めまい
それから一週間後の朝。
身体の傷が完治したユーティスは、各国の王が集う、会議に呼ばれた。白いローブ姿の彼は兵士に連れられ、ヴェスタ城内の大広間へ到着する。
……美しい。
大広間に入ってすぐ、高い天井からぶら下がる、きらびやかなシャンデリアに目を奪われた。白地に金の模様があしらわれた壁を背に、巨大な絵画や豪奢な調度品が鎮座している。赤いカーペットの敷かれた室内には、艶々した飴色の円卓が用意されており、その真ん中には燭台が置かれている。
正面の席はマウル、右側はユーティスの主君であるダミアが腰かけていた。そして左側には、見目麗しい女がつんと背筋を伸ばして座っている。
女は長い銀髪を後頭部で纏め、薄水色のドレスを身に付けていた。両耳と空いた胸元には大粒の宝石。さらに厚手の蒼いガウンを纏っている。
「お主が博識の魔法使い殿だな?」
女はカールしたまつげを持ち上げ、大きな瞳をユーティスへ向ける。彼が「はい」と返事をすると、女は気品を漂わせながら、うっすら笑みを浮かべた。
「わらわはスコルディー=イストリアン。東のイスト王国を治める者だ。お主の噂は以前より耳にしておる。多大なる知識と魔力を備えた、素晴らしい魔法使いであるとな」
「もったいなきお言葉。恐縮にございます」
ユーティスは失礼のないよう、丁寧に頭を下げる。
「そうかしこまるでない。わらわは身分に重きを置かぬ。出身が何であれ、強き者には敬意を払うのだ。今後お主とはぜひとも交流を深めたいと思う」
『力ある上級魔法使い。取り込めばこちらが優位に立てる。うまくこの男を利用してやろう』
まただ。この声は一体、何なのだろう?
スコルディーは口を開いていない。それなのに、はっきりと彼女の声が聞こえている。不思議な現象に心惑わされていると、席に座るダミアが彼を呼んだ。
「ユーティスよ。身体の調子はどうだ?」
たっぷりある白ひげを震わせて、ダミアが聞いてくる。黒のスーツに黄土色のガウンを羽織っている彼は、案ずるような瞳をしていた。
「陛下。ご心配をおかけしました。けがは治癒の魔法使い様のおかげで、すっかり治っております。首に出来たあざだけは、まだ消えておりませんが」
「そうか。本当に無事で何よりだった。さあ、朕の横に座るがよいぞ」
ダミアは朗らかに言って、自分の隣の席を手のひらで差した。ユーティスは礼をしてそこへ腰かける。
四人揃ったところで、マウルは威厳を醸し出しながら話し始めた。
「まずは、博識の魔法使い殿。今日、ここへ出向いてくれたことに、謝意を表する」
「いえ。こちらこそ、このような重要な場にお招きいただき、まことにありがとうございます。早速ですが、今回の議題についてお話をうかがってもよろしいでしょうか?」
「うむ。お主に会議に出席してもらったのは他でもない。上級クラスの魔物の討伐に協力して欲しいからだ」
「討伐ですか」
「ああ。フォボスが居なくなった今、支配者を失くした魔物共が、各地で見境なく暴れておる。お主の魔法の力でそれらを討ってもらいたいのだ。怪我が完治したばかりで心苦しいのであるが……。どうだ? 引き受けてくれるか?」
ダミアが申し訳なさそうに尋ねる。ユーティスは笑顔で首を縦に振った。
「承知いたしました。陛下のご所望とあらば、どこへでも参らせていただきます」
「頼もしいな。では、わらわも王国魔法団の精鋭を派遣しよう」
「いや。スコルディー閣下。優秀な魔法使いたちを送り出してもかまわんのか? イスト王国内の防衛が手薄になるぞ。この件は博識の魔法使い殿に一任したらどうだ?」
「ふむ。マウル閣下。心配は無用だ。戦力はフォボスのせいで減りはしたが、十分に余裕がある。一人二人出向したところで、問題はない」
彼らはにこやかな笑顔でそれぞれの意見を述べる。まるで友人のような気安さだ。少なくともユーティスには、そう見えていた。
しかし、それはすぐに覆された。
『スコルディーの奴。この魔法使いとひそかに接触し、味方に引き入れるつもりだな? 女狐が。そうはさせんぞ』
『マウルめ。彼とわらわを関わらせんつもりか。相変わらず狡い男よ。反吐が出るわ』
話の合間、強い憎しみと侮蔑のこもった声が鮮明に聞こえてきた。
ぞわりと背筋が寒くなり、動悸がしてくる。
これはもしや、彼らの心の声なのか?
気持ちが悪い。なぜこの王たちは、腹の中で互いを激しく嫌いながら、こんなに楽しそうに笑っているのか。
隣に居るダミアをちらと見ると、穏やかな態度を崩していない。彼らの心の声は、どうやらユーティスにしか届いていないようだ。
会話を弾ませながら、王たちのひそかな罵り合いは続く。ユーティスはだんだん頭が痛くなってきて、額を右手で押さえた。彼の顔色が優れないことに気付いたらしく、ダミアが眉を下げて尋ねてくる。
「博識の魔法使いよ。どうかしたのか?」
「申し訳ありません。少し具合が悪くなってまいりました」
「おお、そうであったか。ならば遠慮せず休むがよい。会議の決定はまた後ほど従者に伝えさせよう。よろしいですな? スコルディー閣下。マウル閣下」
「うむ。もちろん構わん。詳細なら、わらわたち三人で話し合えばよかろう」
「余も同意である。衛兵! ポロンを呼んでまいれ!」
マウルは扉の側に控えている兵士に命令を飛ばす。
「いえ。お気遣いなく。一人で客室へ戻れますから」
ユーティスは立ち上がり、王たちに背を向け歩み出した。一刻も早くこの場から立ち去りたい。だが酔っているかのごとく足元がふらついて、思うように前へ進めなかった。
『あの男の力は余の物だ。どんな手を使っても、必ず手に入れてみせる』
『魔王を滅ぼすほどの強大な力。わらわ以外の誰にも渡してなるものか』
欲望渦巻くどろりとした声が、鼓膜を震わせる。息が詰まり、左の首筋が突如ずきずきと痛みを訴え出した。
何だ、これは。苦しい。身体が、動かない。
襲ってくる激しいめまい。ユーティスはうずくまり、そのまま大広間の扉の前で倒れてしまったのだった。




