3−1 老人
もちろん、理都とシノは迷子どころか、命の危険すら伴う事件に遭遇していた。
理都とシノの前に、老人が立ちはだかっていた。
顔はシワだらけでかなり年老いていることがわかる。
頭髪だけでなく眉や、顎に蓄えられた髭も白くなっている。
しかし、老人の鼻は通常の人間とは異なっていて、考えられないほど異様に長い。
老人の手に、太い鎖を握られている。
その鎖は背後の暗闇へと伸びており、鎖の伸びる先は見えない。
鎖ががちゃっがちゃっと鳴る。
鎖の先に何かが獰猛な生物がつながっているーー。
「これより先は生ある者のみが進んで良い道じゃ。
お前が通っていい道ではないわい。
ここに来る前に婆さんに言われなかったのかい?
これ以上、生者の生きる世界に近づくことは許さぬ」
年老いた老人のものとは思えない眼光を放って言った。
シノは不快そうに顔を歪める。
「ち。さっきの迷い花といい……。
りっちゃん、ボケ爺の言うことに聞く耳をもつんじゃないよ」
シノは理都の顔を見上げて続ける。
「死んだ記憶でもあるの? ないでしょう?
気にしないでいい。
それよりこの妖怪爺、アブナイものを飼っているわ。
早く刀を抜いて」
早口に言う。
「う、うん」
老人の言葉に何か引っかかるものを感じたが、理都は黒い鞘から刀を抜き、構えを取る。
「ほお、自分の立場もわきまえずに、理に歯向かうというのか」
老人は手にしていた太い鎖をグイと引っぱる。
ドスンと足音が響く。
理都は危険を感じて、2歩、後ろに下がって距離を取る。
鎖が引かれる度に、足音が近づいてくる。
嫌な汗が頬を伝わって地面に落ちる。
闇の中から鎖に繋がれた大鬼が姿を表す。
身長は理都の二倍強もある。
自然と夜叉を見上げる形となる。
「あ、あ、あ」
理都の口から悲鳴のような嗚咽のようなうめき声が漏れる。
額から角が生えたれっきとした鬼の姿だ。
首には老人から伸びる鎖がハマっている。
その手には剣が握られている。
「幼き罪人よ、罰を受けよ。夜叉よ、戒めを解いてやろう。この娘を喰ろうてやれ」
夜叉の首から鎖が外れると、飛び上がり理都の目の前にドスンと着地する。
「ボサっとしない!」
空いた手を広げ、掴みかかってくる。
理都はそれを間一髪、後ろに跳んで避ける。
ブオンと風が生じ、理都の髪が舞い上がった。
「今までのより、一段格上ね。
でも、素早くはないわ。よく見て」
「うん」
さっきは焦ってしまったが、戦いになるとすぐに冷静になれた。
夜叉は体勢を直すと、剣を両手で握り振り上げた。
***
夜叉は、何の前触れもなく携えていた真っ直ぐな剣を振り上げると、勢い良く振り下ろしてきた。
「避けなさい!」
理都は鞘に入ったままの刀で夜叉の剣を受けようとしていたが、シノの言葉に素早く反応し、サイドステップで右に飛んで避ける。
力任せに振り下ろされた夜叉の剣は地面に深くめり込み、土埃が舞う。
理都はごくりと唾をのんだ。
「凄い力ね。りっちゃん、あの剣、まともに受けたら刀が折れるわ」
「うん。分かる。
シノ、どうしたらいいかな?」
夜叉に注視しながら、シノに問う。
この刀は和傘に偽装するために普通の刀よりも細身に作られている。
力がかかりすぎれば、簡単に折れてしまう。
「力任せに来るなら隙もできやすいわ。
夜叉が振り切ったあとを狙うのよ」
「わかった。やってみる」
シノはそんな理都を見て、大したものね、と関心する。
まだ子どもなのに泣きもせずよく動けている。
加えて、少ない実践経験の中、まだ負けた経験がないからこそ、倒されて死ぬということを想像できていないのかもしれない。
理都は、シノに言われたことを成功させようと、夜叉の動きに合わせて、攻撃の直後にきっちりと刀を振るった。
夜叉の大振りの横薙ぎ払いの後、素早く夜叉の横腹に刀を走らせる。
何度かそんなやり取りを繰り返す。
しかし、
「浅い……」
何度当てても、十分なダメージを負わせることができない。
夜叉の体は硬く、刀を岩にでも打ちつけたかのような感触が手に伝わってくる。
夜叉の剣が地面に打ち付けられる度に、土が舞い上がり、辺りは土埃がもうもうと立ち込めている。
土埃が理都の姿を夜叉から隠す。
「りっちゃん、引きましょう」
「逃げるってこと?」
「そうよ。ダメージ与えれないんでしょ? 戦略的撤退じゃなく本当の撤退」
仕方ない……。
踵を返し、土埃に紛れて逃げる。
土埃が晴れる前に、木の影に身を隠す。
背に木の幹のゴツゴツした感触が伝わる。
シノは草の中で身を伏せて、夜叉の方を注視する。
夜叉は逃げた獲物を探して周囲を見回している。
見回しても見当たらないと知るといなや、手近な木から剣を打ち付けながら、ゆっくりとこちらに向かってきた。
何か戦うでも逃げるでもいいから、この状態を解決する手段はないものかと理都は考えた。
そうだ。
「シノ、シノ」
小声で話しかける。
「なあに?」
「ルーンで姿を隠して逃げよう」
「りっちゃんの魔術じゃ無理ね」
この猫は人様の名案をばっさりと切り捨ててきた。
「な、なんでよ? 私だってそれなりには……」
「だって、姿は隠せても魔力はだだ漏れなんだもの。
相手がただの人ならいざ知らず、あの夜叉にはバレちゃうわ」
「うううう」
再び、ガン、ガン、と夜叉が剣を木に打ち付ける。
ビクンっと身体が跳ねる。
音はさっきよりもかなり近づいている。
「嘆いている時間はないわ。
とりあえず逃げ回るしかないわね」
「何よ、もう!」
ガァン!
理都が隠れていた木に剣が打ち付けられ幹が激しく震え、体を伝う。
跳ねるように木の影を飛び出し、刀を中段に構えて対峙する。
とにかくもう、やるしかない。
夜叉が振り下ろした剣を受け止める。
その瞬間、刀の刃面から小さな欠片が飛んだ。
「うそ!?」
理都は鍔迫り合いを嫌って、後ろに跳んで距離を取る。
刃面を見ると刃がかけていた。
たった一撃受けただけなのに……。
もしかすると、中にヒビが入っているかもしれない。
もしそうなら、次に夜叉の剣を受けたら真っ二つに折れてしまう。
ど、どうしよう……。
理都を不安が襲った。