誕生
それからは坂を転がり落ちるかのように、事態は悪化していった。
じわり、じわりと、巡り会う人々の声が、ユーティスの心を確実に追い詰めていった。
『凄まじい力だ。本当に、人間なのか?』
『早く出ていってくれないかな?』
『あの魔力は妖精の血を引くからか。恐ろしいことよ』
『怖い。子供たちに近付かないで』
『逆らえば殺されるぞ』
『邪魔者は消さなければならない』
『手に入らぬなら、いっそ殺してしまえ』
憎悪、欲望、嫌悪、畏れ、憤怒、拒絶、嫉妬、不安。
そうした負の感情が自分へ向いた時にだけ、心の声が聞こえてしまうのだと、ユーティスはいつしか理解した。
皆、私に優しく笑いかける。綺麗な言葉で褒め称える。なのに心の中では私を嫌い、ことごとく遠ざけようとしている。
人間の持つ汚い裏側。
呪いによってそれを知ったユーティスは、もう誰も信じられなくなった。人と接するのが辛くなり、何度も頭痛やめまい、吐き気に襲われ、次第に他人との関わり自体を避けるようになった。
だが、呪いの効果は日に日に強まり、今度はユーティスに悪夢を見せるようになった。毎晩たくさんの冷酷な声を浴びせられ、息苦しくて目が覚める。
彼は眠るのすら怖くなった。
休まらぬ身体。
終わりのない絶望。
深まる孤独。
ユーティスの心身は磨耗し、疲れ果てていった。
なぜ私は苦しんでいる?
なぜ皆、私を畏れ、嫌い、避ける?
私が何をしたというのだ?
私はただ、強くなって、魔王を倒したかった。
幸せになりたかった。
自分に出来た唯一の居場所を守りたかった。
それなのに、どうして皆、私の存在を否定する?
彼は何も悪いことはしていない。生まれつき、魔力量と魔法の才能に恵まれただけだ。それ以外は皆と何ら変わらない。同じ心を持った人間なのだ。
なぜ皆、本当の私を、見ようとはしない?
巨大な悲しみと一緒に、いつからかどす黒い感情が胸の奥底から噴き出してきた。
憎い。自分勝手な人々も、その者たちの幸せも。全てが憎い。
人間など、皆、居なくなってしまえばいいのだ。こんな世界など、何もかも失くなってしまえばいいのだ。
──ユーティスが目覚めてから、半年が経った。
ぼろぼろだった彼の精神は限界を越え、異常をきたし始めていた。脳内に甘美な囁きが聞こえるようになったのだ。
『お前の強大な力を使えば、この世界を消すことが出来る。思うように作り替えることが出来る』
『邪魔者は全員、焼き払えばいい。そうすれば、お前の心は満たされる。その渇きを潤せる』
『お前を傷付けた奴らに復讐するのだ』
『潰せ。奪え。殺し尽くせ。お前が望むままに、この憎き世界を破壊しろ』
ユーティスは自分に生まれた恐ろしい感情を受け入れなかった。こんな醜い心、あってはならない。誰にも知られてはならないと思った。
認めない。こんな感情は私のものじゃない。絶対に、違う……!
そうやって、自分を支配しようとする邪悪な声を、全力で拒み続けた。いつ、何時も、繰り返される攻防。
そして、とうとう、運命の日が訪れてしまう。
──そこからさらに半年後。
血の色をした太陽が、地平線に足を沈める頃。
森を調査中、具合が悪くなったユーティスは、廃れた丸太小屋に立ち寄り、仮眠をとっていた。
四角い部屋。一つだけある腰窓からオレンジの光が差し込んでいる。ユーティスは窓際で、椅子に腰かけ机に突っ伏していた。杖と荷物は無造作に床へ転がっている。左の首筋のあざは長い蛇の姿へと成長していた。
「来るな……聞きたくない…………止めろっ!」
またも悪夢にうなされるユーティス。
斜光に照らされて出来た彼の黒い影が、木の壁に映っている。突如、それが意思を持ったかのように、ひとりでに揺れ始めた。ぐねぐねと不気味にうごめく影は、やがてユーティスから離れ、人の形へと変化した。
「……! 誰だ、お前は!? 何者だっ!?」
大きな魔力を感じて、ユーティスは反射的に飛び退く。
ほの暗い室内には闇色のローブの男が、圧倒的な存在感を放ちながら立っていた。
「くくく。『何者であるか』、だと?」
男は不吉な笑い声を上げた。彼の発する禍々しいオーラによって、部屋の空気全体が重くなる。
「【博識の魔法使い】よ。貴様は数多の知識を有しながら、そんな簡単なことも解らんのか?」
ゆるりと吐き出される蔑みの言葉が、ユーティスをさらに強張らせる。
一歩、また一歩と、男の尖った靴音が近付いてくる。
ユーティスは身構え、迎え撃つ準備をした。
美しい夕日に照らし出される、魅力的な男。ユーティスは彼のある部分に釘付けとなった。
「お前は、まさか……」
愕然とするユーティスにとろけるような慈愛の視線を向け、男は薄い唇を艶めかしく上げた。
「我が名はウーディニア。貴様の悪しき心より生まれし者。──この世界の『神』となる存在だ」
波打つ黒紫の長髪と、狂気に満ちた赤い双眸。
そして首筋にくっきりと刻まれている、ユーティスと同じ【黒蛇のあざ】。
それは、彼ら二人が同一の存在であると、無情にも示していた──。




