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1−1 神隠し

 緑の茂る森の奥深く、古びた神社があった。朽ちて破れた天井に、満月が覗く。


 その神体の御前に、腰まで届く艶やかな黒髪を携えた女が独り。巫女装束を身につけ、正した姿勢で正座する女に月明かりが真っ直ぐ落ちる。


 女の前に、肩幅ほどの楕円形のものが白い布をかけられて置かれていた。手にした巻物を開くと、中ほどで手を止める。


 紅い唇が小さく動く。この場には似つかわしくない呪いの言葉を紡いでいく。如何に神が無能であるのか、如何に人が人を不幸に追いやるのか、そういった類のものが言霊に乗って辺りに漂う。


「ゆえに妾は神の意思に背き、自然の理に背き、最期に行き着く人の死を拒む」


 女は懐から鈍く曇った紫水晶を取り出し、白い布がかけられたものの横に置く。次いで、線香に火をつけた。線香の濃い煙が白い女を包み込む。


「産んであげれなくてごめんね。あなたにちょうどいい肉体を見つけたの。さあ、宿りなさい」


 紫水晶が一瞬光る。


 どこからともなく赤ん坊の泣く声が小さく聴こえ出す。それは白い布の中からだった。


 その様子をじっと見ていたものがいた。


「霊体になってまでどこに行くのかと思ったら……。人の業って海よりも深いわね」


***


 11年後――。


 屋敷の離れの道場で、金属の打ち合う音が響く。


「りっちゃん、肩から胴に袈裟斬りの後で刀を返して、逆袈裟斬り」


「はい、やッ!」


 黒髪の少女の刀を、背の高い女が刀で受ける。


「上手。実戦の中ではそれを何度か繰り返して」


 幼いながらも凛とした端正な顔つきの少女が、相手の顔に、胴に、刀を打ち込む。


 その顔つきも、漆黒の黒髪も、黒い瞳も、そして肌の色も、対峙する母親のそれとよく似ている。


 刀の打ち合いの中、袈裟斬りと逆袈裟斬りの組み合わせが3度おこなわれたところで次の指示が飛ぶ。


「次、袈裟斬りの後、太ももから膝まで」


「はい!」


 母親の右肩から左の腹まで刀が走る。続けざまに少女は体重移動をうまく使い、刀を左太ももから右膝まで走らせる。


「そこでさらに返して、両足のすねを落とす!」


「やああ!」


 女はそれを寸でで避ける。少女の刀が、女の残像の両足を斬り落とすように走った。

 

「上手よ、りっちゃん。今のをもっと早くできるようになろうね。注意を上半身に集めて、それから確実に足を狙う。太ももは傷つけるだけでも十分。太い血管があるから戦いが長引いても失血死させられるし、足首を片方でも傷つけることができれば動きが鈍くなるから有利になるわ」


「はい!」


 りっちゃんと呼ばれた少女は返事をすると刀を鞘に納める。


「お疲れ様。なあ、何も真剣でなくてもいいんじゃないか。怪我しないかヒヤヒヤする」


 道場の傍らで2人を見守っていた父親が言う。


「心配しすぎですよ、あなた。りっちゃんだって10歳になったんですし。そろそろ……」


 女は一瞬だけ、顔を曇らせたが、すぐに笑みを浮かべる。


「いえ、なんでもありません。怪我はさせませんよ」


「お前の腕なら大丈夫だろうけど。さあ、理都りつ、次はルーンの勉強をしようか」


「うん!」


「あなた、りっちゃんのこと任せます。私は仕事のお昼の用意をしますから」


「ああ。理都りつ、今日も昨日の続きで姿を消すルーンの勉強をしようか」


 理都りつと呼ばれる少女は、元気よく「はい」と応えると母親の背中を見送った。

 理都の母親が縁側に出ると、トコトコと歩いてくる一匹の白猫を見つけた。


「シノ、こんにちは」


 日当たりの良い道場の入り口まで来ると、丸くなって昼寝を始める。


 母親が縁側を通って台所へ向かう途中、ふと、小さな社が目に入った。やしろは火事にでもあったかのように焼け焦げて、今にも崩れそうだ。その社は月代つきしろ家の秘宝や秘術を納めた場所なのだが、もはや見るも無残な姿だ。中にあったものがものなだけに夫は初め発狂して、その後しばらく塞ぎ込んでいた。


 社があんなふうになるなんて、うちの家系は呪われているのかもしれない、と少しナイーブになる。


「せっかく、久しぶりにりっちゃんが来たんだし、たくさん美味しいものを作ってあげよう」


 台所で包丁を握る。理都は普段、この屋敷ではなく、所属している協会の寮に住んでいる。


 道場の入り口の縁側で、丸まっていたシノが、ルーンで姿を消した二人の方をぼんやり眺める。


「りっちゃんのルーンはまだまだね。姿は隠せても魔力が漏れてるじゃないの。あれじゃ、ばればれ……。でも、まだ子どもだし仕方ないかもね」 


 人語で感想を口にしたあと、シノはまた目を閉じて心地よさそうにうたた寝し始めた。



***


 お彼岸の時期に合わせた祭りの帰り道、その事件は起きた。日が暮れた頃、友達と別れた後、理都は汽車で屋敷のある町に向かっていた。


『今から帰る @'^'@ゲコゲコ』と母親にメールを送信する。


 対面のシートにシノが飛び乗る。


「シノー、足汚れてるでしょ? シート、汚しちゃうよ」


「こうすればいいのよ」


 シノは横になって足だけシートからはみ出させてぶらぶらさせる。


 ゴトンゴトンと単調に汽車は走る。都会から離れたここの景色はどこまでも暗く濃い森の緑しかない。


 汽車が車両を軋ませながら、急なカーブを曲がる。その反動で、シノが床にボテッと落ちた。


「痛っ」


 立てかけていた和傘も床に転がる。和傘を拾うと、理都は着物の裾を直す。


「シノ、おいで」


 起き上がったシノを膝に乗せて、優しく撫でてあげる。


 町まであと30分。幼い理都を眠りに誘うのに十分な時間。撫でられていたシノも、すぐに理都の膝の上で眠りについた。


***


「✕✕駅、✕✕駅」


 重い瞼を開けて、ケータイで時間を確認する。


「うそ!? 寝過ごしちゃった!」


 あれから一時間も過ぎている! 慌てて立ち上がる。


「シノシノ! 降りるよ!」


「ん……りっちゃん?」


 寝ぼけているシノを腕に抱いて、和傘を掴み取り、急いで汽車を降りる。


「危なかったぁ。どれくらい過ぎちゃったんだろう」


 丸太の電柱にくくりつけられた看板に駅の名前が書いてある。


鬼住おにずまい駅?」


「嫌な名前ね」


「うん……」


 駅といってもぼろぼろの木製の屋根がついているだけの無人駅。明かりはチカチカとついたり消えたりを繰り返している裸電球がひとつだけ。


 ママに遅れることを連絡するためにケータイを取り出す。


「うそっ!」


 画面左上には無情にも圏外と表示されていた。


「どうしたの?」


「うう……圏外だよ」


「こんな森の中だものねえ」


 心細くなって、胸にいるシノを抱きしめる。


「ぎゅー」


「あら、寒いの?」


「うん……それもあるかな」


 まだ夏の暑さの残る9月とはいえ、朝晩は気温が下がる。

 シノが辺りを見渡す。


「りっちゃん、ここを離れた方がいいわ。なにか、異様な気を感じる」


「異様な気?」


「ええ。死の臭い」


 シノが理都の胸から飛び降りて、「行きましょう」と続ける。


「さ、早くおし」


「う、うん」


 促されるまま駅の外に出ると、濃い霧が広がっていた。駅の出口からは、獣道が伸びている。

 理都を底知れぬ不安が襲う。


「ねえ、シノ、ほんとに行くの?」


「ええ。なんだか時間がないような気がするわ」


 シノがすたすたと先を行ってしまうので、理都は後を追いかけるしかない。


 獣道のとおりに進んでいくと、すぐに木でできた道標が地面に打ち付けられていた。その上にカラスがとまっている。カラスは理都の方を向くと、黒い目で理都をじっと見つめた。ばさっと翼を大きく広げる。


「ひぎゅっ」


 ビクッと体が跳ねる。


 翼を広げるとその全長は意外に大きい。カラスは広げた翼を羽ばたかせ、ガァーガァーと鳴きながら飛んでいった。


「うぅぅう」


「ほら、りっちゃん、しっかりおし」


「うん」


 道標には2つの矢印がついている。かすれた文字で何か書いてある。よく見てみると、片方には「死」と書いてあり、もう片方は「生」と書いてある。「生」の方向は、汽車が来た方角だったはずだ。その向きに進めば、一つ前の駅につくと思う。


「向きもあっていると思うし、生の方向に行けばでいいよね?」


「そうね。それに向きが間違っていても、死はイヤね」


「だ、だよね」


「生」の矢印が指す道を進むことにした。


 その道は森の中へと続いている。もう駅からの明かりは全く届かない。


「あ、そうだ」


 ケータイを取り出し、懐中電灯の機能を探す。ケータイの裏側から明るい光が発せられ、足元を照らす。


「便利な世の中になったわね。今じゃあ、松明のルーンも必要ないのね」


「どうせまだルーン使いこなせないもん」


 理都は頬を膨らませて言った。


「別に責めてるんじゃないのよ。電池が勿体無いわ。先を急ぎましょ」


「うん」


 なだらかな道が続く。時間はかかるかもしれないけれど、歩いていけばきっと一つ前の駅につくはずだ。


「何かいるわね」


「ほんと?」


 歩く先に人影が見えた。こんな場所に人がいるなんて思ってもみなかった。ケータイの明かりを向けるとシワだらけの老婆がこちらを向いている。びっくりして思わず「ひっ」と短く悲鳴を口から漏らしてしまう。


「りっちゃん、人を見て悲鳴を上げるなんて失礼よ」


「ご、ごめん。でも、だって……」


 老婆は杖をついてこちらに寄ってくる。


「珍しい。迷い子かのう。こんな夜にこんな森の中にいるだなんて、どうしたんだい?」


 少ししわがれた、ゆっくりとした声だ。


「あの、実は降りる駅を間違えてしまって」


「そうなのかい。この時間じゃ、もう汽車は来ないからねえ」


「あらら」


 老婆に聞こえないくらいの声でシノは言って理都を見上げる。

 

「や、やっぱり……」


「ところで、どこに向かっているんだい?」


「あの、隣の駅まで」


「ふうむ。お嬢ちゃんの行くべき先はこちらではなく、あちらではないのかのう? お嬢ちゃん、案内してあげようかい?」


 老婆が、『死』と書かれた道標の方角を指を指す。


 老婆の言葉に鳥肌が立つ。


「い、いえ。だいじょうぶです。こっちであってます……、きっと」


「そういうのなら……。けれど、この先、お嬢ちゃんをあるべき姿に戻そうと皆が邪魔建てするじゃろう。苦しむ必要はないんだよ。……それでもよいというのなら、行きたい方へゆくんだね」


 そして老婆は鬼住駅の方へと歩いていった。


 シノは老婆の後ろ姿を睨む。


「ふうん。あの婆さんの臭い、人間じゃない……。まさか…………」


 シノはぐるりと見回す。


「驚いたわ。この気配、妖怪に鬼……沢山いるわね。現世じゃない…………。神隠しね、これ」


 そのセリフは理都の耳には届かなかった。

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