命令と正義
十分後。
ルカーヌとゼクターは装備を整え、ヴェスタ王国の門を抜けてすぐの場所に集まった。空は雲に覆われ、平原を覆う緑もくすんで見える。
二人はそれぞれ愛用の杖を持ち、腰には短剣を下げている。
少し遅れてやって来たロゼは、長剣を携え、さっきとは違う紫の鎧を纏っていた。鈍く光を放つ鎧は、硬質で重量感がある。だがロゼの身のこなしは美しく軽やかで、日頃から厳しい鍛練に励んでいるのがよく分かった。
時折吹いてくる冷たい風に、青年の赤いマントがなびいている。長い前髪を掻き上げると、黒い瞳が鋭さを帯びていた。
「では、お二人とも。僭越ながら僕から作戦の提案をさせていただきます」
「うむ。お話をうかがいましょう」
「ありがとうございます。まず、討伐部隊を三つに分けたいと思います。僕が三国の兵士たちを率い、破壊の魔法使い殿は父上たちの護衛を。ゼクター殿は二国の魔法使いたちを指揮してください」
「わたしが魔法使い全員をですか?」
「ええ。日頃から多くの団員を統括されているあなたなら、難しくはないでしょう?」
「過分な評価、恐縮でございます。このゼクター、イスト王国の誇りに賭け、ご期待に添えるよう尽力いたします」
「こちらも了承いたしました。それがしは陛下たちをお守りしつつ、いち早く魔物の群れを見つけ出します。発見後は上級魔法を撃ち込み、奴らの陣を崩しますので、ロゼ殿下たちは弱った個体から追撃し、討ち取ってくだされ」
「心得ました。あと魔王らしき存在を見つけたら、各自連絡を取り合いましょう。あちらが攻撃を仕掛ける前に、なるだけ全員でダメージを与えるのです。危険因子である魔王を仕留めるのが、作戦の最も優先すべき点と言えます。その他の魔物は、操る者が死ねば勝手にばらばらになるでしょうから、逃げた個体は深追いせず、ご自分たちの安全確保を行ってください」
ルカーヌは話に聞き入り無言でうなずいた。このロゼという男、なかなか頭脳明晰である。他国の要人を前にしても動じず、率先して作戦を取り仕切る姿に、若者ながら頼もしさを覚えた。
ゼクター殿は大丈夫であろうか?
大役を仰せつかり不安を感じてはいないかと、ルカーヌは案じた。そこでゼクターをちらりと流し見ると、彼が暗い表情でロゼを眺めているのに気付いた。
「どうされたのだ、ゼクター殿?」
「あ、いえ。何でもありません。ちょっと緊張してしまって」
慌てて微笑みを向けてくるゼクターを、ルカーヌは注意深く観察した。大広間で見せた勇ましい様子とは違う。何やら思い詰めた目をしていたのだ。
ルカーヌは彼が現在置かれている状況を想像した。
恐らくスコルディー閣下が原因だな。
他国の人間に協力を要請した彼女が、自らが持つ有能な魔法使いを利用しないわけがない。
ゼクターもこの一件が済み次第、マウルたちを消すよう命令されたのだろう。
ルカーヌは何度かゼクターと話す機会があり、彼が子供想いの優しい父親であると、以前から知っていた。
そんな彼が騙し討ちのような真似をしろと言われて、納得しているとは到底思えない。
だが内心反発していても、主君に逆らえはしないだろう。なぜならイスト王国には愛する家族が居る。悪く言えば人質を取られている状態なのだ。自分がスコルディーに背けば、大切な者たちが危険にさらされる。それが分かっているから、ゼクターは酷く思い悩んでいるのだろう。
そう結論に至ってから、ルカーヌはロゼに真顔で声をかけた。
「ロゼ殿下。それがしはゼクター殿と、使用する魔法について相談したく存じます。その間殿下は、集まった兵士たちに取り決めた事柄を通達してきてはもらえませぬか?」
「ええ。構いませんよ」
「お手数をおかけしますが、なにとぞよろしくお願いいたします」
ロゼは爽やかに一礼し、少し離れた場所にぞくぞくと集結している兵士と魔法使いたちの元へ、駆けていった。
ルカーヌは彼が遠くへ去ったのを確認し、小声で問いかけた。
「ゼクター殿。そなた、マウル閣下らを殺すよう、主君に命じられておるな?」
「!? どうしてそれを?」
「年寄りの勘というやつだ。良ければ話を聞こう」
「さすがは破壊の魔法使い殿ですね。参りました。……わたしは迷っているのです。自分の信念に反することを主君が望まれている。その命令を遂行するべきか、自らの心に従うべきか。決断しかねているのです」
ゼクターは草むらを睨み、弱々しく告げる。予想通りか、とルカーヌは眉間にしわを寄せた。
「それがしは裏切りが明確になるまで、彼らに手は出さぬが、そなたの立場は難儀であるな。どちらが正解なのか、助言も出来ぬ。いかに主君や国のためと覚悟を決めていても、心揺らぐことはあるからな」
ルカーヌはゼクターと自分の状況を重ねていた。
ノース王国、第二の実力者として名高い彼も、完璧ではない。苦しみながら手探りで自分の道を進んでいる。時には他者の都合など顧みず、冷酷に生きられたらどれだけ楽だろうと考えたりもする。しかしそうなってはくれないのだ。彼の心根がそれを良しとしないから。
ルカーヌはしばらく沈黙した後、静かに語りかけた。
「だが、そなたに一つだけ言えることがある。ゼクター殿には娘がおるであろう?」
「はい」
「ならば彼女に胸を張れぬような生き方はするな。子は親に憧れ、慕い、その背中を見て育つ。自分の信じる道を貫くのだ。それがしも己が正義を求め、戦う」
「破壊の魔法使い殿……」
「もし反旗を翻すなら協力は惜しまぬが、最終の決定はそなたに委ねる。まずは魔王を倒さねばな」
ルカーヌはゼクターの肩を左手で叩いた。
「皆へ被害が及ばぬよう、それがしは遠方の敵を中心に攻撃魔法を放つ。接近戦はゼクター殿たちに任せた。全てを終わらせ、必ず故郷へ帰ろうぞ」
それだけ言ってルカーヌはきびすを返し、ロゼたちの所へ歩いていった。優しい彼と敵対せずにいられるよう、強く願って──。
『魔王討伐が終わったら、お主らの魔法で、敵国ヴェスタの者たちを殺せ。もしノース王国の人間が邪魔をするなら、彼らも全員始末して構わん』
冷徹な女王に突きつけられた言葉が、ゼクターの頭をぐるぐると回っている。目的を達成するためなら、どんな犠牲も払う。それが彼女のやり方だ。
ゼクターは杖をぎゅっと握り、重苦しく呟いた。
「国のため、罪なき命を奪うことが、果たして正義と言えるのか……?」
心に娘と妻の笑顔が浮かぶ。彼はその場に立ち尽くしたまま、闘志を燃やす兵士や魔法使いたちに、悲しい視線を送り続けるのであった。




