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1−4 湯浴み

 淀んだ空気が立ち込める。


 木から垂れたつたが理都の顔にべしりと当たる。


「ひぎゃ」


「よく転ぶのね」


 シノが後ろを振り向く。


「転んでない! 顔に何か当たっただけ。そんなに何度も転んでないよ」


「そう? でも、もう少しかわいい悲鳴をあげなさいな。将来、モテなくなるわよ」


「うるさいよ」

 

 理都は頬を膨らませる。


 シノの尻尾がくねくね動く。しっぽを捕まえようと手を伸ばしてみたけれど、するりと躱された。


「むう……。じゃあ、シノはモテてるの?」


「あら、私はもう色恋に興じるようなトシじゃないわ。でも沢山の舎弟はいるから尊敬はされているわよ」


「そういえば、この間、たくさんの猫さんを従えて街に繰り出していたもんね。街の人に迷惑かけちゃだめだよ?」


「やんちゃなのもいるからねぇ」


「この間、八百屋さんのお魚、全部なくなって泥棒騒ぎになってたよね。ママがシノの仕業かしら? って言ってた」


「それは冤罪よ。隣町の三毛猫たちの仕業。ちゃんと懲らしめておいたわ。ついでに舎弟になってもらったの」


 シノの目が細くなる。


「当然よね、私達の縄張りで悪さしたんだもの。私のことよりーーりっちゃん、校舎裏で告白されてたわよね」


「覗いていたのはどこのバカ猫かな?」


「さあ。で、どうしたの?」


「えー、うーん、優しいし親切なんだけどー……」


「なんだけど、なに? 顔が好みじゃないの?」


「じゃなくてー。付き合うって何なのかなって」


「子どもねぇ」


「じゃあ、シノはわかるの?」


「もちろんよ。つまるところは、食べたいか、食べられたいかって話よ」


「それ知ってる! かに……、かに……、かにばりずむ!」


 シノは声を上げて笑う。それは食人主義よ、と心の中でごちた。


「どうしたの?」


「なんでもないわ」


 グルルルル


 ビクッと体が震える。何か聞こえた。


「な、なに……?」


「森の中からね。右よ。でも今の……獣ね。狼かしら? 近づいてきている……? ち、走るわよ」


「戦わないの?」


「一対一ならりっちゃんでも勝てるでしょうけどね。獣の俊敏性を甘く見ないほうがいいし、何匹いるかわからない。囲まれたらどんな人間でも無理よ。さ、走って」


「うん」


 シノの尻尾を追いかけて走る。うねる獣道を全力で駆け抜ける。


「撒いたみたいね」


 結構走ったあとでシノは振り返って後ろを確認してから言った。


 だいぶ走ったから、理都は息を切れて、両膝に手を当てて大きく息を吸う。緑の匂いと一緒に、別の匂いがした。


「あら……」


 シノが鼻と耳をピクピクと動かす。


「どうしたの、シノ?」


「この匂い、温泉ね。こっちよ」


「温泉?」


 シノについて道をはずれて背の高い草の中を行く。温泉特有の匂いが強くなる。かき分けた草葉の奥に、湯気が立ち込めた。


「わあ、ほんとに温泉だ!」


 石で囲われた円形の小振りな温泉。その隣に屋根のある小屋もある。


 理都は入っていいものか少し悩んだ。本当にほんの少しの時間だけだが一応悩んだ。本当はほとんど悩んでいない。


 気がつくと理都は、帯を緩めていた。汗と泥に塗れていて、目の前の温泉はとても魅力的である。


「シノ! シノ! 入って大丈夫だよね?」


 シノは前足で温泉の湯を掻いて、匂いをかぎ、ついでぺろりと足についた湯を舐める。温泉の中央はボコボコと沸いているが、端の方は適温。


「うーん。まあ、問題なさそうね。普通の温泉と少し成分は違うけれど、毒ではないわね。美味しいわね、これ」


「やった!」


 するすると和服を脱いでいく。


 シノが周りを見渡して、誰もいないことを確認するのと、理都が布を全部落とすのは同時だった。


 ケータイの明かりが上を向くように地面に置いて、その明かりを頼りにまず初めに右足を湯につける。少し熱めの湯に冷えた体が驚く。


 次はゆっくりとした足を沈めた。そこまで深くない。熱さに慣らしながら全身を沈める。


「あー、気持ちいいよー」


「よく、こんな場所で入れるわね」


 とシノは呆れた口調で言う。


 理都はシノの言葉など気にも止めず、両手で湯を掬って顔を拭う。汗や泥だけでなく、餓鬼や髪鬼の返り血なんかもついていたので、そういったギトギトしたものが落ちてさっぱりとする。


 なんだか、お年寄りのように極楽だ〜、などと思ってしまう理都であった。


 ざあざあと雨音のように、周りの木々の葉が鳴る。空を見上げると、雲の合間からお月様が顔を出していた。


 シノは周りを警戒していた。ここで襲われたらひとたまりもない。


 温泉の横に造られた小屋の中に入る。木で造られたその小屋は、1辺の壁しかなく、あとは床と屋根があるだけの簡素なものだ。細長い木の台が壁に付けられておいてあり、ナタが置いてある。台に赤黒いシミが付いている。壁に黒炭で書かれた文字があった。掠れてしまっているが、「地獄釜」と読めた。


『肉鍋』


『まずは鍋の中央に野菜から入れ、その後薄切りにした肉を入れます。』


『鍋の端は温度が低く、中央は高温です。』


『十分に煮えてきたら、端に寄せます。』


 …………。


 そこまで読んで、シノは「ここは台所で、あれは鍋だったのね」と呟いた。


「シノシノ―、すべすべー」


 理都は温泉を出てしばらく上機嫌でいた。

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