巡り会う奇跡
──一方、その日の夕方にエレナとアストラは、魔法で懐かしい故郷へ帰ってきた。
ルピス内をすぐさま走り回って確認をすると、リリーや村の者たちは、嬉しいことに全員無事であった。ヴェスタ王国の魔法使いたちが結界を張り、火の玉の威力を弱めてくれていたからだ。
再会したリリーとエレナは、がっちり抱擁し大泣きした。二人は村の人々が見守る中、生きている喜びを目一杯分かち合った。
──それからエレナとアストラは、ルピスでの生活へと戻った。次の日にユーティスは村を訪れ、しばらく忙しくなると告げてから、エレナたちの前に姿を現さなくなった。
大賢者という立場上、色んな仕事に追われているのだろう。忙しいところを邪魔してはいけない。
そう理解しつつも、淋しさと会いたい気持ちが山のように積み上がっていった。
ユーティスさんに、このまま会えなくなったりしないよね?
言い様のない不安を抱えながら、平穏な毎日を過ごす。
あの日ユーティスは、これからのことを思案し、迷っているようだった。呪いが解け、大きな旅の目的を果たした彼は、次にどう歩みを進めるのか。エレナには全く予想がつかなかった。
──魔王との決戦から二週間が経った。
昼すぎ。雲一つない空とは裏腹に、肌寒い空気がルピスを包んでいる。
藍色のローブ姿のエレナは、村長に頼まれた仕事を終え、村の広場の椅子に座って【大賢者伝記】を読んでいた。ここへ帰ってきてから、日課が復活したのだ。
いつものように文を目で追いながら、エレナは愛する人に想いを馳せる。ユーティスは今、どこに居るのだろう。元気にしているだろうか。一人で悩んでいないだろうか。
彼の慈しみに満ちた笑顔が、どうしたって頭から離れない。
「エレナさん」
この声は……!
ひときわ大きな心音が鳴り、弾かれたように振り向いた。そこには蒼い首飾りと白いローブを身に付けた、綺麗な男が立っていた。
「ユーティスさん!」
エレナは本を両手に持ち、嬉々として椅子から立ち上がる。ユーティスは柔らかい笑みを浮かべ、軽く会釈した。
「お久しぶりです、エレナさん。お元気でしたか?」
「はい! とっても! ユーティスさんは?」
「ええ。元気でした。実は今日、エレナさんにお話があって来たのです。ちょっとお時間よろしいでしょうか?」
「はい! 大丈夫です!」
話って、一体何だろう?
エレナは緊張した面持ちで、ユーティスと丘の上まで歩いた。そこは木々がまばらに生えており、民家や孤児院、広大な田園が一望出来る場所だ。人は誰もおらず、小鳥たちのお喋りの声だけがわずかに聞こえていた。
ユーティスはエレナの右隣でのどかな景色を見下ろしながら、話し始めた。
「二週間前、ミョルニさんたちの様子を見に行った時、おばあ様からランドルグへ来ないかとお誘いがありました」
「そうなんですか! 嬉しいですね! ネルバさん、ユーティスさんのこと、全然嫌ってなかったでしょう?」
「はい。とても優しく接してくださいました。話せて良かったです。おばあ様は今後、妖精族の生き残りを探してみたいとおっしゃっていました。私が見つかったことで、希望を持ってくださったのだと思います」
「ユーティスさんは、ネルバさんと一緒に暮らそうと思ってるんですか?」
「いえ。頻繁に会いに行こうとは思うのですが、そのつもりはありません。やりたいことがあるので」
「じゃあノース王国の大賢者として、ダミア様と頑張るんですか?」
「そのことなのですが……私は先日、大賢者という地位を、ダミア様にお返ししたのです。今回の件で皆さんにたくさんご迷惑をおかけしたので、一から出直そうと思います」
現状を皆が許しても、自分自身が罪を許さなかったのだろう。真面目で責任感の強い、彼らしい決断だなと、エレナは思った。ユーティスはエレナをちらと見て語りかけた。
「覚えていますか? 私に弟子入りを志願された日のことを」
「はい。あの時は夢中で、名乗るのも忘れてました」
エレナは苦笑いする。よく知りもしないのに、いきなり『弟子にしてください!』なんて、客観的に見たらとんでもない奴だなと思う。それをまともに対応してくれたユーティスには、感謝しかない。
「ああ、そうでしたね。出会ってすぐでしたので、驚いたのをよく覚えています。懐かしい思い出ですね」
ユーティスは眉を下げ、遠くを見つめて言った。
「もしかしたら私は、あの当時からエレナさんに惹かれていたのかもしれません。私を畏れず声をかけてくれた、あなたに」
ユーティスは急に引き締まった面差しをして、エレナへ向き直った。どきりとして彼を見つめれば、栗色の髪が風になびいて艶めいていた。
彼の真剣な声が、はっきりと響き渡る。
「エレナさん。私はあなたの憧れる大賢者ではなくなってしまいました。今や何の地位もない魔法使いです。けれども一つ夢が出来ました」
「はい」
「私はこの手で作りたいのです。種族や力の有無を越え、互いが尊重し合える世界を。全ての者が等しく笑顔で暮らせる世界を」
「素敵ですね」
「そして、エレナさん。その夢への旅に、あなたも同行してほしいのです。どうか私に協力してください」
「……私で、いいんですか?」
この二週間、エレナは彼にとっての幸せは何なのかを考えていた。もちろん自分はユーティスと離れたくなかったが、例え彼がどんな道を選んでも、絶対に応援しようと決めていたのだ。
その選択肢に自分が出てくるとは、考えもつかなかった。
ユーティスは首を小さく横へ振った。
「違います。エレナさんでなければ、だめなのです。私は他の誰でもない、【あなた】と一緒に居たい。エレナさんが側に居てくれたら、私はどんな苦しみも乗り越えられる」
ユーティスはエレナに力ある眼差しを送る。そして胸に右手を当て、強く強く、言葉を紡いでいく。
「私はあなたを、この世界で一番、愛しています。どうか命尽きるその日まで、私の側に居てください。お願いします」
ユーティスさんが、私を……?
想いの込もった告白が、深く自分の中に浸透する。胸が沸騰したみたいに熱い。エレナは歓喜にうち震えていた。
「ユーティスさん」
心が告げろと言っている。あなたに気持ちを届けたいと叫んでる。
本を抱き目を潤ませたエレナは、彼に真っ直ぐな視線を送る。鼻の奥がつんと痛くて、言葉が思うように出てこない。彼女は大きく息を吸い、秘めた想いを一生懸命、口にした。
「私も、この世界で一番、あなたを愛しています。だからこれからもずっと、側に居させてください」
彼女の答えに、ユーティスは安堵の表情をした後、眩しいまでの笑みをその顔にたたえた。
「……こんなに嬉しいことはない」
ユーティスは感極まった声で呟き、長い腕を広げてエレナを抱き締める。
羽ばたく音と共に、白い鳥たちが地面から空へ一斉に飛び立つ。突然の出来事に、エレナの手から本が滑り落ちた。
心安らぐ匂いに包まれ、彼女の心臓は息苦しくなるほど暴れる。
「ずっと、あなたが欲しかった。やっと、あなたに手を伸ばせる」
耳元で低く囁かれたユーティスの言葉に、長い間自分は想われていたんだと気付く。
恐らく彼は非情な運命を知り、命を諦め、自分の本心を押し殺し続けていた。
戦いが終わったことで、彼の心は重い鎖から解き放たれたのだ。もう自分を偽らなくてもいい。ありのままの想いを、愛する人に届けられる。
ふいに腕の力を緩めたユーティスが、エレナを色っぽく見つめた。優しい手のひらで彼女の両頬を包む。触れられた部分が、かぁっと熱を帯びた。吸い込まれるような深緑の瞳に、自分の姿だけが閉じ込められている。
とくん、とくん、と騒がしい鼓動。ゆっくりと近付いてくる端正な顔。
視界が彼で埋め尽くされ、恥ずかしさに耐え切れなくなったエレナは、まぶたを閉じた。
次の瞬間、唇がそっと重なる。
伝わる柔らかさと温かさ。甘くしびれるような感覚が全身を駆け巡り、力が抜けて立っていられなくなりそうだった。溢れる愛しさと嬉しさに胸がいっぱいになって、涙が好き勝手に流れ落ちる。
しばらくしてから、少し切なげに遠ざかる唇。
頬を赤く染めた二人は、互いの顔を見つめ合う。ユーティスの瞳からも、喜びの雫がきらめいていた。
愛する人が側に居る。
自分を愛してくれている。
それがこんなに素晴らしく、心満たされるものなのかと、エレナは身をもって実感した。
あの日、ユーティスがエレナの村に足を運んでいなければ。
エレナが大賢者を目指していなければ。
旅をしそれぞれの過去と痛みを知らなければ。
巨大な悪と、自分自身に立ち向かわなければ。
どの出来事が欠けても、この瞬間は生まれなかった。
いくつもの偶然が積み重なって、今がある。
共に愛し合える相手に巡り会えたことこそが、彼らにとって紛れもなく奇跡だった。
視界に広がる風景が鮮やかに色づき、素晴らしく輝いて見える。天から降りる柔らかな日差しも、さざめく木々の葉音も、吸い込む冷たい空気でさえ、いとおしい。
この世界全てが、二人の愛を祝福してくれているみたいだ。
エレナとユーティスは微笑み、手に入れた幸せを噛み締めるかのごとく、目をつむり、もう一度きつく抱き合ったのだった。
「エレナさん。私はあなたを一生、離さない」
「はい。私もあなたを一生、離しません」




