偽りの物語
引き締まる空気。
エレナとアストラは突っ立ったまま、じっと耳を傾ける。ネルバはクラドーに支えてもらいながら立ち上がり、語り始めた。
「千年前。私とクラドーの祖先は、人間と共に暮らしていた。竜と精霊と人間。姿形は違うものの、互いに助け合い平和な時を過ごしていた。
だが、いつからか人間は、我らの大いなる力を妬み、欲するようになった。そして愚かにも力を奪おうとし、それが叶わないと知るや我らに牙を剥いた。いにしえの戦争は、人間共の裏切りによって起きたのだ」
「待てよ。言い伝えと全然違うぜ? おれらが聞いた話では、竜と精霊が一緒に人間を滅ぼそうとして……そんで勇者と魔法使いに倒されたって」
「あやつらは戦争が終わった後、自分たちに都合の悪い事実を隠した。犯した罪の責任を我らに押し付け、自らの行いを正当化し、あたかも美しい物語のように仕立て上げたのだ」
「じゃあ本当はどうだったんですか?」
「何もかも、逆だ。かの戦争は、人間から仕掛けた。精霊と竜を排除し、世界を我が物にするためにな」
「排除、だなんて」
それは命に向ける言葉とは思えなかった。自分たちの利にならないからと、簡単に切り捨てる。古代の人間は、彼らを物同然に扱ったのだ。
ネルバは暗く陰った目を伏せ、話し続ける。
「いにしえの時代から、精霊は膨大な魔力を持ち、竜はあらゆる攻撃魔法も効かぬ、強靭な肉体を持っていた。真正面から両者と戦うのは、分が悪い。だから人間共は、それに対抗する恐ろしい手段を独自に作り出した。悪意を利用した『闇魔法』だ」
「じゃあ、もともと闇魔法は、存在してなかったんですか?」
「ああ、そうだ。古代精霊王の手記によれば、人間たちは祭りと称して竜と精霊を集め、油断しているところに巨大な闇魔法を放ったらしい。そうして人間優勢の戦いは始まり、多くの罪なき仲間が命を落とした」
「そんな……」
「しかし、悲劇はそれだけでは終わらなかった。闇魔法を何度も行使した魔法使いらが、今度は凶悪な魔物に姿を変え全種族を殺し始めたのだ」
「闇に心を壊されたんですね?」
「そうだ。魔物となった者たちは、三種族の協力によって、どうにか葬られたのだが。──戦争後、我らの祖先は、住み慣れた土地を捨て森に身を隠した。卑怯で薄汚い人間たちとの交流を完全に断ち切るために」
『どうして彼らは、ここから去らなければいけなかったんだろう?』
エレナは以前、古代遺跡を訪れた際に湧いた疑問を思い出していた。彼らは望んで姿を消したわけではなかった。人間から身を守るため、逃げざるを得なかったのだ。
「だがあやつらは執拗に我らを追った。その魔力と知識の全てを奪うために。精霊は小人族と妖精族に分かれ、世界各地を転々とした。また、生き残った竜族も、邪悪な者として人間共に追われていた」
ふとクラドーが沈痛な面持ちとなる。ネルバは労るように彼の首を撫でた。
「数百年前、クラドーは友である私を訪ね、助けを乞うた。『一族にかけられた呪いを解いて欲しい』と。彼らを救うため、私は一人妖精の森を出て、ランドルグに移り住んだ。この厳しい地ならば誰にも見つからず、呪いの治療に専念出来ると思ったのでな。
そして闇魔法の研究と実験を重ね、呪いの進行を遅らせることに成功し、後に解呪の魔法も習得した。だがその代償は大きく、今では一日の大半を眠って過ごさなければならなくなった」
「吾輩と子供らが救われたのは、ネルバのお陰だ。彼女は自身の寿命を魔法で無理矢理引き延ばしてまで、我らの力になってくれた。ネルバの解呪魔法がなければ、竜族は一体残らず滅んでいただろう」
「そう、だったんですか」
エレナはかすれ声を落とした。知らされた事実はあまりにも醜く衝撃的で。これまで自分は、本当に何も知らずに生きて来たんだなと実感した。
どうして人間は自分のことばかり考えるの? どうして自分と違うものを認めようとしないの? みんな同じように、生きてるのに。
許せなかった。同じ人間として、恥ずかしかった。恨まれても当然なのだ。クラドーやネルバには、何の非もない。
「お主らに分かるか? 我らが仲間の無念を。積み重ねてきた悲しみを。お主ら人間は自分勝手で嘘つきだ。自らの欲望のために、平気で他者から幸せを奪う。そんな者たちとどうして仲良く暮らせようか? 同じ世界で生きられようか?」
痛烈な問いかけが胸にぐさりと突き刺さる。ネルバは形のいい唇を、小刻みに震わせていた。気丈に振る舞っているが、涙をこらえているのが見てとれる。
「ごめんなさい」
エレナはネルバとクラドーに謝った。それ以外、出来ることが見つからなかった。自分たちが直接彼らを傷付けてしまったわけではない。だが無関係だとも思えなかった。
数百年もの間、ネルバやクラドーは、どれだけ人間から酷い目に遭わされてきたのだろう。彼らの心の傷は、もしかしたら死ぬまで癒えないのかもしれない。なぜなら過去はどうあっても変えられないから。
例えどんなに強大で素晴らしい魔法を使えたとしても。
愚かな人間に奪われた仲間たちの命は、もう二度と蘇らないのだから。
「何も知らなくて…………私たち人間のせいで、本当に、ごめんなさい」
涙がとめどなくこぼれ落ちる。彼女らの痛みを想像すると、ただただ申し訳なくて、やりきれない。
エレナの隣で、アストラも苦しげな表情をし、うつむいていた。ネルバは予想外の謝罪に困惑しているのか、何もない空間へ視線を滑らせた。
「これで分かったであろう? お主ら人間は、我らにとって害悪以外の何者でもない。理解したなら私の前から失せろ。永久にここへ足を踏み入れるな」
「ごめんなさい……。でも、呪いを解く魔法はどうしても教えて欲しいんです。お願いします」
エレナは腰を折り曲げ、懸命に頼み込む。ネルバは髪を振り乱し、吐き捨てるように言った。
「まだそのような戯れ言を申すのか! どのような事情であれ、人間を助けてやる気など欠片もない!! 早々に立ち去れ!!」
「勝手なことを言ってるのは、分かってます! でも時間がないんです! ユーティスさんを助けるためだったら、どんなことでもします! だからどうか協力してください! お願いします!!」
「おれからも、頼む! この通りだ!!」
アストラもネルバに向かって思い切り頭を下げた。彼女は拳を握り、二人の頭をきつく睨みつけている。
息の詰まりそうな沈黙。
それをクラドーが、なだめるような声で破った。




