9、12月30日 伏線を予習して来たのに映画が頭に入って来ないという悲劇
「今更だけどさ、彼女いないの?」
シネコンのホールにて映画を待つ間、今更な、本当に今更な会話から始まり━━
彼女が存在するなら当然クリスマス連休やら年末年始の休みにこうも時間があるはずもなく、当然いないと言いやがるので「だったら」と追い詰めた。
「どういう人がいいのよ」
「つま先が細いブーツ履いてる人とか」
……なんかマニアックに感じるのはなぜかな。
「ていうか好きな人いるよ?」
「いるのかよ! だったらそっち行けよ!」
ホント君何やってるんだよ、と。
「なかなかガードが固くて。年上なんだよね」
「あー……まぁ年下は、っていう人いるしね」
「生まれる時なんて選べないのにそこで決めるのっておかしくない?」
「まあそうなんだけどさ、恋愛ってタイミングっていうのもあるじゃん? 生まれるタイミングが悪かった、的な?」
「ちょっとはなんかフォローしてよ」
「嫌だよ」
何ら悲壮感もなく苦笑されても、同情する気にもなれず即断ってやった。
「無責任にけしかけたりして後でうまく行かなかったって文句言われたくない」
「手強い」
「手強いも何も」
そんな会話をしながら、いかんなと思うワケで。
誤魔化そうと腕時計を確認し、何の気なしにこれから入る劇場の入り口を見ただけだったのに。
視線の先に三ヵ月振りくらいに見る見知った顔。
こんな時に限って目があっちゃって向こうも一瞬固まって、話の途中だったのか傍らの女性が彼を見上げる。
彼よりだいぶ背が低い後ろ姿。後頭部しか見えないけどその格好からして多分若い。私なんかはもう履けない、柔らかいシフォンのスカート。
後ろ姿だけで十分だったのに、男が固まるもんだからその女性もこちらを振り返りそうになって━━
あ、ダメ。
これ目が合う。
緊張なのか年による動悸なのか、押し寄せるものが限界に達しかけたその瞬間、
「月ちゃん」
ハルのその一言で金縛りが解けた。
それはほんの一瞬だったんだろうけど。
のろのろと声の主を見上げる。
「そろそろ時間だよ」
いつもの綺麗な笑顔。
それなのに何もかも見透かしたように見えるのは、私がこんな心境だからなのか。
今からこの中に入るのかぁ。
……なんだかなぁ。
正直、気が進まないっていうか、行きたくない。
入りたくない。
だって、中にはさっきの二人もいるんだから。
咄嗟にそう思ってしまって、何か理由をつけて帰ろうと口を開きかけると同時に、きゅっと手を握り込まれた。
昔から頭がいいと言われていた従弟は私の反応を待たずに一歩踏み出し、つられるように視線を戻せば二人はすでに劇場内に入っていたらしく見当たらなかった。
「あ、ごめん。ブランケット借りるの忘れた。頼んでいい?」
「あ、あ。うん。私も欲しいからもらって来るね」
分かってるよ。
先に入って元カレとその彼女さんの席をチェックしてくれるんでしょ?
ホントなら自分で取りに行くタイプだろうし。
はいはい、もう逃げようなんて考えませんよ。素直に従うよ。
これであまりにも近かったりしたらどうするんだろ。
頭の切れる従弟がどう切り抜けるのかと思うとちょっと期待してしまって、少しだけ足取りが軽くなってブランケットの貸し出しのお兄さんの所へ行きましたとも。
戻れば入り口の脇で軽く手を上げて合図を寄越して来る。
「けっこう人いるから場所分からないと思って」
正直まだ緊張はしているけど、「子供じゃないんだから」と笑って一緒に入った。
逃げ帰るんじゃないかと様子を見られていたのかもしれない。
劇場をリピートするのは初めてだわ。
だからだろうと言う事にする。
あんまり頭に入って来ない。
アニメとか見るんだ。
見ないと思ってて、誘っても行かないって決めつけて、アニメを見に行く自分というのも恥ずかしい気がして言わずに自己完結して後輩と行ったんだよね。
……言ってみれば良かったのかな。
でもあの若い彼女の要望だから応えたのかもしれないしな。
……分かんね。
ため息が漏れた。
『なぁ、結婚とかいつ頃したいとか、そういうの考えてたりする?』
三十を過ぎて聞かれて、今さらそれをあなたが聞きますかと。
したいならしたいでプロポーズすればいいし、その気がないならこっちは結婚にそれほど執着がないからこのままでいいじゃないかと。
それでお互い「こりゃいかんわ」ってなったら別れたらいいんではないかと。
そう思ったけど当然そんな事は言えず。
プロポーズされてたら応じていたとは思うけど。
されないんだから縛る気もなかったら、惰性の付き合いになってしまって「こりゃいかんわ」と思った矢先、別れを打診された。
どうやら愛情を疑われて、張り合いがなくなったらしい。
こちらが交際を申し込んでもらった方で、それに胡坐をかいて驕っていたのか。
縋り付く事もなく「じゃあ」と別れたつもりだったけど、どうやら4年は長かったようで数か月で異性と一緒にいる所を見て動揺してしまった。
あの様子を見るとあっちも似たようなもんだったみたいだけど。まあこっちは明らかに若い綺麗な男と一緒なんだから、その気持ちも良く分かるってもんだし。
あ、今日スカートだわ。
普段は防寒の問題でスカート履かないんだけど、なんとなく。
髪も首が寒いから冬場はアップになんてしないのに、髪をおろしてるとこの間買ったフックピアスが目立たないからゆるくアップしちゃったりして。
あの人の前じゃ四年も一緒にいたから慣れちゃって冬は防寒第一だったのに、こんないつもと違う格好しちゃってなんか落ち着かない。
いや、格好なんて気付かないだろうとは思うけどもさ。
若い男と来たからちょっと着飾ってると思われるのが心外で、複雑な気がして。
ってなんでこんな言い訳めいた事考えてるんだか。
やだなぁ。
ああ、映像も音声も入って来ない。
何しに来たんだって話だわ。
と、突然右隣に掛けていたハルがこちらにもたれかかってくる。
寝た? やっぱ忙しいのにうちの行事につき合って仕事ムリしたんじゃないかな。
疲れてるんじゃ……
「月ちゃん、集中してる? この次くらいでしょ」
耳元で囁かれた。
周囲の迷惑にならないよう、誰にも聞こえないようにするためだろう、唇が耳に触れるかと言うほどの距離まで身を寄せてこっそりと掠れるような声だった。
ハルが小さかった頃、ナイショ話で耳元に話かけられてことはあったと思う。
でもそれとは全く違う、少しの熱を感じる吐息とともにそれは告げられてまた現実に引き戻された。
そうだ、終盤になってあっと言わせるような最も重要な伏線がここで仕掛けられている。
ここから怒涛の伏線ゾーン。
そこからは心を入れ替えて映像に集中することにした。
したんだけども、ナイショ話もどきをした時に軽く当たったハルの肩がそのまま離れなくて、身を引くのもあからさまで、そもそも年甲斐もなく変に緊張するとか何意識してるんだよって思うし、でも近くに人がいるって安心感というか癒され効果を感じないでもなくて、ああ触れるケアって病院や福祉施設でも実施されてるって言うしこういう事かーとか実感してみたりしていたら、結局、映画はイマイチうまく頭に入って来なかった。
もったいない。