第五十五話 目覚めた巫女
眩い光を纏いながら、ゆっくりと地上に降下するナルク。
逆光の中で、その姿ははっきりと視認出来ない。
その幻想的な光景を前にして、息をするのも忘れてしまいそうだった。
「ほう、これは……」
カトラが発した意味深な言葉も、全く耳に入っていない。
「ナルク!? どうしてここに。っていうか、その恰好は……」
空中を滑るように近づいたナルクを見て、ようやくその全身が把握できる。
ナルクは、今までとは全く違った服装を纏っていた。
今までの純朴な印象とは異なる、神聖さを漂わせた純白の法衣。
下地は白で、金字の刺繍が不可思議な文字を模っている。
それは右手に持った杖も同様で、先端部に付いた大きな宝石が、鈍い光沢を放っていた。
ここまでは、普通の神官服と言っていいだろう。
実際教国に行ったときにも、似たような意匠の服は何度か目にした。
だが、目の前に現れたものは一味違った。
少し動いただけで中が見えそうなほど短いスカートの下に履いているのは、神秘の領域を引き立てるニーソックス。
下半身だけでなく、脇や腹部等もやたら露出が多い。
服の要所要所には、ひらひらしたフリルの飾り紐が備え付けられており、全力で可愛らしい雰囲気を演出していた。
ナルクの年恰好もあって、まるで魔法少女のようだ。
「か、格好については言わないでよ」
照れ臭そうにスカートを抑える動作が、余計に危うさを引き立ててしまう結果になる。
「大丈夫、とっっても似合ってるよ」
そんなナルクを前にして、素直に感嘆と称賛の言葉が出ていた。
可愛さを極限まで突き詰めたような格好が、元々持っていた少女としての魅力を存分に引き出している。
今までのナルクも十分魅力的だったが、これ程のポテンシャルを秘めていたとは。
正直、このまま何時間でも眺めていたいほどだ。
どこの誰だか知らないが、この服をデザインした人物には花丸をあげたい。
「あ、ありがとう……」
予想外の反応だったのか、顔を赤くして俯くナルク。
満開の花が風で揺れるような可憐な仕草に、思わず頬が綻ぶ。
「って、そうじゃなくて」
ナルクは首をぶんぶんと振ってから、真顔に戻って話し出した。
……もう少し楽しんでいたいところだったが、そうも言ってられない状況らしい。
「私は、ほたてに重要な事を伝えに来たんだ」
真剣な表情で、ナルクは真っ直ぐにこちらの瞳を見つめる。
「手を握って」
右手を出したナルクに寄り、言われるがままに手を繋ぐ。
途端、脳裏に幾つもの映像が流れ込んで来た。
災害によって壊滅する街に、感染病によって死屍累々の地獄が広がる小さな村。
飢えの苦しみを味わったまま死んでいく人々に、狂乱する魔物によって蹂躙される営み。
何倍速にも早送りしたように、その映像は一気に脳裏へと流れ込んでいった。
数秒の後、ふらつきながら手を離す。
「これは……世界の……?」
一瞬で凄まじい量の情報を得て、整理が追い付かない。
まるでミキサーで引っ掻き回されたように、ぐわんぐわんと景色が脳内で回転している。
そんな中でも、これが今別の場所で起こっている出来事だと何となく理解出来た。
流れた映像の中には、今まで俺が訪れた場所も幾つか入っていたからだ。
帝国や王国だけでなく、その中には教国の光景も交じっていた。
どうやら、異変は世界中で起こっているらしい
「うん、この世界で起こっている全て。これらは全て、魔物が引き起こしたものなんだ」
魔物が?
こんな手段を取ってくるなんて、理性の欠片も無く暴れ回っていた今までの印象とはまるで違う。
記憶の中にある魔物は、ただ目の前にあるものを破壊し尽すだけの存在だった。
「ほたてが戦ったあいつも魔物だよ、この国の将軍を操って、自分達の都合の良い世界を創り上げようとしていたんだ」
抱いていた疑問が、思わぬ方向から氷解した。
そう考えれば、鎖国も生類憐みの令にも説明が付く。
鎖国によって他国からの救援も得られず、生類憐みの令によって公権力による防衛も出来ぬままだった和国は、抵抗する間もなく滅亡していただろう。
しかし、それ程の知能を奴らが持っていたとは。
これがナルクでなく他の者からの意見なら、一笑に伏して終わっていたかもしれないな。
「正面切っての戦いじゃ勝てなくなった奴らは、搦め手を使い出したんだ」
「有効な手は?」
敵の正体が分かったのなら、後はそれに対処するだけだ。
災害でなく魔物相手なら、俺の活躍する場面も出てくる筈。
「これ以上の被害を食い止めるだけなら、私の力で何とかなる」
何とかなるかもや何とかなるはずではなく、何とかなるとはっきりと言い切ったナルク。
その自信に満ちた表情に、以前のナルクとの明らかな違いを実感する。
「その力、やっぱり女神の?」
女神の巫女としての力。
それは何の前触れもなく、意図せずに得た力だった筈だ。
ナルクは、そんな力に戸惑いを持っていないのだろうか。
「……大丈夫、これは、私自身の意思で選んだことだから」
毅然とした態度で返答したナルクの口調にも表情にも、迷いの色は少しも含まれていなかった。
「分かった」
なら、俺に言うべきことは何もない。
ナルクが自分で決めた事なら、俺はナルクを信じるだけだ。
その上で、自分の出来る全力でナルクを助ける。
多分それが、本来の目的を果たすのにも一番近い道だ。
「ところで、その人はいいの?」
ナルクの視線が、不意に俺の背後へ向く。
「……な、何がどうなっているのだ」
そこでは、状況を全く呑み込めていない楓が呆然と立ち尽くしていた。
※
「成程、俄には信じ難い話だ」
ナルクや女神の巫女についての話を聞いた楓は、腕組みをしたまま暫し押し黙っていた。
いきなりこんな話を聞かされて、冷静に対処する方が難しいだろう。
「楓、ナルクは――」
「無駄な心配するな、ほたての友人であるならば、疑う理由など無いさ」
沈黙に耐えきれずフォローを入れようとした言葉が、途中で遮られる。
どうやら、無駄な気遣いだったらしい。
「という訳だ、ナルク殿、よろしくお願いする」
ゆっくりと頭を下げた後、さばさばと挨拶を交わす楓。
「……うん、よろしくね」
ぎこちなくおずおずと頭を上げたナルクの表情には、先程までの悠然としたものとは違う憂いがあった。
「ナルク?」
元々人見知り気味だったし、初めて会う相手に緊張しているのだろうか。
それにしては、何故かちらちらと俺を睨んでいるような……
「ナルク殿、それこそ無駄な心配だ。ナルク殿や他の方々に黙って抜け駆けはせんさ」
そんなナルクに対し、楓は一抹の澱みも無くはっきりと言い切ってみせた。
「あ、ありがとう」
あまりにさばさばしていたので、今度はナルクの方が驚く羽目になってしまったようだ。
「当然だな」
まだ龍の姿だったか、気配だけでカトラもふっと微笑んだのが分かる。
二人を包んでいた緊張が解け、周囲に穏やかな空気が流れる。
「何の話だ?」
が、俺は何の話かはさっぱり分からないままだった。
抜け駆けって、功績をどちらが先に挙げるかとかなのか?
ナルクも楓も、そんな小さなことを気にするようには思えないけど。
「何でもないさ」
「ああ、何でもないな」
「そうそう、何でもないって」
きょとんとした顔の俺に、三人は笑顔のまま同じ言葉を返した。
「そ、そうか……」
そこまで言い切られては、こちらも納得するしかない。
少し釈然としない思いを抱えたまま、無言で後頭部を軽く掻く。
急に現れた暗雲はまた急に消え去っていて、見上げた空にはのんびりとした晴天の秋空が広がっていた。