3−3 牛鬼
濃い霧の中を足許の道を頼りに進んでいく。
髪を湿らせる程に濃く、1メートル先も見えない。
理都は靖司とシノの2人とはぐれないようについていく。
少しでも遅れてしまうと、靖司の背が見えなくなってしまう。
「わぷ」
理都は顔に衝撃を受けてよろめく。
理都はいつの間にか立ち止まっていた靖司にぶつかったことに気づく。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「道標よ」
代わりにシノが答える。
「ああ、悪い。生、それに死?
そう書いてある」
靖司は理都に謝り、道標に書かれた文字を伝える。
「うそ、それって駅を降りたときにあった……」
理都は口を押さえて驚く。
「似たものとも考えれるけれどもね。
ここに来たときの道標と同じものなら、すぐ近くに駅があるはずよ」
シノが答える。
「駅? この世界に駅があるのか?」
「うん。あの、私、お祭りのあと、汽車に乗ってこの駅に着いたの」
「霧で見えないけれど、本当にすぐ近くだったわよ。
もしもこの道標が本当に最初に見たものと同じなら、駅はこっちね」
シノが案内すると、すぐにボロボロの駅が見えた。
駅の看板には鬼住駅と書かれている。
ここに来た時に降りた駅の名だ。
「振り出しに戻ったようね」
思えば、最初の時もここは濃い霧で覆われていた。
次の駅を目指していたはずなのに、なぜか元の場所に戻っていた。
「うそぉ」
理都は膝を抱えてしゃがみ込む。
何時間も歩いて大変な思いも何度もあったのに。
そう思ってしまうと、理都は急に疲れてしまった。
そんな理都をよそに、シノと靖司は現状の分析を始める。
「へえ、こういうこともあるのか。
それでさっきの道標、進む方向を間違えれば、完全に死後の世界か」
「それにしても変ね。
真っ直ぐ進んだはずだから、ここに戻ってくる訳がないのよね」
「生の方に進むと老婆がいたわね」
「老婆? もしかするとまだいるかもな、そいつが人間でないならだが」
「人間でないなら?」
「普通の人ならこんな森の中にいつまでもいるわけないだろ」
案の定、以前と同じように老婆が杖をついて佇んでいた。
「怪しいわね、本当にいるなんて」
道標の傍らの老婆が口を開く。
「迷い人かの。どこへ行きたいのかね?
お兄さん方、案内してあげようかの?」
靖司はしばし考えたあと、こう言った。
「そうか……。
此岸へ連れて行ってくれ」
「そこのお嬢ちゃんを連れては行けないよ。
置いていくというなら、連れて行ってあげれるよ」
「おにいちゃん……」
「大丈夫だ。置いてはいかない。
婆さん、あんた、何者だ」
ジャケットからタロットカードを取り出し、宙に放り、ナイフを放つ。
カードにナイフが突き刺さり、老婆の腹に刺さる。
「ギャッ」
剣の七の逆位置――秘密の暴露――。
途端に老婆は、一つ目の童子の妖怪の姿に変わった。
「この姿、セコね。
山道で人を迷わせる妖怪よ」
「理都、刀を貸してくれて」
靖司は理都の刀の柄を掴み、鞘から引き抜く。
手にとってその重さに驚く。
「重い……」
刀自体の重さはむしろ軽いほうだ。
けれど、重心が剣先にある。
そのせいで柄を持って構えると自然と刀の頭が下がる。
普通の刀は、重心が手元近くにある。
重心が手元にあることで、安定性が増す。
でもこの刀は剣先に重心があるせいで、刀を振ると剣先の重さに体が振り回されてしまう。
逆に、遠心力が増すため剣撃は重くなるメリットもある。
それでも、通常の剣術ではあまり好まれない。
靖司は刀を頭上に振り上げる。
対峙するセコも杖を構える。
靖司は、構わず思い切り刀を振り下ろした。
剣先の重さが剣速を加速させる。
セコの杖が弾き飛ぶ。
慣れないせいもあり刀の入る角度が悪くて杖を切断するに至らなかった。
腕力で刀の軌道を無理やり変える。
胸に対して横一文字に振るう。
一つ目の妖怪セコの胸から血しぶきが上がり、そのままバタリと背中から倒れた。
使ってみて理解した。
普通の刀では、攻撃力を稼げないが、この刀なら腰の回転や体重の移動が数倍の威力に跳ね上がる。
「いい刀だな」
刀を理都に返す。
途端に、霧が晴れていった。
***
牛鬼は、人の血肉を好む。
鬼の顔、2本の角、そして蜘蛛の体。
大きさは乗用車ほどもある巨体。
食欲に際限がなく、善人も悪人も差別することなく喰い殺す。
その食欲のせいで、牛鬼はこの世界でも鉄格子の檻に閉じ込められていた。
よりにもよって、そのような危険な牛鬼を老人は開放した、理都の命を狙うために。
檻から放たれた牛鬼の嗅覚が、人間の匂いを嗅ぎつける。
よだれを振りまきながら、8本の足を駆り、匂いの元を求めて疾走する。
ちょうどそのとき、
ズザーっと、理都はヘッドスライディングのように思い切り前のめりに転んだ。
「り、理都、大丈夫か?」
「うううう……だ、だいじょうぶ……」
靖司は倒れた理都に手を差し伸べる。
「一旦、休憩しようか。疲れたよな」
手を握って引き起こす。
時計で時間を確認する。
自分がここに来てから経過した時間はだいたい1時間。
少しくらいなら休む時間はある。
「ううん、大丈夫」
そう言って理都はパンパンと膝を叩いて、土を落とす。
そして理都が体を起こした時だった。
ドンッ
靖司の眼の前で、理都の体が吹き飛んだ。
「な!?」
「りっちゃん!」
その横を黒い影が駆け抜ける。
「ち」
膠着のタロットとナイフで影を停止させる。
効果時間は1秒――短いが十分。
妖怪が大きく口を開け理都を喰らおうとしたまま停止する。
シノはすぐにその妖怪の姿を記憶と照らし合わせる。
「牛鬼ね。気をつけなさいな。
戦うには厄介な相手よ」
靖司は倒れた理都を抱えあげる。
理都の近くに折れた刀が落ちている。
咄嗟に刀でガードしたのだろう。
靖司は理都を抱えたまま牛鬼から距離をとる。
「理都、大丈夫か? ……理都?」
呼吸は正常だが、反応がない。
気絶しているようだ。
牛鬼は巨体にもかかわらず、8本の脚で高速に動く。
このまま理都を抱えて逃げることは難しい。
ここで倒すほかない。
靖司はそう判断して、理都を木の幹に背を預けるようにして横たえ、理都を守るように牛鬼と対峙した。
シノは舌打ちした。
理都を本来いるべき死後の世界に戻そうと色々な鬼たちが理都を迎えに来た。
そういった鬼たちから理都を守るために、シノは片時も理都のそばを離れないでいた。
それだというのに……。
靖司の言うとおりなら、よりにもよって三途の川の向こう側まで来てしまっていた。
あと2、3年もすれば元服を迎え理都の体も大人になる。
その頃には、この子の魂も現世に定着し、鬼たちも取り返そうとはしてこなくなるのだ。
それまではなんとしてでも、理都を守りきらないといけない。
仕方がない……。
「格下が粋がるんじゃないよ」
シノが低い声で言う。
靖司がシノに視線を向けると、シノの体が2倍に膨れ上がっていた。
見る見るうちに膨れ上がると、元の10倍にまでなった。
靖司は驚く。
「シノ、お前、化け猫だったのか」
シノは口を大きく開け、鋭い牙を覗かせる。
牛鬼が狙いを理都からシノに変える。
牛鬼が頭をもたげて角を突き出し、シノに向かって突進する。
シノは身軽にその突進を躱す。
そして一口目に鬼の肩口にかぶりつき、振り回す。
二口目に横から頭に噛みつき呑み込む。
そして三口目に全身を丸呑みにした。
シノは何事も無かったかのように元の姿に戻った。
靖司は唖然としていた。
「その辺の妖怪と一緒にしないで欲しいわね。
猫又よ。他の猫又よりちょっと長生きだけどね。
怯えてないで、今までどおり可愛がって貰いたいわ」
前足で口元を拭うようにしてシノは言った。