼らに倒されて徐々に数が減り、やがて全滅した。
森に静けさが戻り、皆の荒い呼吸音だけが聞こえている。敵の姿が一つもないのを確認してから、エレナは違和感に気付いた。
「あれ? さっきの女の人は?」
「まじかよ。居ねぇぞ!」
「そんな! 逃げられてしまったんですか!?」
ミョルニは顔面蒼白になる。
「諦めちゃだめ! まだこの辺に隠れてるかもしれないし! みんなで探そう!」
エレナの呼びかけに応じ、皆はへとへとな身体を引きずるようにして走り出した。
──その頃、姿を消した女は、エレナたちの居る場所から遠く離れた川のほとりを歩いていた。
「うふふ。馬鹿な人たち」
彼女は手のひらにある石を眺める。それは鶏の卵くらいの大きさで、緑に美しく輝いていた。
「これだけ魔力があれば、あの方もきっと喜ぶわね」
恍惚の表情で独り言を漏らしていると、前触れなく光を放つ玉が女の正面に現れた。
あまりのまぶしさに目を覆った時、彼女は大切な石を地面に落としてしまった。
それを悠々と拾う、すらりと長い手。
光が消えた後、指の間から目を見開いた女は、憎らしげにその人物の名を呼んだ。
「博識の魔法使い! どうしてここに!」
「普通に追いかけてきました。それがどうかしましたか?」
「だって貴方は、あたしの狼たちと戦っていたじゃない!」
「それは、あなたがそう仕向けたんでしょう?」
「え!?」
「あなたは最初から、私と戦うつもりはなかった。だから狼の群れを、あえて小人たちにけしかけたのですね? 私が彼らを助けると踏んだから。その隙に乗じて、自分だけ逃げおおせようと考えたのでしょう?
しかしあなたが思うより、皆さんは優秀でしたよ。私は途中から、アストラさんたちに戦闘を任せて、あなたを追うことが出来ましたから」
にっこりと毒気のない笑顔でメルフは言う。女は唇を歪めワンピースの裾を握った。
「さすがね。あの瞬間にそこまで見抜かれていたとは思わなかったわ」
「いえ。称賛など結構です。恵みの石は返していただきましたので。今からあなたには事情を聞かせてもらいます」
その言葉を聞いてすぐ、女は鞭をしならせメルフを打とうとする。だがいとも容易くかわされてしまった。次の攻撃を待たず、メルフは魔法で光の檻を作り、彼女をそこへ閉じ込めた。
女は急いで呪文を唱えるが、何も起こらない。
「あらゆる力を封じる空間を作りました。この中では魔法も使えません。もう諦めなさい」
「うふふ。こんなことをしても無駄よ。あたしを捕まえられるのは、ご主人様だけ」
彼女は腰に差していた短剣で、いきなり自分の手首を突いた。メルフは驚き、回復の呪文を唱えようとする。
しかし女が刺したのは、そこに付けていた腕輪だった。
それが壊れると同時に、彼女の白い腕は泥の塊に変わっていく。
「人形……! 本体は別の場所か」
「ええ。小人たち相手なら、人形で十分だと思ったんだけど。貴方では遊び相手にもならなかったわね」
女の顔以外の部分が、茶色く固まっていく。
「残念だけど、恵みの石は諦めるわ。あの方の真に求めるものではなかったし。またどこかで会いましょう。博識の魔法使い」
最後に怪しい笑みを浮かべ、女は完全に物言わぬ泥人形となり、崩れ落ちた。
魔法の檻を解いたメルフは、そこにある壊れた紫の石の腕輪を拾う。
「闇魔法の使い手と、それを操る『ご主人様』か。嫌な予感がするな」
憂いを帯びた彼のつぶやきは、ほの暗い森の静寂に呑まれて消えた。