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第五十六話 王の心、女の心

 夜半過ぎのシーロンケイス城内を一人歩く。

 すっかり暗くなった城内に人気は無く、廊下を進む自分の足音だけが反響している。

 当然明かりもほぼ全て消えている中、一つだけ扉から光が漏れている部屋があった。

 部屋の周囲で立っていた数人の護衛に黙礼され、慌てて礼を返す。

 敵意が無いのは分かっているが、完全武装した軍人を前にすると流石に緊張してしまう。

 一つ深呼吸して気持ちを落ち着けてから、執務室と廊下を隔てる重厚な扉を開ける。

 目的の人物は、机の上で塔のように積み上がった書類の先にいた。

 その女性は、椅子に座ってぼんやりと窓の外を眺めている。

 最上階付近にあるこの部屋からは、すっかり元の姿を取り戻した帝都の姿が一望出来る。

 と、人影が物音に気付いて振り返った。


 「ほたてさん!?」


 こちらの姿を捉えた瞬間、シェイルの表情は目に見えてぱあっと明るくなっていた。

 彫刻品のように整った美しい顔立ちは、以前と変わらない。

 けれど、時間の経過は痛いほど感じられた。

 発せられた声はどこか頼りなく、眼下に深く刻まれた隈は痛々しい。

 

 「おかえり……なさい」


 万感の思いを込めるように、ゆっくりと言葉を紡ぐシェイル。


 「ただいま」


 それに笑顔で答え、無防備に身を委ねてきたシェイルを抱き止める。

 抱き返す力は弱々しく、体の線は以前より細くなっていた。

 それでも、触れ合う肌から感じる暖かさは変わらない。


 「話は聞きました、苦労されたようですね」


 「こっちの事は良いよ、キツかったのはシェイルの方だろ?」


 どちらが辛かったかなんて、シェイルの変わりようを見れば一目瞭然だ。

 女王の仕事なんて只でさえ大変な筈なのに、初っ端からあんなことになるなんて。


 「そういえば、災害の方はどうなったのか?」


 将来の見通しは立ったとはいえ、和国の協力はまだ得られていない。

 それに、今までの間帝国は災害の脅威に晒されっぱなしだった筈だ。


 「もう大丈夫です、ナルクさんが助けてくれましたから」


 巫女として目覚めたナルクによって、帝国の災害や王国の疫病は取り敢えず防がれたらしい。

 混乱を防ぐ為かその存在は公になっておらず、一般の民衆は自然に収まったものだと想っているそうだ。


 「そうか、ナルクが……」


 あのとき言っていたことは、やはり本当だった。

 ナルクには、また礼を言わないとな。


 「情けないですね、こんな時に何も出来ないなんて」 

 

 「そんな、シェイルは十分にやったさ」


 ここに来るまでに見た帝都の様子は、以前と左程変わらないように見えた。

 帝国を治めていたのが無能な君主なら、もっと酷いことになっていた筈だ。

 

 「……ありがとうございます」


 弱々しい口調で、憂いを帯びた笑みを浮かべるシェイル。 

 こんなシェイル、今までで初めてだ。


 シェイルの強い責任感が、悪い方に働いているのは明らかだった。

 それは美点でもあるけれど、度が過ぎれば自身に害を為す。


 「その様子じゃ、暫く休んでないんだろ?」


 もどかしさで、意識せず棘を含んだ口調になってしまう。


 「でも、私がやらなければ。私は、女王なのだから」


 シェイルの背負っているもの、やらなければならないことの重さ。

 俺にも分かるなんて偉そうな事はとても言えないけど、シェイルの苦しみだけは痛いほど伝わってきた。


 「シェイルには、俺がいる」


 「ほたて、さん?」


 そんなシェイルを、少しでも楽にしてあげたくて。


 「セーリットやユイカ、カトラにナルクもいる」


 言葉が、考える前に溢れていた。


 「俺達以外にも、帝国にはシェイルの事を想う沢山の人達がいる」


 体制が変わって三か月近く、もしシェイルが慕われていないのなら、とっくに反乱の一つも起こっていて良い筈だ。

 けれど、そんな気配は微塵も感じなかった。  


 「それは、シェイルの方が分かってるんじゃないのか?」


 言葉を聞き終えたシェイルは、暫し呆然とした顔で固まっていた。


 「――シェイル?」 


 大きく見開かれたシェイルの瞳から、無言のまま滴が零れる。

 

 「ごめんなさい……私、何も……」


 たどたどしく謝罪を告げながら、シェイルは目頭を擦る。

 謝るのは俺の方だ、シェイルがこんなに苦しんでいるのに、一番近くにいて欲しいときにいてやれなかった。


 「とにかく、今日はもう休む!」


 「え、ええっ!?」


 手を掴んで引きずり、半ば無理やり備え付けのベッドへ運ぶ。


 「えーじゃない」


 不満そうに口を尖らせるシェイルを一喝し、上着を脱がせて寝台へ寝かせようとする。 


 「分かりました、分かりましたって」


 観念したのか、シェイルは自分から横になっていた。


 「大人しく寝るか?」


 「はい、ちゃんと寝ます」


 さっきまでの危ういものではなく、はっきりとした口調で答えるシェイル。

 どことなく、表情にも活気が戻っているように見えた。

 

 「なら良し」


 心の内に安堵が訪れ、自然と笑顔が浮かぶ。


 「でも……」


 ところが、毛布を被ったシェイルはまた何事かを言い淀んででしまう。

 もしや、まだ心配事が残っているのだろうか?

 

 「大丈夫、俺に出来る事なら何だってするから」


 「本当に?」


 「ああ!」


 このときの俺は、ようやく元気が戻って来たシェイルを再び落ち込ませたくない一心だった。

 けれどそれは、余りにも不用意な発言だった。


 「では、一つお願いします」


 涙を拭ったシェイルが、姿勢を正して向き直る。


 「あ、ああ」


 改まった言い方で、不意に緊張が高まる。

 

 「今日は」


 今日は?


 「今日は……今日は、私と床を共にして下さいますか?」


 「へっ?」


 その瞬間、脳内の時が止まった。


                            ※


 この部屋にあるのは簡易用とはいえ、流石は女王の所有物。

 広いベッドは、二人が寝ても十分な広さがあった。

 同じ掛け布団を羽織り、背中合わせの体勢で同じ枕へ頭を付ける。


 「ほたてさんは、暖かいですね」


 正反対を向いているというのに、澄んだシェイルの声は正確に聞き取れた。


 「そ、そうかな……」


 緊張からはぐらかしてしまったが、それは嘘だ。

 5㎝は離れている筈なのに、はっきりとシェイルの体温が感じられていた。


 少しはごねてみたものの、結局はシェイルの提案を断り切れなかった。

 暫く離れていた罪悪感もあったし、このまま帰ってしまってはまたシェイルが無理をしかねないと判断したのだ。

 扉の外にいる護衛が気になったが、シェイル曰く「信頼出来る方々なので大丈夫」らしい。

 当然だが、異性と同じ床に就くなんて初めてだ。

 親と一緒に寝ていたのだって記憶の果てにあるというのに、まさかシェイルみたいな美少女となんて。

 

 勿論こんな状況で眠れるはずも無く、むしろ意識は冴え渡っていた。

 とにかく今は、何も起こらないことを願うしか――

  

 「シェ、シェイル!?」


 突然肩に腕が回され、背中に柔らかい感触が押し付けられた。

 それが何なのか理解するよりも早く、シェイルの言葉が耳に届けられる。

 

 「まだ正式には違いますけど、私達は夫婦なんですから。恥ずかしがることなんてないんですよ」


 シェイルは子供をあやすように、諭すような口調で優しく告げる。


 「そ、そういう問題じゃ」


 「では、どういう問題なのですか?」


 「それは、その……」


 鮮やかな切り返しを受け、答えに窮してしまう。

 どうにか反論しようとするが、具体的な言葉が出てこない。


 「大丈夫、優しくしますから、ね?」


 暖かい吐息が耳に直接触れ、例えようも無い感触が体の芯を貫く。

 あくまでも優しく奈落へと誘う言葉に、抗う術は最早無く。


 「は、はい」


 結局この日は、一睡も出来なかったのだった。

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