3、12月20日 ほんまええ子に育ったねぇ、みたいな。
では、お先に失礼させていただこうかな。
パイプ椅子から立ちあがってコートを抱える。
あの後、ナースセンターから戻ったタイミングで結局パイプ椅子は譲られて、若いイケメンはベッドに腰を掛けていたのよね。
「ハルももういいわよ」
理沙さんは息子氏に顔を向け、サバサバと息子を追い返そうとするけど。
えー、息子さんめちゃくちゃ心配してたよ?
検査でバタバタしてて今連絡できないからハルくんにも電話しといて、と母から電話番号と一緒に言われて連絡したら一度目は出なかった。
そりゃ知らない番号だしな!
とは思ったものの、家を出る前にもう一度掛けたらつながって「いとこの月子です。理沙さんが眩暈で搬送されて入院する事になったけど大丈夫らしいです。今うちの母がついてます」という実にあやふやな一報を入れられたらそりゃ心配しまくるだろうよ!
なんか親子で悪い事したわー
何言ってんだとでも言うように呆れる息子を、理沙さんは「いても邪魔なだけ」と一言で黙らせる。
「忙しいんでしょ。仕事の途中じゃないの?」
「私もいるし、大丈夫よハル君」
理沙さんと母の女性二人に言われれば若者が逆らうすべなど無かろう。
「あー、じゃあ明日また来るから」
遥斗氏はしぶしぶ立ち上がった。
20時だけどこれからまだ仕事なのか。
でもって。
一緒に部屋を出る事に微かな抵抗を覚える。
若手イケメン経営者、なんて初めてナマで見るわ。
スタイルいいなぁ。
シュッとした、ってこういうのを言うんだろうなぁ。
足ながーい。
でもって頭、小さいぃ。
涼やかな目元っていうの? 通った鼻筋っていうの?
あ、でもほんのすこーしだけ垂れ目なのかな。小さい頃、にこにこしてた頃の面影を感じるわ。
それで綺麗系だけど親しみやすさもあるんだろうね。
親しみやすい綺麗系って最強じゃんか。
理沙さんは年を感じさせない美人で、その兄たるうちの和志パパも男前。
ホント美形一族家だよなぁ。
さてそんな、周囲の看護師さんが振り返るような爽やかイケメンに育ったオノコと並んで駐車場までご一緒という、なんとも言えないこの微妙な空気。
まぁ不幸中の幸いで、病室を出るとともにマスク着用ではあるんだけども。
そう聞いてくださいよ。
マスク着用なんですよ。
それなのにこの青年は周囲の女性陣が「ん?」と注意を引きつけられるだけの何かをお持ちなのでございますよ。
昔は仲の良かった、ていうか構い倒した男の子だけどここ最近はずっと交流もなかった。
ちょっとばかり妙に緊張して、でも親戚なんだ何を気後れする事がある、の精神で話かけたいところだけれどもここは病院。
このもどかしさと落ち付かなさ。
それでもやはり静かにせねばと無言で歩き、エレベーターホールにつけばタイミングよく乗れて。
面会時間終了より少し早いこの時間にエレベーターを使うのは私達しかいなくて、密室と言うのもおこがましいけどそんな空間で。
「里沙さん、軽いらしいね。良かったね」
あー、やっとしゃべれたって感じ。
なんか息がつまっちゃったよ。
「うん、色々ありがとう。ご迷惑お掛けしました」
「いえいえ。こっちこそ急に要領を得ない電話してごめんね。余計心配したでしょ」
「はじめはびっくりしたけど、聞いてたら大丈夫そうだなって思ったから」
思い出してふわりと笑った、すっかり背の伸びた従弟。
私の要領を得ない電話をそんな風に言ってくれるなんて、ええ子やわぁ。
「これからまだ仕事? 忙しいんだね」
「システム開発やってるから、連休に納品してクライアントが休んである間に不備チェックの予定で」
現在12月20日、火曜日でございます。
今週末からクリスマスの三連休が始まります。
「……もしかして今デスマーチとかいうやつだったり、する?」
恐る恐る、怖い物でも聞くように聞いてしまった。
「イエス」
うっわー!
茶化して答えてるけど、実はそんな場合じゃないんでしょ?
大変じゃんか。
うちの会社は社内にシステム開発の部署があるから分かる。
あそこ、人としての尊厳を奪われてる感がハンパないよ。
「えーと……なんかあったらホント遠慮なく言ってくれていいからね? 私もうちのお母さんも会社帰りに病院寄ったり出来るしさ」
私も子供の頃は理沙さんにお世話になってるし、お父さんがいたらやりたがるだろうし。
「聞いたでしょ? ぶっちゃけ三連休も年末年始も大した予定ないからさ」
この時期まったく予定もなく家路を急ぐくらいなら、迷惑にならない程度に美魔女な理沙さんと戯れたい。
「じゃあお言葉に甘えてメアドかIDか教えてもらっといていい? たぶん大丈夫だと思うんだけど」
あ━━
「……」
言われた内容に思わず眉間に皺を寄せて沈黙してしまい、若者は怪訝そうな表情を浮かべる。
あ、しまった。
「えーと、なんかマズいなら退院したら削除するようにするけど」
やっぱり!
嫌がったように見えちゃったよね!
「いやいや、最近スマホに変えたばっかでよく分かんないんだよね」
恥ずかしいから言いたくないんだけど!
メールも使いづらいからID交換するなりしてアプリの方を使いたいんだけど、咄嗟にやれと言われてもまだ出来ないんだよ!
シャッターが降りて人気の無い総合受付・会計前のスペースで立ち止まって慌ててバッグからスマートフォンを取り出す。
この病院は1階は全面携帯使用可能エリアになっているものの、病院でスマホを使うのってちょっと躊躇われる。年のせいか。
そんな私は初期設定なんかはショップ店員と同僚の若い子達に丸投げした。
何をするにも超もたつくんだよ。
若い子にそれを見られるのがちょっと恥ずかしいんだよ。
『なに意識してんの?』とか思われるのも嫌であわててロックを解除し、アプリを立ち上げた所で画面を見せる。
こうなればもうその態度を隠す気など無い。
こっからが分かりません。
あとはいいようにしてください。
初めから自分でやる気はほぼ皆無で、画面をずいずいと押しやった。
「触っていいの?」
戸惑ってらっしゃる。
若者からしたらこんな事も出来ないのかって事なんだろうけどさ、年取ると順応力も落ちてくるんだよ。
ましてこの年になると新しい出会いなんてそうそうない。当然ID交換の機会もないんだよ。
「お願いします」
押しつけてやった。
両手じゃやりにくかったか、と思ったけど両手に持った状態で大きな手であっという間に操作し終えてしまった。
若モンすごいな。
「妙なアプリとか仕込まれる可能性あるから、他人に簡単に渡さないようにした方がいいかも」
返されると同時にやや遠慮がちに言われた。
「こわっ!」
思わず怖がってみたけど、三十路過ぎ。
大丈夫でしょ。
無事連絡先を交換した後、そのまま二人で駐車場に向かう通用口を出た。
「あれ、そっち?」
駐車場に足を向けると「じゃ、今日はお世話になりました」と反対方向へ向かおうとす遥斗氏。
てっきり車かと思ったんだけど。
「出先だったんで同僚にここまで送ってもらって下ろしてもらったから。タクシーでも拾おうかと」
視線の先のタクシー乗り場にタクシーはいなかった。
……呼ばないと来ないと思う。
「あ、今日の清算」
そこで思い出したように遥斗氏はコートの胸元に手を突っ込む。
「いいって、お見舞いなのに。会社どの辺?」
「K町の産業プラザ」
「送ったげるよ」
ここからうちまでの間にバッチリK町の辺り、通過しますがな。
なんかほっとくのも後味が悪い。
「え、いや。悪いし」
うんうん、戸惑うのも分かるよ。
でもまぁお互い久々でぎくしゃくするけど親戚なワケだしねぇ。
それにさ。
「思いっきり通りがかりじゃん」
そう、ものすごく近くを通るわけですよ。
産業プラザは公益財団法人の施設で色々と職業セミナーとかもやってて、年に何回かうちの会社からも受講者を送っているので場所も分かるもんで━━
「乗って行きたまえ」
洋画でありそうな感じで顎をしゃくって駐車場を示してやった。
「拉致ったり監禁とかしないからさ」
ニヒルに言ったら青年はふはっと笑った。
「何から何までお世話になります」
観念したらしくノリよく応じてきた。
そりゃそうだろう、あの母の娘って知ってるもんね。諦めもするでしょう。
乗って来た車をキーレスで解錠してハザードを点滅させて「あの車」とばかりに示す。
「どーぞ」
さあ乗りたまえ。とばかりに促せば若者はじっとその黒っぽい塊を見詰めていた。
あー、うん。
割とみんなそういう反応するかもね。
「意外といかつい車乗ってるなと思ったけど、和志おじさんの?」
あ、話が早い。
さすが親戚。
「そう。お父さん二か月海外出張でさ。なんとなくたまには動かしといた方がいいかな、って長期出張の時はたまに乗ってるの」
今日はたまたま父の国産ステーションワゴンで出社してて、一旦帰宅した時にうっかり自分の車の前に停めちゃったもんだからそのままこれで来てしまった。
かつて名作「新説・桃太郎伝説」を披露してくれた「ハルくん」たけども、やっぱりちょっと個性的だった。
「月ちゃん、結婚しよ」
家にあった余剰タオルとちょっと100均寄ってきたぐらいでそこまで感謝されても。
「あはは、『抱いて』ってやつ?」
後部席のドアを開けてバッグを乗せながら笑って応じたその直後、そこに何か不穏な間があって顔を上げて、「しまった」と思った。
そこには軽く目を見張り、動揺を隠しきれない様子の美青年の姿。
あ、あれ?
うっかりさらっとオタ対応しちまったけど、間違えた?
10年振りに再会したばかりの、ちょっと距離感の分からない成人男性に冗談でも言うべきではなかったかッ!
会社の新入社員達と似たような年齢の彼に、いつもの感覚でオバちゃん的に言っちゃったよ。
「あーごめん。軽いオタでさ。忘れてくれたまえ」
「あ……あ、いやこっちこそなんか変な事言ってごめん」
オーケーオーケー、大人の対応と行こうじゃないか。
痛み分けって事でな。
「よし。お互いオタって事で聞かなかった事にしよう」
ここはもう勝手にオタ仲間と決めつける。
とは言っても遥斗氏はオタばれしても何らダメージが無いレベルのご容姿の持ち主だから、私のオタ宣言を忘れてくれると嬉しいがな! とか思いつつ丸く収まる提案をしたと思っていたのに。
「えっ」
冬の運転に必需品の使い込んで柔らかくなった革のグローブをはめている横で、なんか驚いたようにそんな声を上げるから。
「へ?」
なんて私も間抜な声を上げてしまって、またおかしな間がそこに落ちる。
「あ、いや、ごめ、何でもない。じゃあ、すみませんが会社までお願いします」
タクシーの運転手さんへのお願いを装う体で言って助手席でシートベルトを装着するイケメン。
ほっほー、イケメンはそんな仕草まで絵になりますな。
イケメン一丁拉致しましたー。
そしてちゃんと送り届けましたー。
その間20分。
昔みたいに「月ちゃん」「ハル」呼びするくらいには打ち解けた。
経営者自ら営業もシステム構築もする零細企業だとハルは言うけれど。
イケメン営業のトーク術、スゲェ。
社名も聞いた事あったわ。
『引きこもりのOA技術の高さ』に目をつけ、専門学校卒業者や退職した後ニートに近い状態の技術者を雇用し、仕事を割り振るという現代社会に沿ったスタイル━━だったか時々夕方のローカルニュースでも『新しい働き方』と取材されてたはず。
産業プラザは県の産業の発展に発展協力や若年層の起業支援などをしていて館内の部屋をオフィスとして貸し出している。
相手のトップや担当者がシニア層くらいだと若手ばっかりのベンチャー企業というイメージを持たれるんで、信用確保のためにハルはその一室を間借りしているんだそうだ。
「みんな在宅で仕事してるから安い賃貸とかでホントは十分なんだけどね」と嘆息した。
そんな話をして、ああ、やっぱりあの「ハルくん」なんだなぁと思う。
桃太郎を平和に丸く収めちゃうような奇抜で突飛な発想を持った子で、でもその手段はとても優しかった。
親戚なわけだから、ハルが10代の頃も年に1回くらいは顔を合わせて、その時は恥ずかしそうに会釈してくれていた天使。
経営者と言う立場は当然簡単なポジションではなくて、でも頑張ってて。
女手で一つで育ててくれたお母さんへの気持ちがはっきりと見えて。
ええ子に育ったやないか、うんうん。
━━と、おばちゃんはこの日いたく満足して帰路についたのでございます。