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臆病な恋人たち

 ある肌寒い夜のこと。



 白いネグリジェ姿のエレナは、自宅の寝室のドアを開けた。


 先に来ていたユーティスは、白い寝間着をまとい、寝室の左手にある椅子に座っていた。彼の目の前には木製の机があり、その上に分厚い本とランプが開かれている。淡いオレンジの光に浮かぶ綺麗な横顔は、とても真剣だ。エレナはユーティスの横へ近づき、にこにこ顔で尋ねた。



「ユーティスさん。何を見てるんですか?」


「ああ。ヘルメさんの書かれた伝記を読んでいました」


「それって……【意志の魔法使い】ですか?」


「はい。いまや『大賢者』として名を馳せる、あなたの本です」



 ユーティスは誇らしげに口角を上げた。



──そう。ウーディニアとの大戦で世界を救ったエレナは、その後ノース王国のダミアから、大賢者の位を授かった。それを機に行商人ヘルメは、エレナの冒険を一冊の本にまとめた。しかもそれの絵本版まで作って、現在あちこちで売り歩いているのだ。もちろん、ユーティスの厳しいチェックとダメ出しを受けた後でだが。



「魔王……紅蓮に染まった世界……絶望──。この『序幕』のページを読むだけで、呪いが解かれたあの日のことを思い出します」


「ウーディニアとの戦いから、もうすぐ二年が経つんですね。月日の流れはほんとに早いです」


「そうですね。しかしまるで昨日のことのように覚えていますよ。私がこの世界を守るために消えようとしていたことも。何もかもを諦めた時、あなたに救われたことも」



 ユーティスは懐かしそうに本のページをめくった。エレナはそんな彼を優しく見つめている。



 一時は運命に翻弄され、絶望の淵に立たされていた二人。それが今は、たくさんの時間を笑い合って過ごせている。あの頃の色んな思い出を振り返り、エレナは改めて、ユーティスとの幸せを噛み締めた。


 すると、どうやらユーティスも同じことを考えていたらしい。彼はエレナを見上げ、穏やかに微笑んだ。



「あなたが最後まで諦めずに戦ってくれたおかげで、私は今ここに居ます。本当にありがとう」



 ユーティスはおもむろに立ち上がって、エレナの右頬にキスを落とす。エレナは顔を押さえ、口元をほころばせた。



「さあ。そろそろ寝ましょうか。あまり遅くなると、明日の仕事に支障が出てしまいますから」



 そう言ってユーティスはランプの火を消し、エレナの手を取ってベッドへ向かった。


 暗くなった寝室の窓からは、青白い月明かりが差している。部屋の右奥にはベッドが二つ、間隔を少し空けて並べられていた。


 ユーティスは右、エレナは左のベッドに横になる。



「では、エレナさん。おやすみなさい」


「はい。おやすみなさい」



 二人はそれぞれ仰向けになり、掛け布を胸まで被ってまぶたを閉じた。



 しんとする部屋。遠くにフクロウの低い声だけがこだましている。エレナはどうしてだか、急に淋しくなってきた。さっきまでずっと近くに居たはずなのに、今日はもっとユーティスの側に居たい。



 毎日一緒に過ごせるだけで幸せなのに、こんなこと思うなんて。私、相当わがままだな……。



 この気持ちを伝えたら、ユーティスを困らせてしまうだろうか。呆れられてしまうだろうか。



 そんな風に思われたくない。けれど、ユーティスに近付きたい気持ちはどんどん膨れ上がってきて。エレナは考えれば考えるほど、寝付けなくなった。



 どれだけの間、寝返りを繰り返しただろう。ふとエレナが目を開けユーティスの方を向くと、彼もまだ起きていたようで、視線がばっちり合ってしまった。エレナが硬直していると、ユーティスは慌てた様子で言った。



「すみません。見とれていました」



 正直に白状され、いつから見られてたの? とエレナは内心悶える。


 彼女は耐えきれなくなり、上半身を起こして勢いよく告げた。



「あの! ユーティスさん!」


「はい。どうされましたか?」



 ユーティスも起き上がり、話を聞く態勢を取った。



「ええと……。今日はユーティスさんの所で、一緒に寝てもいいですか? 何だか離れたくなくて」



 不安を抑え、もじもじしながら聞くと、ユーティスは目をぱちくりして固まった。その後、眉をひそめ右手で頭を抱えたので、エレナはすぐさま訂正した。



「あ! あの! ごめんなさい! 無理だったらいいんです! 二人で寝たら狭いし、それに私、寝相が悪くてユーティスさんを蹴飛ばしちゃうかもしれませんから!」


「いえ、無理ではないのですが……。エレナさん。実はこれまで平気な振りをしていましたが、私とてごく普通の男なのです。そんなに可愛いことを言われては、その……さすがに我慢がきかなくなってしまいます」



 え? それってまさか……? 



 何となく言わんとしていることを察してしまったエレナは、ユーティスの様子をうかがう。頭を抱えているユーティスは耳まで真っ赤になっていて、内なる何かと懸命に戦っているようだった。



 そっか。ユーティスさんはきっと、私のペースに合わせてくれてたんだ。私がそういうことに疎いから。名前もまだ呼び捨てで言えないくらい、恥ずかしがりだから。



 エレナは緊張しながらも、勇気を出して彼に声をかけた。



「あの、ユーティスさん」


「はい。何でしょうか?」



 ユーティスは右手でおでこを押さえたまま、エレナに視線を送った。



「私、嬉しいです。ユーティスさんは、いつも私の気持ちを考えて、尊重してくれて」


「……私はあなたの恋人ですから。当然です」


「でも、私だってユーティスさんの気持ち、大事にしたいんです。だから出来るだけ、我慢はしないで欲しい。今あなたがどうしたいのか、私に聞かせてください」



 真面目な声で告げると、ユーティスはまつげを伏せ、弱々しく話し始めた。



「エレナさん。私は怖いのです。今まで生きてきた中で、このような激しい気持ちを、あなた以外に感じたことがない……。私の胸を焦がす身勝手な想いを口にすれば、あなたを失望させるかもしれない。あなたを深く傷付けてしまうかもしれない」



 ユーティスは、それだけは絶対に避けなければなりません、と自分へ言い聞かせるように呟いた。



 彼の本心を知り、エレナの心はじわりと温かくなる。



 ユーティスさんは、本当に私を大事にしたいと思ってくれてる。だからこそ不安でいっぱいなんだ。



 私の想いもちゃんと伝えなきゃ、とエレナは決心し、息を整えた。



「……実は、私もすごく怖いです。こんなに誰かを好きになったのも、自分の気持ちに振り回されちゃうのも、初めてだから。ユーティスさんと居ると、ちょっとしたことで嬉しくなったり、不安になったりするし。どうしたらいいかなんて全然解らなくて、いつも迷って考えてます」



 エレナは明るい笑みを浮かべ、ハッキリとした口調で告げた。



「けど私、ユーティスさんとなら、色んなこと、乗り越えていける気がするんです。怖くても、前に進みたいって思えるんです。私が傷付くかどうかは、話を聞いてみないと解りません。もし無理だと思ったら、ちゃんと言います。だから隠さずに話してみてください。お願いします」



 ユーティスは沈黙し、じっと下を向いている。エレナは彼を覗き込み、答えを待ち続けた。



「…………あなたは本当に、強い女性(ひと)だ」



 ユーティスは観念したようにエレナへ向き直った。整った顔からは迷いが消えており、エレナの鼓動は速くなっていく。



「側に行ってもよろしいですか?」


「……はい」



 ユーティスはエレナの隣に座り、左手を握った。二人は静かに互いの顔を見つめ合う。



「エレナさん。私はあなたが愛しくて愛しくてたまらない。だからあなたにもっと触れていたいし、あなたを独り占めしたいのです。叶うなら今日、誰も知らないあなたの全てを、私に教えてくれませんか?」



 切なげに情熱的に囁かれ、めまいがしてくる。甘い眼差しに頭が真っ白になりそうだ。エレナは恥ずかしさのあまり叫び出したくなったが、どうにかコクンとうなずいた。


 それを確認したユーティスは、安堵の表情を浮かべ、エレナの肩を抱いて口づけをした。何度も優しく。愛の言葉を一つずつ渡すように。



 エレナは苦しくなるほど心臓がどきどきして、何も考えられなくなった。



 不意にユーティスの唇が離れ、頬を赤らめたエレナはそっと目を開く。彼の深緑の瞳は、幸せそうにうっとりと細められていた。



「……ああ。可愛いエレナ。私だけのエレナ。心から愛しています。ずっと、ずっと……」



 大きな手のひらが、エレナの赤い前髪をゆるやかに撫でる。


 ぼうっとした頭に、ユーティスの包み込むような声が落ちてくる。



 エレナの胸はさらに熱くなり、同時に強い想いが心の奥底から湧き上がってきた。



 私もあなたが好き。大好き。ずっとずっとあなただけを、愛してる。



 溢れ出す感情を伝えたいのに、なぜか泣きそうになって、言葉にならない。潤んだ目をしたエレナは彼の背中に手を回し、ぎゅっと力を込めた。ただ一言、「ユーティス」と、愛しい名を呼んで──。



 夜の闇は深まれど、窓から差し込む月光は、絶えずエレナとユーティスを照らしている。


 二人の影はやがて一つに重なり、幸福に満ちた夢のような時間は、いつしか柔らかなまどろみの中に、溶けて消えたのだった。

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