2−2 ルーン
理都は温泉の横にある小屋の中で、刀の手入れをしていた。
丁度、手頃な布が置いてあったので、刀身に付着した血と油を拭う。
ドォォォォォォオオオオン!!!
「わっ、なに!?」
手を止めて小屋から顔を覗かせる。
遠くで真っ赤な炎が見える。
そこからモクモクと煙があがっていた。
「黒煙……、なにか爆発したみたいね」
「なんだろ?」
「さあ。ここからじゃ分からないわ。
遠くのことより、今は我が身よ。
刃こぼれはない?」
「うん。大丈夫」
「そう」
理都の傍らにいる猫のシノから見ても、理都はよく動けていると思う。
刀を実戦で使ったのは初めてだし、そもそも実戦そのものが初めてなのだ。
彼女の幼さが、本来恐れてるべきであるにも関わらず、ある種のゲーム感覚に落とし込んでいるのかもしれない。
それに加えて、母親の教え方がうまいこともあり剣筋がよい。
相手の体に対して、よく切れる角度から刀を叩き込んでいる。
一方で、ルーンの手ほどきは父親から受けている。
そのせいで、ルーンの方は遊び半分に学んでいるものだから、実戦に使えるようなシロモノではない。
「はあ、父親の方はりっちゃんに甘すぎるのよねぇ」
シノは小さく呟いた。
とはいえ、父親の教え方が悪いというよりも、理都が刀を振るうことを好んでいるのが大きいのだけれど……。
「? シノ、何か言った?」
「言ったわ。でも気にしないで。ただの独り言よ」
「そう?」
「……ねえ、りっちゃん。
りっちゃんは、パパからルーン、教わっているわよね?
得意なのってあるの?」
「あるよ? あ、えーっと……」
理都はなぜか言いづらそうにする。
「どうかしたの?」
「えと、雷なんだけれど……」
「いかずち?」
それは初耳だ。
確か、父親の方の得意な攻撃のルーンは氷と炎。
私があの両親に出会ってから、一度だって雷のルーンを使ったところを見たことがない。
でも雷なら攻撃系の魔術として優れている。
「りっちゃん、それはパパに教わったの?」
理都は首を左右に振る。
「んーん。試しに使ってみたら使えたの。
一度しか使ったことないけれど……。
パパに怒られたから」
「怒られたの? へえ、あの人が?
珍しいわね。
その雷、どれくらいの威力だったか覚えている?」
「えーとね。雷がね、お社に落ちて、火事になっちゃったの。
それで、パパに使っちゃだめって言われたの。
あ、このこと、ママは知らないから、内緒だよ?」
「はいはい、内緒ね。
社って屋敷の離れにある社よね?
そういえば、いつだったか燃えたわね、あれ」
あらら、あれはこの子だったのね。
あの社には平安時代からの巻物とか水晶とか古鏡が納められていた。
りっちゃんのパパもママも焦ったでしょうね。
焦ったというよりも、パパの方は発狂していたわね、確か。
それはさておき。
「私が雷の扱い方を教えてあげる。
空にはいい感じに厚い雲もあるし、雷を落とし放題よ」
「いいの? 危なくない?」
「いいのよ。りっちゃんの屋敷に落ちたら大変だけれど、ここでなら問題ないわ」
仕込み刀の鞘で地面にトール神が司る雷のルーンを描く。
描いたルーンに魔力を注ぐ。
頭上の雲がゴロゴロと鳴る。
雲の合間を白い光の筋がいくつも走り、雷が空気を裂いて落ちる。
ぎゃあああ
空から叫び声が響くと、何かが地面に向かって振ってくる。
ドスンと背後で何かが跳ねた。
「ひい」
びくんと理都は肩を震わせ、その場にへたり込む。
恐る恐るケータイの明かりを向ける。
よく見ると焼け焦げた以津真天のようだ。
「すごい威力ね。妖怪が一撃……。
りっちゃん、雷を手のひらから出したりはできる?」
理都は首を横に振る。
「できるのは雷を落とすだけ」
理都はそう答えてから、シノの言うように魔法みたいに手から電気を出したり、敵を麻痺させたりできればいいのになあ、と思った。
「雷を誘導しているのね。
落ちる場所はりっちゃんの周辺。
じゃあ、曇りか雨の日でないと雷を落とせないのかしら」
時代が違えば、将来は「雨乞いの巫女」にでもなっていたわね。
「狙った場所に落とせないと、武器にはならないわ。
屋敷じゃ、どこに落ちるかわからないから、りっちゃんのパパは練習させないことにしたんだと思う。
屋敷に落ちたら大変だもの
でもここなら、どこに落ちても問題ないわ」
それから雷が10回落ちた。
地面には焦げた怪鳥が5羽、落ちている。
未だに、ぶすぶすと煙が上がっていた。
その周りには背の高い木が5本、縦に裂けており、その裂け目は黒く焼けている。
そして、噴き出し花火のように空に向けて炎を上げている木が一本。
バチバチと爆ぜ、辺りを明るく照らす。
「すごーい! キャンプファイヤーみたい!」
大人なら恐怖するところを、理都は楽しそうに目を爛々と輝かせている。
わかったことは全く雷の落ちる場所をコントロールできないってことね、そもそも雷は高いところに落ちやすいものね、とシノはひとりごちた。
キキキ
キキッ キィー キィー
「鳴き声のようね」
シノの耳がぴくぴくと動き、微かな鳴き声をとらえる。
この鳴き声……ネズミね。
距離はまだ遠い。
でも、私達の周りを囲うように集まって来ているわ。
「炎と肉の焼ける匂いに釣られてきたのね。
りっちゃん、囲まれる前に急いでここを離れるわよ」
「へ、なにに?」
「何か近づいてきているわ。
おそらく、妖鼠ね」
「ヨウソ?」
「妖怪のネズミ。大きくて凶暴よ」
「ネズミ……」
理都は、あの気持ち悪い生き物が大きくなった姿を脳裏に思い浮かべ、両腕で体を抱いて震え上がる。
「ほら、ついてきて」
理都とシノはまた、暗闇の中に入っていった。
***
理都はこれまでと同じように刀を中段に構えて、妖鼠と対峙する。
獣臭い匂いが鼻につく。
「ネズミのくせに草食動物の眼じゃないわ」
鋭い眼光を放っている。
「りっちゃん、正面だけはダメよ。
側面か背中を狙いなさい」
「うん」
大きな怪鳥に、共食いしていた人の姿の餓鬼、おしゃべりする花たち……。
次から次へと現れる。
理都はただ大きなネズミ程度では驚かなくなっていた。
ただ眼の前のネズミをどう捌くかということだけが思考を満たす。
側面か背中を狙うにはどうすればいいのか。
ママならどうするかな……。
少し考えてから、刀を中段から水平に倒して、妖鼠に向かって真っ直ぐに腕を伸ばした。
妖鼠が向きを変えるのに追従して、刀の矛先を向け続ける。
このやり方は、相手が人であれば、相手をあちらの間合いまで入れない効果がある。
防御の構えであり、代わりに腕が伸び切っているため、こちらから攻撃することもできない。
しびれを切らした相手が刀を絡めて、攻撃しようとしてくる。
そこにカウンターを浴びせる。
それと同じように、妖鼠が飛びかかってくるのを待つ。
妖鼠は肉食動物が獲物を仕留めようとするように身を低くしてチャンスを伺う。
妖鼠が理都に飛びかかる。
途端、砂埃が舞った。
口を大きく開け、涎を撒き散らす。
理都は、妖鼠が刀の切っ先まで来たタイミングで、自身と妖鼠との線上から身を外し、斜め向かって駆け抜ける。
うまくいった!
しかし、足がもつれ、地面に転がってしまう。
手をついて、でんぐり返し気味に転がって体勢を立て直す。
「大丈夫?」
「失敗しちゃった。でも今のでいいよね?」
「そうね。すれ違いざまに切りなさい。
でも獣って筋肉の塊よ。
やるなら思いきり振り下ろして切るのよ」
「うん。わかった」
妖鼠が理都の方を向く。
獲物を取り逃がしたせいで、妖鼠の口元にヨダレが垂れている。
理都はさっきと同じように腕を伸ばし、水平にした刀を妖鼠に向ける。
妖鼠が理都に飛びかかる。
次は失敗しないように、妖鼠の左に避けると、理都は伸ばしきった腕をたたみ、妖鼠の側面に出ると同時に横っ腹を上から下に斬りつける。
深々と妖鼠の背と腹を抉る。
ギャ、と悲鳴が上がる。
暗くて分からないが赤いであろう液体が傷口から吹き出す。
深手を負った妖鼠は四肢を駆って深い森へ逃げていく。
理都は、はあ、と息をつく。
「剣技だけならもう一人前ね。
相手の動きもよく見えているわ」
「ほんと? やった!」
「あとは魔術がねえ」
「ぶう。シノは文句ばっかり」
「事実だもの」
「次はきっとうまくいくよ」
黒い鞘でルーンを刻んで、魔力を通す。
「ちょっとどこに落とす気?」
理都はシノの問なんて耳にも入っていない。
「えい!」
空がぴかっと光ったかと思うと、雷鳴が轟いて、ギャアと上空で声がした。
ボトッと、大型の怪鳥、以津真天の死骸が落ちてきた。
「懲りないわねぇ」
「違うの。ちゃんと教えてくれないパパが悪いの」
「そうね。パパが悪いわ」
そのパパもりっちゃんがこんなことになるなんて思っていなかったんでしょうにね、と同情しながらも理都に同意する。
「最近は健康のためとか言って、勝手に餌の量も減らすし」
「ね、ひどいよね!」
理都とシノはここぞとばかりに、日々の文句を散々言い合った。
シノが理都の家族と暮らすようになったのは11年前のことである。
そのときから理都の隣にはずっとシノがいた。
シノは理都の嬉しかったことも辛かったことも悔しかったことも、そして父親に対する文句も全部共有している。
もちろん、その逆で理都はシノの不満も知っているので、お互いの不満を知っていた。
なので、いくらでも文句が出てくるのである。
なぜ父親への文句ばかりなのかといえば、月代家では母親のほうが父親より全面的に強いためかもしれない。
自然と矛先が父親に向くのである。
「そうだ。あの時も――」
「しっ」
シノが突然口を紡ぎ、ピタリと歩を止めた。
「シノ、どうしたの?」
「何かいる」
理都とシノの間に緊張が走る――。
暗いため理都には見えないが、シノには見えていた。