特効薬と二つの病(後編)
──「アストラ! 久しぶりだね! どうしたの?」
迷いの森に入ると、さっそく小人族のミョルニが出迎えてくれた。アストラは医者から借りてきた資料を見せ、早口で聞いた。
「わりぃ! 急いでるから用件だけ言うわ! お前、この薬草どこにあるか知らねぇ?」
「ん? どれどれ。……あー、これはちょっと見つからないかもなぁ」
「やっぱ稀少な品種なのか?」
「うん。これは満月の光を百日以上浴びないと育たない薬草──月精花だよ。この森でも、ほとんど見たことがない」
「生えてんのか? この森に!」
「うん。少しならあると思うよ」
「頼む! おれたちと一緒にそれを探してくれ! 今すぐ必要なんだよ!」
「そうなの? 分かった! ならみんなにも事情を説明するね!」
ミョルニは連絡用の笛を吹き、小人族全員を集め、話をした。
それからアストラとリリー、ミョルニたちは、共に広い森を駆けずり回った。
東から西。北から南。洞穴から川岸まで、色んな場所を探したが、薬草はなかなか見つからない。
時間は刻々と過ぎていき、とうとう日が傾いてきた。
リリーは歩きすぎて足が棒になってしまい、草むらに座り込んだ。
「薬草、ほんとにこの森に生えてるのかなぁ」
探してもそれらしき姿はどこにもなく、心配が募ってくる。リリーは首をぶんぶん横に振った。
だめだめ! 悪いこと考えちゃ! 見つかるまで、頑張らなきゃ!
リリーは気持ちを奮い立たせ、おぼつかぬ足取りで辺りを探す。
「おい、リリー! この辺、地面がぬかるんでるから気を付けろよ!」
「うん。分かってる」
リリーはアストラから少し離れた場所で、生返事をした。薬草探しに夢中になっていて、話をちゃんと聞いていなかったのである。
「ん? あれは……きゃあっ!」
リリーは何かに気付いたが、その拍子にずるっと足を滑らせた。彼女はごろんごろんと急な斜面を転げ落ちていく。
やっと勢いが止まった頃、リリーは涙目になっていた。
「うっうっ。痛いよぉ……」
膝と手は擦りむけ、頭には葉っぱ。頬は土で汚れてしまった。
しかしふと近くを見ると、手の届く位置に見覚えのある黄色い花が咲いていた。
「あ! やっぱり! 月精花だ!」
目を輝かせたリリーは、うつ伏せのままそれを摘んだ。
よし。すぐお兄ちゃんたちに知らせなきゃ。どこに行ったかな?
リリーは起き上がり、周囲を見回した。誰の姿も見えない。
代わりにざわ、ざわと不穏な音がした。
風もないのに……変なの。
そんなことを思った矢先、リリーの背にビュッと勢いよく枝が伸びてきた。
「危ねぇ!」
飛び出してきたアストラの二の腕を、尖った枝がかすめる。破れるチュニック。リリーはいつの間にかアストラの腕の中に居た。
「大丈夫か!?」
「うん。それよりお兄ちゃん、血が出てる!」
傷口から赤が流れている。リリーは恐ろしくなって震えた。
リリーを襲ったのは木の形をした魔物だ。全長はアストラとリリーの背を足したくらい。幹の所に穴が二つ空いており、赤く光っている。まるで大きな目玉に見つめられているみたいで、ぞっとした。
がさがさと揺れ動く枝。アストラとリリーの周りに怪しい光たちがうごめく。
「これは……」
「くそ。囲まれたな」
この場に魔物は少なくとも十体は居る。逃げ道はない。しかも二人とも怪我を負っていて戦えるか解らない。リリーにはこの状況が圧倒的に不利と感じられた。焦りと絶望が心を覆っていく。
「ごめんなさい……。森は危ないって教えてくれたのに。わたしが付いて行くなんて言ったから」
「リリー」
「どうしよう。わたしじゃアストラ兄ちゃんを治せない。戦えないし、あの魔物にも勝てないよ。お兄ちゃんも牧師様も、どっちも助けられないよ」
リリーは下を向き、ぽろぽろと涙を落とした。もうどうにも出来ない、と諦めかけている。そこへ低く落ち着いた声が発せられた。
「……出来ねぇことばっか並べるんじゃねぇよ」
リリーが泣き顔を上げる。アストラはこめかみに汗をかき、厳しい表情を浮かべていた。
「自分にやれることをやるしかねぇんだ。お前は牧師様を助けてぇんだろ? だったら泣いてる暇なんてねぇはずだ。しっかりしろ」
「アストラ兄ちゃん」
「お前はその薬草を全力で守れ。おれから絶対に離れんな」
「……解った。わたし、頑張る」
とはいえ怖くて両手が震えている。アストラはリリーの肩に手を置き、力強く告げた。
「心配すんな。おれが必ず、お前も牧師様も助けてやる。だから信じろ」
木々が二人との距離を詰めてきた。アストラはリリーを背に隠し、剣を構えている。彼の目が捕食者のごとく光った時、刃の部分がオレンジ色に染まった。
「伏せろ、リリー!」
その声にすぐ反応し、リリーは地面に縮こまる。前方から突撃してくる木の枝は、彼女のなびいた三つ編みの先を切った。
アストラはその枝を右足で強引に踏みつけ、力いっぱい剣を一回転させた。彼を中心に猛烈な斬撃が弧を描く。木々の枝がバラバラと切り落とされて地面へ散らばった。
「てめぇらみてぇなザコに、やられやしねぇんだよ!!」
アストラは叫び、幹だけとなった木々を数秒間で次々となぎ倒していく。見事なほど美しい切り口。柔らかな果実でも相手にしているかのようだ。
リリーはあまりの速さに、何が起こったのか解らなかった。
真っ二つとなった木々は、おぞましい悲鳴を上げ黒い霧と化す。
二人を囲んでいた赤い目たちは、一つ残らず消え去っていた。
「ふう。どうやら全部片付いたみたいだな」
アストラがほっと一息つく。リリーもそれを見て安心した。
「そうだ! 早く孤児院に帰らなきゃ!」
リリーがすぐさま立ち上がろうとすると、右足に痛みが走って、バランスを崩してしまった。
「おい、どうした?」
「坂から落ちた時に、足、ひねっちゃったみたい」
「大丈夫か? しょうがねぇ奴だなぁ」
アストラは剣を背負い、リリーをひょいと横抱きした。
「え!? ちょっと、何するの! 降ろしてよ!」
「じたばたすんな。その足で歩いてちゃ、夜になっちまう。このまま連れ帰ってやるよ」
「でも、お兄ちゃん、けがしてるし!」
「気にすんな。おれはどうってことない。早く帰って牧師様を助けてやろうぜ」
余裕ある穏やかな声。雲から顔を出した夕日に照らされて、アストラの表情がより温かく優しく見える。
リリーは無意識に頬を染め、「うん」と短く言って薬草を握り締めた。
三十分後。
アストラとリリーは、孤児院に到着した。
看病をしていた医者に薬草を渡すと、彼はそれをいち早く調合してカルヴァンに飲ませた。
しばらくして高熱は下がり始め、四時間後、ようやく彼の容態は安定し、意識も回復した。
アストラとリリー、孤児院の子供たち、そして村に戻ってきたエレナは、泣きながらカルヴァンの無事を喜んだ。それから皆で彼の私室に毛布を持ち込み、寄り添って眠った。
──カルヴァンが目を覚まして五日が経った。
アストラは朝食後、彼の私室へ向かった。部屋の奥手にあるベッドへ横たわっていたカルヴァンは、アストラを見るなり笑顔で上半身を起こした。
「やあ、アストラ。どうしたんだ?」
「牧師様、もう食事は済ませたのか?」
「ああ。スープを食べた。だいぶ食欲も出てきたよ」
「そうか。良かったな」
アストラはカルヴァンを見下ろした。食事を取れるようになったとはいえ、彼の身体は細い。今回の病気が完治しても、また何かが起こってしまうのではないか。アストラはそんな不安を覚えていた。
「……どうした? 何か僕に話があって来たんじゃないのか? 話してごらん」
カルヴァンが促すと、アストラは真顔で話を切り出した。
「なあ、牧師様」
「ん? 何だ?」
「この前言ってた話なんだけど。おれさ、ここでずっと働くことにするわ」
「どうしたんだ、いきなり」
「いや。おれ、今回のことで気付いたんだ。牧師様に、まだ何も借りを返せてねぇなって」
「借り? 何のだろう?」
「おれは勉強も出来ねぇし、物は壊すし、すぐ周りの奴らとけんかするし……小せぇ頃から迷惑ばっかりかけてきただろ? だからあんたには、ちゃんと恩返ししなきゃって思って」
「そんなことは気にしなくていい。君は自分のことだけを考えればいいんだ」
「けどよ、牧師様。ほんとは一人で孤児院と教会やんの、大変なんだろ? 誰かが手伝った方がいいんじゃねぇのか?」
「……アストラ。君が孤児院に留まろうとしている理由は、僕の身体が心配だからか?」
「あ、いや、別にそういうわけじゃねぇけど」
「本当のことを言いなさい。君は嘘をつくと目が泳ぐんだ」
「え!? そ、そうなのか!?」
「慌てるということは、やはり嘘なんだね」
「あ! 汚ねぇぞ、牧師様! それでも神様に仕える身かよ!」
「つまらない嘘をつくような子に言われたくないな」
カルヴァンがぴしゃりと言ったので、アストラは唇を結んだ。彼が酷く怒っていると感じたのである。カルヴァンはため息を吐き、諭すように話し始めた。
「良く聞きなさい、アストラ。人の命は、長いようで短い。油断をしていると、あっという間に終わりが来てしまう。だから君の限りある時間を大切に使いなさい。何者にも囚われず、自分の行きたい道を自由に進むんだ」
「でも、牧師様だって、おれのために自分の時間をたくさん使ってくれたじゃねぇか!」
「僕はしたくてそうしただけだ。君に恩を売りたかったわけじゃない。幼い君が愛らしかった。君の成長を見たかったから育てた。ただ、それだけだ」
「牧師様……」
アストラは納得出来ずにカルヴァンを見つめた。カルヴァンは少し困った面持ちをした後、微笑んだ。
「そうだな。君がどうしても僕に借りを返したいと言うのなら、二つほど頼みがある」
「何だ?」
「アストラ。君は僕の大事な子供だ。だから僕よりもずっと長く生きてくれ。そして、君にとって一番の幸せを手に入れてくれ。それが十七年間、君の親代わりをしてきた、僕の心からの願いだ」
アストラはカルヴァンの真っ直ぐな言葉に胸を打たれる。彼はアストラを我が子のように想い、その健康と幸せを願ってくれているのだ。
おれは親父とお袋のことを、何も覚えちゃいねぇ。でもおれは、今まで全然、不幸じゃなかった。孤児院のみんなが家族になってくれたから。この人がどんな時も、笑って見守ってくれたから。
アストラは感謝の気持ちでいっぱいになる。カルヴァンの想いに応えたい。そう心から思った。
「……分かった。おれは必ず牧師様の願いを叶えてやる。そんで、あんたが育てて良かったって胸張れるような男になる」
「ああ。約束だよ」
アストラは決意に満ちた笑顔でうなずいた。
「あ。あと、出来れば恋の話を一つや二つ、早く聞きたいねぇ」
「悪かったな。浮いた話が無くてよ」
「まあ、君に複雑な女心を理解することは不可能だろうからね。好きな人が出来たら、いつでも相談においで」
「ふん! 余計なお世話だっつうの! おれ、もう行くからな!」
アストラはムッとして、カルヴァンの部屋を出た。牧師様の奴、バカにしやがって……と文句を垂れながら、孤児院の廊下をずんずん歩く。しばらく進むと、前からリリーが小走りでやって来た。
「アストラ兄ちゃん」
「お? どうした?」
「けが、もう平気?」
「ああ。とっくに治ったぜ。お前は?」
「わたしも大丈夫。あの……この前は、色々迷惑かけてごめんなさい! あと、私や牧師様を助けてくれて、ほんとにほんとにありがとう」
リリーはアストラを見上げ、申し訳なさそうに眉を下げている。
こいつ、わざわざ礼を言いに来たのか。ちょっと生意気だけど、可愛いとこあるじゃん。
アストラは何となく優しい気持ちになり、かがんでリリーの頭をくしゃっと撫でた。
「だーから言ったろ? お前も牧師様も、必ず助けてやるってよ!」
アストラは白い歯を見せ、にかっと笑う。彼は「じゃあな!」と手を振り、自分の部屋へ歩いて行った。その大きな背中を、赤面したリリーはぼんやりと眺めていたのだった。
アストラに撫でてもらった頭を、右手でそっと押さえながら。
──数週間後。牧師カルヴァンの病は完治し、元通りの生活を送れるようになった。辺境の村ルピスには、また平和な日常が流れ始める。
しかしこの事件がきっかけで、リリーが特効薬のない病にかかってしまったことを、女心に鈍感な剣士は、まだ何も知らないのであった。




