美しき盗人
どれくらい走っただろうか。
先頭を行くメルフが、急に皆を制止した。彼の視線のはるか先に、黒い外套を羽織った者が歩いている。
「あの人が犯人なんですか?」
エレナは木の陰に隠れ息を整えながら、メルフにこっそり尋ねた。
「はい。恐らくは」
三人は背負っていた荷物を、そっと地面に下ろし、戦いに備える。
「では今すぐ捕まえましょう! 僕たちが行きます!」
「あ! いけません! 相手がどんな敵か、まず調べないと!」
メルフが慌てて止めるもすでに遅く、ミョルニ率いる小人たちは全員走り出し、素早くその者を取り囲んだ。
「待て! 恵みの石を奪ったのはお前だな!?」
「ええ。それが何か?」
「この盗人め! 僕たちの宝物を返せ!」
ハンマーを振り上げ、飛びかかっていく小人たち。だが次の瞬間、空を切る音と鈍い音がして、彼らは宙を舞い、背中から地面に落ちた。
「ミョルニさん! 大丈夫ですか!?」
エレナはうずくまる小人に駆け寄った。見たところ出血はない。しかし痛みが酷いのか、起き上がれずに悶えている。
ふと目の前の人物を見ると、そこに立っていたのは黒いワンピースを着た妖艶な女性だった。
背中まであるウエーブのかかった金髪に、はっきりとした目鼻立ち。歳は二十代後半くらい。その佇まいはまるで薔薇の花のようだ。
彼女の手には長い鞭が握られていた。どうやら小人たちは、それに思い切り打ちのめされたらしい。
エレナが女に釘付けになっていると、危うさをはらんだ瞳がこちらへ向いた。
「あら。間抜けな小人たちだけかと思ったら、子供二人と、厄介な男が一緒ね」
棘を含んだ甘い声に、エレナは寒気がした。彼女の後方でアストラが警戒を強めている。
先ほどの隙のない攻撃を見るに、この者が危険な存在であることは間違いなかった。不用意に動くのは得策ではない。
エレナは注意深く敵の出方をうかがった。そんな中、メルフだけは鋭く女を見据えゆっくりと近付いていく。
「あなたは何者ですか? どうして石を盗んだのです?」
「質問に答えるつもりはないわ。特に、偉大なる魔法使い様にはね」
「小人族から奪ったものを、今すぐ返しなさい」
厳しい調子でメルフは詰め寄る。女は不敵に笑って首をかしげた。
「素直に渡したら、見逃してくれるのかしら?」
「そうはいきません。なぜこんなことをしたのか、教えてもらいます」
「うふふ。じゃあ仕方ないわね──」
女は囁くように呪文を唱える。
すると彼女の影から角を生やした黒い狼の群れが現れた。
「あたしの可愛い下僕たちの餌になってちょうだい」
女が顎で指示すると、魔物の群れはメルフの横をすり抜け、小人たちへと襲いかかる。
ミョルニたちはまだ立ち上がれていなかった。このままでは彼らが危ない!
「皆さん、伏せてください! 」
メルフの叫ぶ声にエレナたちは身を縮める。彼は魔法で風を起こし、狼たちを吹き飛ばした。
しかし地面を転がった狼たちは、すぐに体勢を立て直し、エレナたちに向かってきた。
彼女は懸命に杖を振り回し、敵を寄せ付けないようにする。だがあちらの方が速さも力も上だ。エレナは横から矢のごとく飛びかかってくる狼に押し倒されてしまった。
まずい! 噛まれる!
唸る狼の口から何本もの鋭い牙が見え、血の気が引く。首筋に激痛が走ると思われたが、その直前、アストラの剣が狼の背を切り払った。キャウンとか細い声を上げ、それは黒い霧になって消え失せる。
「おい、大丈夫か!?」
「うん! ありがとう!」
エレナは震えを抑え、急いで起き上がった。恐怖で心臓が早鐘を打っている。アストラは周囲に目を配りながら叫んだ。
「こいつらはおれが引き付ける! エレナは小人の奴らと逃げろ!」
「何言ってるの! 私も戦う!」
「皆まとめて食われてぇのか! 早く行け!」
狼の攻撃をかわしながらアストラは怒鳴るが、エレナは一向に引かない。杖を握り締め、彼を睨んでいる。
「やだ! 私は絶対、ここから逃げない!」
「くそ! この石頭!」
「何よ! この分からず屋!」
「お二人とも! こんな時に喧嘩はよしてください!」
やっと戦闘に復帰したミョルニが、ハンマーを手に甲高い声を上げた。
「ちっ! じゃあ、おれがあいつらをぶっ倒すまで、絶対やられんなよ! 行くぞ!」