3−2 カード
突然、理都の背後からナイフが飛んできた。
「え!?」
そのナイフが鬼の胸に突き刺さる。
よく見ると、そのナイフでカードが鬼の胸に縫い付けていた。
途端に鬼の動きが止まった。
どういう訳か、対峙する鬼は口を開けたまま完全に動きが止まっているのだ。
理都は気付かなかったが、別のもう一枚のカードが理都の背に吸い込まれる。
チャンスは今しかない。
ママに習ったことを思い出す。
斬ることの難しい硬い相手には、突きが有効――。
力が1点に集中するからだ。
ただし、突きは相手にとっては避けやすい。
一撃で仕留めないと、反撃を許してしまう。
さらに突きの後は腕が伸び切ってしまうため、すぐに防御にまわれない。
それにさっき夜叉の剣を受けたときに、刀が刃こぼれしてしまっている。
変に力をかけてしまうと折れてしまうかもしれない。
狙うは大きく開けた口の一点。
外皮は硬くても、内側ならまだ柔らかいはずだ。
刃こぼれした刀でも倒せる。
「やああ!」
刀を平突きにし、開いた鬼の口から脳髄を貫き、後頭部まで貫通する勢いで突き刺した。
刀が刺さったまま鬼がドサッと地面に倒れる。
胸に手を置いて乱れた呼吸を整える。
正面からガサガサを草をかき分ける音がし、理都は焦って鬼に突き刺さったままの刀を引き抜く。
その時、胸に刺さったナイフと縫い付けられたカードが目に入った。
タロットカード……剣の10の正位置…………。
カードとナイフが飛んできた方向を見る。
そこにいたのは予想もしていなかった人物だった。
「おにいちゃん!」
理都はびっくりした。
9つ上の兄とは、ここ何年かは数ヶ月に1度か2度しか会うことはない。
「迎えにきた。理都、よく鍛えている」
現れた黒髪の少年は、鬼に突き刺さったカードとナイフを回収すると、ナイフをジャケットにしまい、発火によりカードを燃やした。
「剣の10の正位置は身動きできない四面楚歌。効果時間は1秒未満」
それでさっき、突きを繰り出す前に鬼の動きが一瞬止まったんだと理都は気づいた。
「後ろ向いて」
理都は言われるがままに少年に背を向ける。
少年は、理都の背に触れる。
そして、少年は理都に施したカード、剣のクイーンのタロットを取り出した。
「もういいよ。
母さんから迎えに行くように頼まれたんだ。
こんなところまでよく来れたな」
なぜかハンカチを差し出された。
それで涙が頬を伝っていたことに気がついた。
ハンカチを受け取り濡れた目元と頬を拭う。
「シノ、お疲れ様」
シノは顎の下を撫でられて、兄にすり寄っている。
「おにいちゃん、ここどこだか分かる?」
「いや……。それよりも先を急ごう」
靖司は言葉を濁して先を行く。
「りっちゃん、追いかけないの?」
「え? あ!」
理都は先を行く兄の背を追いかけた。
「ここはかなり暗いな」
靖司はそう言って魔術で灯りを灯す。
丸い球状の光の玉が、靖司の右肩辺りにふわふわと浮かぶ。
光の玉はぼんやりと闇夜を照らした。
***
左右に木々が立ち並ぶ道を理都と靖司、そしてシノは道なりに進んでいく。
理都は兄のジャケットの裾を掴む。
兄の名前は靖司という。
私と同じ、黒髪に黒い瞳。
シャツは白いものの黒いジャケットとパンツのせいで、離れてしまうと闇夜に紛れて逸れてしまいそうな格好だ。
兄は珍しくメガネをかけていた。
黒色の金属フレームのスクエア型のメガネ。
確かひと月前にあった時にはかけていなかったし、記憶の中の兄がメガネをかけていたことは一度もなかった。
「お兄ちゃん、目、悪かったの?」
「いいや。
これは闇の世界を覗く眼鏡。
ここに来る入り口を探すために使った」
メガネを外して手渡される。
よく見ると、フレームには複雑な模様が刻まれている。
メガネを返すと、靖司はメガネをかけて呟く。
「ここは妖怪が多いな」
「そうね。……入り口を探すため、って言ったわね。
それはどんなものだった? 扉? 門?
それとも儀式的に開くタイプ?」
「地図でダウジングして来てみたら、線路のど真ん中で空間が歪んでいたからくぐっただけだから、どれでもないな」
「どの方角だった? 鬼門の方角?」
靖司は線路の伸びている方角を思い返す。
「いや、なんとも言えない。
カーブに差し掛かったところだったから」
そう……。シノは口を紡いで何か考え始める。
靖司にしがみついている理都の頭にポンと手を置く。
「実は、攻撃用の装備がほとんどないんだ。
理都、攻撃は任せる。いいか?」
「うん、大丈夫」
理都は兄の顔を見上げて応える。
「ところで、お前、いつも刀を持っているのか?」
「うん。でもこれ、本当は鞘に傘がついてて、隠し刀になっていたの。
ママからのお誕生日プレゼント」
「いい趣味のお母さん何なんだね。
仕込み刀がプレゼント……」
靖司は少し呆れ気味に答えた。
その時、靖司はざわっと鳥肌の立つ感覚を覚えた。
歩みを止める。
「おにいちゃん?」
「何かいる」
靖司は、理都が手に持っているケータイの明かりを消すように言う。
「りっちゃんも気配を辿って」
そう言ってシノも瞳孔を広げて辺りを見渡す。
そうは言われても理都は光のない状態では何も見えず、靖司にすがるようにしがみつく。
靖司は魔術を使い、闇の中に目を走らせる。
前後左右には何もいない。
「上だ!」
靖司が誰より早く気づく。
相手を確認もせずにナイフを3本頭上に投げると、理都の胸に抱いてその場を離れ一番近くの木の影に入る。
先程自分たちがいた所に、白い影が現れる。
その白い影は、厚い雲に覆われて月の光も薄っすらとしか届かないにも関わらず、はっきりと見える。
白い影が布のようにずり下がり、人の顔が現れる。
しかし、その大きさは人ものとは思えないくらいに大きい。
頬に傷があり、血が流れている。
さっきのナイフが一本、頬をかすめたのだろう。
その下には人と同じくらいの腕が見えた。
顔も腕も青白い。
そして、胸から下は煙のようになっていて、腰や足が見当たらない。
俗に言う幽霊。
「っーーーー!」
理都は靖司のシャツを思い切り、グイと引っ張る。
「理都……苦しい……」
「りっちゃん、妖怪と鬼はいいのに幽霊はだめなのかい?」
「だってぇえ」
「落ち着いて。
あれはね、首を吊って死んだ霊が集まって鬼になったものよ。
人を自殺に追い込むの。鬼なら平気だろ?」
「う、うん……」
「ところでりっちゃん、今、死にたいとかいう思いはないわよね?
むしろ生きて帰りたいと渇望している今なら、何も危険はないわ。
さ、幽霊じゃ刀で切れないけれど、鬼なら切れるよ。刀を抜いて」
「ん……わかった」
掴んでいたシャツをはなし、鞘から刀を抜く。
靖司もジャケットに隠し持っているナイフの数を数え、数が少ないな、と言って右手に一本ナイフを握る。
縊鬼は獲物を探すようにふわふわ浮かびながら辺りを伺っている。
「理都、俺があいつの正面に回り込んで引きつける。
理都は背後から、切ってくれ。
できるか?」
理都は頷いて応える。
「できるよ。大丈夫だから、任せて」
「よし」
靖司が縊鬼の死角をついて正面に移動すると、そのまま躍り出た。
眉間めがけて、剣の10の正位置――膠着――のカードを放り、ナイフをアンダースローで投げ放つ。
縊鬼はとっさに顔の前で腕を交差させる。
腕にナイフでカードが縫い付けられる。
「未来確定、膠着時間1秒。
理都、今だ!」
縊鬼は、魔力の通ったカードの魔術で途端に動きを止める。
その背後に大きく振りかぶった刀による理都の一撃が入る。
だが、肥大化した頭と顔を持つ縊鬼の頭蓋骨は相当の厚みと硬さを誇っていた。
刃が滑る。
頭の肉は少し削げただけで、縊鬼は再び動き出す。
「ち。りっちゃん、隠れて。靖司も!」
靖司と理都は同じ方向に逃れ、縊鬼の視界から隠れる。
「ごめん」
目頭が潤む。
「いや、いい。あれの硬さを見誤っていた」
硬さに加えて、背の低い理都では十分な高さから振り下ろせなかったのだ。
「シノ、何か良い手はあるか?」
「そうね。雷の魔術とかどうかしら。
命中精度ゼロだけど、結構強力よ」
「シノ! あれは散々やったけれど全然だめだったじゃない」
「いや、待て。威力が十分なら、狙いは俺が合わせる。
理都、雷を撃てるか?」
「う、うん。雷を出すだけでいいなら」
手順を話し合うと、理都は雷のルーンを地面に描き始める。
靖司は理都に剣の7の正位置――成功――のタロットカードを放つ。
同時に剣のエースの逆位置――災難――のタロットを放り、縊鬼の体に投げナイフで縫い付ける。
縊鬼はそんなナイフ一本など気にも止めず、襲い掛かってくる。
理都が描いたルーンに魔力を通す。
頭上の雲に光が走る。
靖司は放った2つのタロットに魔術を通し、1秒先の未来を確定させる。
ひときわ強い光が辺りを包み、雷が落ちる。
理都が落とした雷は、幸運にも周りの木々を避けて、縊鬼に落ちる。
縊鬼にとっての災難は、傍から見れば偶然、靖司にとっては必然の出来事。
縊鬼は黒焦げになり、ドウと地面に倒れて、動かない。
その頃。
夜叉を倒された老人の妖怪は、檻の鍵を外す。
「この老体にどれだけ苦労させる気なんじゃ……。
早く死を受け入れてくれればよいものを……」
檻の中には、鬼の顔と鋭い爪をもつ8本足の蜘蛛が閉じ込められていた。
口には鋭い牙が覗いている。
「喰ってもよい。とにかく、この世界から生きて返すでないぞ」
そして老人は牛鬼と呼ばれる鬼を放った。