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5、12月24日 おでんとシャンパーニュ


 油ギッシュなロールキャベツはインフルエンザっ子にはダメな気がするけど、おでんの大根とかは胃に優しいんじゃね?


 そうふと気付いて「要る?」と弟の旭に連絡すれば出掛けるついでに取りに来ると言っていた。

 夕方インターホンが鳴って、こちらが出る前に鍵を開けて玄関ドアが開く音が聞こえたが、一向に上がって来ない。

 インフル蔓延に配慮して上がらないつもりなんだろうな、うちの熊っ子は。


「上がって来たらいいのに」

 玄関に出てみたら案の定、靴を脱ぐ気配ゼロの四角の濃い顔の旭。


「いや、いいわ。おかんはもう遊び行った? まだいるなら送ってくけど」

「ううん。今日は足があったからもう行ったよ」

「じゃ、姉ちゃん今日一人?」

 したり顔でにやにや笑ってるけど━━


 一人ではないのよ。

 ほら、後ろ見てよ。

 まあこれが今日の母の『足』を務めてくれたんだけどね。


「お久しぶりです、旭……くん?」

 何と言ったものか一瞬迷って、昔通りそう呼んだハルだけど、突如家の奥から現れた長身の男の影に、旭はぽかんと口を開け、面白いくらい目を剥いたその直後声を上げた。


「うぉっ、びっくりしたー! お前ハルか! 姉ちゃんが若い男連れ込んでるのかと思ったじゃねーか」

「人聞きの悪い。あ、ハルあんまり近寄らない方がいいかも」

 旭は玄関の靴箱の上の消毒液で手を消毒して、マスク着用とはいえハルも納品直前の大事な体だ。

「ホントに上がらないのね? じゃあちょっと持って来るわ。牛スジどうしよっか。大根は多めにするね。ハル、牛スジ平気?」

「食べるけど、え、なに?」

「旭んとこの子おでんの牛スジが大好きなのよ」

 戸惑うハルに説明する。

 うちの甥っ子達は幼稚園児なのに牛スジ大好き兄弟なもんで、これでもかと多めに用意したものの……


「牛スジって風邪の時どうなの?ってカンジじゃない?」


 旭に聞きたかったけど、そこはやはり男親。完全に困惑顔になっている。

「でもめちゃくちゃ買ってんだろ? 持って帰った方が良くね? そんなにあっても困るだろ」

 殊勝にも気を遣ってくる弟に、口元がにやついた自覚がある。

 そりゃもう大いにな。

 そして堂々と宣言した。


「牛スジカレーにする」

 我ながら、今年一番のドヤ顔だったと思う。


「うっわ! ずっりー、マジでか」

 旭は大仰に天を仰いだ。


 牛スジカレー。この言葉の威力のはハンパなさ。

 まああまりに悔しがるので後で甥っ子達へのお年玉を授けてやった。

 私からと、両親から分。

 それからこの連休で食べる予定だったお取り寄せの冷凍のピザと、未開封のウィンナーもうちでは消費できないだろうからクーラーボックスに詰め込む。


「いつもあざーっす。とーさん達にもよろしく言っといて。メッセージは入れとくけど」

 大仰に両手で受領する旭に、ハルは「クリスマス前なのにもうお年玉?」と小さく首をかしげた。

「クリスマスはうちで過ごして、年末年始は奥さんの実家で過ごすのよ」

 なもんで毎年お年玉はクリスマスに旭に預けて、年明けに渡してもらうのがうちの慣例なんだけれども。


「ちょ、月ちゃん、お年玉袋余ってない? 俺もお年玉したい!」


 会社経営者が突如、実に挙動不審な感じで意味不明な事を言い出した。


「いやだって、俺一人っ子だから甥っ子姪っ子にお年玉あげるとかした事ないし!」

「いや、いいって」

 旭も困惑気味にやんわり断ってたけど、ハルが「今時って一万とか?」とか言い出した時点で「アホか。幼稚園児なんだからそんなにいらねーよ」とうまく躱して帰って行った。

 さすがディーラーの営業マンは伊達じゃないな。


 *


 おでんとシャンパーニュ。

 ……贅沢だなー。


 今日ハルは辛口の日本酒と白ワインとシャンパンを手土産にやって来て、うちの車で母を繁華街のディナーショーの行われるホテルまで送って帰ってきた。

 今日の午後、母と理沙さんの所に行ったところ、『ハルったら今夜も世話になるんでしょ? ホント月ちゃん大好きでごめんね。弥生さんはホテルまでハルに送らせるから』と言われた。

 相変わらず親子仲が良くてなんか可愛いんだよなー。


 昨日ハルは車で来ていて飲めず、普段何を飲んでいるかと聞かれて「赤ワインと焼酎はあんまり飲まないけどあとは割となんでもいける」と何も考えずに素直に答えたのがまずかった。

『同僚に酒屋の息子がいてさ。昨日のうちに頼んどいたんだ』

 今朝は酒屋のご子息に酒瓶持参で出社させたらしい。

 うん、なんでか私は辛口の日本酒をがっぽがっぽ飲んでるように思われがちだ。

 そしてお手数をおかけしました、酒屋のご子息。

 そんな重量級の手土産を持って徒歩20分以上かかる道のりを歩いて来るって、ハルも相当飲みたかったのか。

 ていうか母を送ってくれた後、酒瓶持ってきたらよかったのに。


 我が家は基本的に卓上コンロは出さない。

 コタツに鍋敷きをだして置いた大鍋。

 メリークリスマス、の声もなく食べ始めてすぐにハルが遠慮気味に口を開いた。

「このニンジンって……」

 大鍋の底にたゆたう賽の目切りのニンジン1本分。

 うん、まぁ。そりゃおでんにそんな物が大量に沈んでいればちょっとおかしいと思うだろう。

 いつもの癖でついうっかり細かくして入れちゃったんだよ。


「あー、ごめん。小さいニンジンは出来れば置いといてもらえる? 明日ルー入れてカレーにするんだ」


 ハルは愕然とした表情を浮かべた。

 そりゃそうだよねー、一般家庭では「ナイ」よねー


 そう思ったのに。


「そう言う事かッ!」

 ハルは唸って、それから━━


「うわ、なんで今までそれやって来なかったんだろ」

……ハル、なんでそんなオロオロしてるの。


「そしたら2~3日作らなくていいって事だよね?」

 若いのにずいぶん所帯じみた感想ではあるけど、この子も母子家庭で家の事はよくする子だって聞いてるし。

「まあ、帰ってから家事ってめんどくさいしね」

 こんなの、今まで言えた相手なんていなかったなぁ。


 ちょっと塩分濃度が高くなってそうな気がするからルーは容量より少なめに入れる。でもダシが出まくってるからそんなに物足りないわけじゃないし、極まれに「絶品!」というカレーに化ける事があったりする。

 残念ながらそれは二度と出会えない味なんだけど。

 そしてルーが少ない分、ちょっとサラサラとしたスープカレー風ではあるけど。

 最近は寝かしたカレーには菌がわくとかも言うからあんまり大っぴらには言えないんだけど。


「おでんどころか白菜鍋の翌日はシチューにするよ」

 調子に乗って告白すれば━━


「弥生さん、天才」

 それはハルの心からの賛辞に見えたわ。


「え、昔食べさせてもらってた頃から?」

「あの頃は普通のカレーだったハズだよ。ちびっ子ってあんまりおでんとか鍋とか食べないじゃない? 食べないのよ」

 そうだっけという顔のハルに断言する。私自身も小さい頃あんまり食べなかった覚えあるくらいだし。

「だからおでんとか鍋を私達が食べるようになった頃からかなー、って。ピザもあるけど焼く?」

 

 そんな甥っ子達用にお取り寄せの冷凍ピザを用意したものの、甥っ子達はカニアレルギーなもんで、大人用に買っておいたカニピザだけが残っているのを思い出した。


「月ちゃん今おそろしく俺のこと子供扱いしなかった!?」

「いやいや、そんな事はないよ」

 ……たぶん。


 さすがに成人過ぎのハルは狸ご飯で十分だったらしい。

 揚げ玉と冷凍していた小口切りのネギとめんつゆを混ぜただけなのに、「ひさしぶり」だと言ってご満悦の様子だ。

 安上がりな子だこと。



「あー食べた食べた」

 ふーと息をついて人を堕落させるビーズクッションに背中を預ける。

 コタツに入ってテレビ。

 いい酒が入ったせいもあってふわふわして気持ちいい。


 テレビでは皆口々に≪メリークリスマス≫的な事を言って、女性はサンタコスプレ。

 そこで今更ながら気がついた。


「おい、若人。世間はクリスマスイブだぞ。こんなところで何してんの。若者の過ごし方として完全に間違ってるよ」

 

 ハルは少しだけ驚いた顔をしてから、ふっと笑った。

 ん?

 なんだ? 今の。


「それもそうだね」


 じゃあ、とでも言うような口調で言ってハルは身を乗り出し、商品名『人を堕落させるクッション』に手を伸ばして来る。

 なんだ、このやろう。

 こいつを奪う気か?

 これは譲らんぞ。


「こう言う事だよね?」


 んん?


 クッションの両脇に伸ばされた両手はそのまま床に着地。

 潰れて広がってるから両掌を床につくには割と大きく腕を開かないといけないのに、見上げた顔の位置は存外高いところにあった。

 腕も身長も長さがあるんだろうなー


 おお、なんか床ドンっぽいぞ。


 ……って、んん?


「忘れてるようだけど俺、何の血のつながりもない男だからね? そんなのの前で転がっちゃって、襲ってくれって言ってるようなもんじゃない?」

 まぁこんな時、動揺を素直に表に出せるような女ならとっくに結婚してるんだろうな、と思う。


「……ハル、もしかしてお酒弱かったりする? あ、ねぇ、飲み過ぎると勃たなくなるってってホント?」


「……もーヤダ。このヨッパライ、サイアク」

 脱力と絶望からか私の肩口に頭を突っ込んで嘆くハルに、思わず「かかか」とばかりに笑ってしまった。

 荒波にもまれまくったアラサーなんてこんなもんだよ。

 て言うか近い、近い。密着し過ぎ。


「ハルは理沙さん悲しませるような悪いコトしないでしょー」

 小さい子供に言い聞かせるみたいになりつつ、離れて離れての意味を込めてポンポンと背中を叩くけど動かない。

 コタツの角を挟んだ所に座ってたのに、そこからへんな態勢で無理に床ドンごっこなんてしたらそりゃ腕も疲れるでしょうよ。

 右肩にはハルの頭が乗ってるから、左肩を起こすようにしてハルの下から脱出した。

 クッションは譲ってやろう。

 

「どーせマザコンですよ」

 クッションを枕みたいに抱えて拗ねたように言うハル。

 まったく。誰にそんな事言われたんだか。


「お母さん大事にしてるだけで、マザコンとはちょっとちがうでしょ。女手一つで育ててくれた人に不義理するよりよっぽど立派でしょうが」

 言いながら何かないかとリモコンを操作してチャンネルを巡る。

 なんか面白いのやってないかなー


「━━ねぇ、月ちゃん」

 妙に色っぽいその声に見降ろすと、そこには何か懇願するような、切なげな表情のハルがこちらを見ていて、不覚にもちょっと動揺する。


「明日カレー食べに来ていい?」


 ホントに懇願が来た。


「……他行きなよー」

 なんだかどっと疲れたわ。


「若いんだからよそでもっと若者らしい過ごし方したらいいじゃん。美味しいもの食べて騒いでさー」


「今日とか明日とか『24日一緒にご飯食べよう』って言う勇気ある?」


 ……さすがにそれはちょっと嫌かも。

 『お前、一人だろう』と決めつけるのも、土壇場になって一人で過ごすのが嫌になったと思われるのも嫌だ。

 それなら一人で過ごす方がマシ。

 そもそも私も『若い頃そんなクリスマスを過ごしていたのか』と問われたら、そんな記憶はない。


「さすがに三日連チャンはダメ?」

 ここでまさかの上目遣い。

 そう、ハルはすぐ隣でクッションの上で組んだ両腕に顎を乗せてこちらを見上げるという、奇しくもあざといと言わざるを得ない構図。

 ほどよくアルコールが入って緩んだ目元。


 またか。

 またなのか。

 もうその手には乗らん!


 と言いたいところだけど。

 ……くっそ。カワイイじゃねぇか、このヤロウ!


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