2−1 鬼
理都が神隠しにあっている頃、兄の靖司はバイクを走らせていた。
もう遅い時間だ。車の通りは少ない。この辺りは夜は寝静まる。
捕まらない程度の速度でバイクを走らせる。
母さんに妹の理都の迎えを頼まれた。
得意ではないダウジングが正しければ、祭りのあった町とは逆の方にいるらしい。きっと寝過ごしたりでもしてしまったのだろう。
アクセルを開け、エンジンの回転数をあげる。マフラーから心地よいエンジン音が突き抜ける。
!
視界がブレた。バイクから体が離れて空中で一回転して天と地がひっくり返る。
パンッ! とジャケットに刺繍として施された魔術障壁が弾け飛ぶ。
目の前に大木が迫る。思わず、目を見開いのと、ドンッと顔面から幹に激突するのは同時だった。
次いで重力に引っ張られて10メートル下の地面に落ちた。
「な、何が起きた……」
なんとか体を起こす。どこも傷はないし折れてもいない。そこで物理障壁も消し飛んでいることに気づいた。
母さんがジャケットに縫いこんだ二重障壁の強力さに感謝しつつ、それが失われたことに若干の不安を覚える。
「で、ここはどこだ……」
国道を走っていたはずが、何もないところで衝撃を受けて、そして今はなぜか森の中。
ドォオン!
背後に振り向く。
真っ赤な炎の熱が頬を焼く。足元にバイクのシートが転がってきた。バイクのオイルに引火したらしい。天高く黒煙がモウモウと登る。
割と気に入っていた単車が焼けていくのを呆然と見ていると、ドスン、ドスン、と何かの足音がかすかに耳をかすめた。
瞬時に太い木の幹に背をつけ、身を隠す。顔を覗かせると、遠くに一つ目の鬼がいた。それを見るや否や靖司は駆け出した。
「鬼……。初めて見た」
状況の把握よりも、この場を離れることを先決する。鬼はこっちに向かってきていた。おそらく、爆発音と炎に引き寄せられたのだ。他の鬼も向かってきているかもしれない。あの場にいたら、囲まれてしまう可能性がある。
もちろん、屋敷を出るとき、鬼に遭遇するような状況は考えていなかった。専用の武装はもちろん持ってきていないし、それでなくとも大した武器の持ち合わせもない。
十分に離れたところで走るのを止め、呼吸を整える。思考を巡らせる。
鬼……地獄……死後の世界……自分は死んだ?
それを否定する根拠はあるだろうか。
空を見上げる。厚い雲の隙間から月の形を確認する。
次いでペガススの四角形を見つけた。月齢、季節、時間はこの森に来る前と同じ。
ケータイを取り出す。圏外……だが、表示されている時間も同じ。
左手首に指を当てる。ケータイの刻む時間と自分の脈のリズムは通常時と同じ。
松明のルーンを刻む。魔術が発動し、いつもどおり火が灯る。
ここが現実世界、または現実世界と関連性のある世界であることの証明としてはいささか不十分かもしれないが、自分がまだ死んでいない可能性はかなり上がった。
それならなぜ鬼がいた?
靖司は考えながら、周りを探索し始める。
誰かがあの鬼を現世に召喚した? 召喚でないにしても鬼門をこじ開けたかもしれない。
もちろん俺が幻術にかかった可能性もある。
もう一度空を見る。月の位置と星座の位置の見え方が若干異なる。
「空間転移……?」
それなら魔術障壁が吹き飛んだ事実と合致する。術者が俺を狙ってくる可能性は……、いやそこまで恨みを買うようなことはしてきていない。
空間転移の攻撃を喰らったというより、おそらく別の目的で展開されていた術式の中に突っ込んだのだろう。
理都もそれに巻き込まれたか? それなら、理都もこの森の中にいるかもしれない。無事か? いや、シノと一緒なら無事だろう。
そのとき、空が光った。ゴロゴロと地鳴りのような音についで、それほど遠くないところに雷が落ちた。立て続けに雷が何度も落ちる。
靖司は、その異様な雰囲気を肌に感じた。