第五十七話 覚醒の時
「あっつい……」
容赦なく照り付ける太陽を見上げて、隣に立つナルクが思わず呟く。
帝都から歩いて三日程、王国付近の平原地帯には、見渡す限り砂の大地が広がっていた。
地域を襲った大規模な干ばつと砂嵐によって、かつて豊かな自然に囲まれていたこの村も荒廃した死の大地へと変貌していた。
最早住む者はおらず、放置された建物の残骸によって村だったことが辛うじて把握できるのみ。
今日ここに来たのは、帝国に蔓延る災厄を止める為。
ナルクによれば、この場所に自然災害を引き起こしている魔物がいる。
「ここでいいのか?」
「うん、確かに感じるよ」
目を閉じ、無言で感覚を周囲に奔らせるナルク。
張り詰めた空気が流れ、こちらまで緊張してしまう。
息をするのも躊躇する空気のまま、数秒が経った頃。
「あっちだよ!」
不意に目を見開いたナルクが、指である方向を指し示した。
そこは周囲と同じただの荒れ果てた砂漠であり、一見何の変哲も無い景色が広がるのみ。
だが、ナルクは険しい瞳のまま、杖をその方向に翳す。
「いくよ、ほたて!」
ナルクの声と共に杖が光り、周囲の空間が歪んでいく。
目に見えなかった災厄が、一つの形となって目の前に現れていく。
高さは40m程、頭部らしきものは無く、螺子繰れた胴体に、一本の足と三本の腕が生えた左右非対称の奇っ怪な体。
体色も同様に奇妙であり、深い赤と河のような青の中に、鮮明なピンクが不規則に混ざり合っている。
それは流れ続ける雲のように、常にうねりながら眼前に存在していた。
見るだけで生理的嫌悪感を引き起こす姿は、人の恐れる災厄を具現化したものとして相応しいものだった。
「出たな……!」
木刀を構え、中空を漂う災厄の魔物と相対する。
こちらの存在を認識したのか、魔物は断続的に唸り声を挙げながらゆっくりと接近してくる。
と、魔物の周囲で空間が暗色に歪み、小型の個体が次々と姿を現していた、
細長いもの、太いもの、何本もの脚を生やしたもの……
それらはそれぞれが異なった形をしているが、そのどれもが親の特色を色濃く受け継いでおり、奇怪な体色と奇妙な形状を併せ持っていた。
「数が多かろうが!」
群れを成して殺到する小型を振り払いつつ、魔物の巨体へと接近していく。
晴天だった空はいつの間にか分厚い雲に覆われ、周囲には激しい雷鳴が轟き始める。
旋風が吹き荒れ、大粒の雨が体を濡らす。
まるで台風の只中にいるような光景の中、小型の一つを足場にして空中へ躍り出る。
加速の付いた体は弾丸のように飛翔し、遂に木刀の切っ先が魔物の体を捉えた。
「でぇえいぃっ!」
裂帛の気合いを篭め、一思いに木刀を振り抜く。
斜めに切り裂かれた魔物の体から、極彩色の霧が吹きでる。
どこから出しているのか、苦悶の声を周囲へ響かせながらのたうち回る魔物。
「ぐ……!」
ガラスを爪で引っ掻いたような金切り声を受け、思わず動きが止まる。
その隙を突いて、小型が後方から襲い掛かった。
対応が遅れ、思い切り地面へ叩き付けられる。
「ちいっ」
口の中に入った泥を吐き出しながら立ち上がり、体勢を立て直した魔物へ向き直る。
魔物の周囲では、再び小型が湧き始めていた。
このままでも負ける気はしないが、一気に決めた方が良さそうだ。
今のレベルは63、帝国に戻ってからレベル上げに勤しんでいたお蔭で、少しは余裕がある。
ステータス欄から『きおく』を開き、ある光景を思い返す。
「纏めて灰になれ!」
次の瞬間、全てを呑み込む業火の波が、前方の空間へ瞬時に現れた。
それは、江渡の街を包み込んだあの大火。
威力はともかく、広さでいえば圧倒的だ。
数百体を越す小型の群れは全てが炎に消え、燃え盛る業火は魔物の巨体をも燃やし尽くそうとする。
再び金切り声が周囲に響き渡る中、炎の大地を一気に駆けていく。
「終わりだっ!」
炎によって脆くなっていた体は、木刀の一突きで崩れていく。
長く、どこか悲しげな最期の声を挙げ、魔物は地面へ倒れ伏していた。
降り注いでいた豪雨が止み、空には青空が戻る。
その変化が、魔物の死を明確に示していた。
溜息を一つ付き、地面に座り込む。
相手が相手だけに、流石に疲れた。
「やったね」
と、戦闘から離れていたナルクが駆け寄って来た。
あいつを実体化させるのにずっと力を使っていたのか、顔には疲労の色が濃い。
「取り敢えず、帝国は大丈夫かな」
これで万事上手く行くとまでは言えないが、災害に関しては解決した筈だ。
後は、シェイルやセーリットの仕事だろう。
王国を襲っている疫病も、こうやって魔物を退治すれば収まる筈だ。
時間は多少かかるかもしれないが、これで先行きに見通しが立ってきた。
「でも……」
だが、ナルクの顔には不安の色が浮かんでいた。
「何かあるのか?」
「えっと、上手く言えないけど、嫌な予感がするんだ」
複雑な表情をしながら、もどかしそうに告げるナルク。
たどたどしい言葉は、自分でも自分の感じているものが解っていないようだった。
恐らく只の感などではない、巫女として目覚めたナルクが、何らかの前兆を察知しているのか。
「気は抜けないってことか……」
どうやら、これで終わりという訳では無いようだ。
不穏な気持ちのまま、額に手を当てて空を見上げる。
指の間から見える青空は、底抜けに明るく晴れていた。
※
ほたてが帝国へ帰還した頃、教国のある神殿では、数人の神官達が古びた通路を進んでいた。
教国北西部に位置する、アシュメント遺跡。
この遺跡は数千年に渡って人の手が入っておらず、教国内にある遺跡では最も過去に造られたとされる存在であった。
「しかし、本当に良いのですか?」
「これ以外に、我らが生き延びる手は無い」
不安そうに問い掛けた若い神官を、髭を生やした年配の神官が一喝する。
彼らがここを訪れたのには、教国が直面するのっぴきならない事情があった。
偽りの女神事件の後、教国には暗澹とした空気が流れていた。
帝国への出兵も無駄に終わり、国を治める教会の権威は失われようとしていた。
それに加えて、最近教国内ではある異変が起こっていた。
神隠しとも呼ばれる、大規模な連続集団失踪事件。
何の前触れも無く村や町のの人間全てが突如消失するという奇妙なこの事件は、教国を更なる混迷へと誘っていた。
相次ぐ異変に対し、教会は何ら有効な手を打てていない。
このままでは、人心の更なる離反は逃れられず、いずれ教会による支配体制そのものが崩壊しかねない。
一発逆転を狙った教会上層部は、自ら禁を破る決断を行った。
すなわち、残された遺物の探索。
巨大な力を持った遺物を手に入れ、地に落ちた権威を再び取り戻す。
遥か昔から禁じられ、帝国へ宣戦布告した理由ともなったその行為を、教会自らが行う。
皮肉ともいえる行動を取らなければならない程、教会は追い詰められていたのだった。
突入を開始してから数時間後、選りすぐられた十数名の探索部隊は、見事に遺跡の最深部にまで辿り着いていた。
「これが、伝承に残された……?」
彼らの足元には、巨大な扉が横たわっていた。
材質は非常に硬く、大きさはゆうに10mを超える。
赤茶けた扉には、びっしりと古代文字が刻み込まれている。
もしここにナルクがいれば、その扉に書かれた文字を解読出来ていただろう。
そして、彼らをすぐに退避させたに違いない。
何故なら、この扉は。
「な、何だ!?」
と、部屋全体を揺らす地鳴りが起き、神官達が慌てふためく。
「と、扉が!」
若い神官が、地鳴りの原因である扉を指差した。
隙間から眩い光を放ちつつ、ゆっくりと開いていく扉。
それは、荘厳さを感じさせる神秘的なものだった。
――そしてこれが、彼らの目にした最期の光景になった。