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第五十四話 一先ずの決着

 「落ち着いたか?」


 見慣れた着流しを纏った楓の姿が、ゆらゆらと揺れる蝋燭の明かりに照らされている。

 広間での会話の後、俺は楓の部屋へ案内されていた。

 格好こそ見慣れたものだが、記憶にあるものとは一部分が明らかにに違っている。

 今の楓は、女性らしい胸部の膨らみを最早隠そうともしていない。

 正直、楓が女だって全然理解出来ていない。

 女性だと頭では理解しているが、感情では納得しきれていないなかった。


 「まだ混乱してるよ」


 こうして正面に座った姿をまじまじと見つめると、その戸惑いが更に増幅されてしまう。

 何せ、目の前の楓は相当な美人なのだ。

 艶のある髪や、何処か憂いを含んだ瞳に、薄らと紅潮した頬。

 男だと思っていた頃は何とも思っていなかった仕草の一つ一つに、一々意識が向いてしまう。


 「そうか、それも当然か」


 どこか混乱した面持ちの楓が、そうぽつりと呟く。

 それを最後に会話が途切れ、室内を沈黙が支配する。

 

 多分どちらとも、何を話していいか分からないのだ。 

 そんな状態が数分続いた頃だろうか。


 「どうして……どうして急に将軍をやる気になったんだ?」


 緊張に耐えきれなくなり、俺はおずおずと口を開いていた。


 大広間で説明されたのは、楓が新たな将軍として名乗りを告げるということ。

 楓はあの戦いの後、紅鬼達の伝手を頼って生き残った有力者達と話を付けていたらしい。

 俺は全く気付いていなかったが、臥鬼忍軍は楓が将軍家の血筋だと初対面で見抜いていたらしい。

 楓が江渡城へ着いてくるのを止めなかったのも、その辺りの事情があるのだろう。


 話を聞いている内に、心中には一つの疑問が浮かんでいた。

 和国が大変な状況なのは分かるが、それだけで将軍を継ぐ気持ちが決まるのだろうか。

 要は、楓が無理をしていないか心配だったのだ。

 本当の意思が違うのに、責任感や罪悪感だけで突っ走っていないかと。


 「お前のせいさ」


 だが、返って来たのは想定外の答えで。 

 どう返していいか分からずに、きょとんとした顔を晒してしまう。


 「実際に死の淵に立って、私の考えがいかに甘かったか気付いた。結局私は、逃げていただけなのだと」


 あのとき助けに入るのが少しでも遅れていれば、楓達の命は無かった。

 想像するしかないが、相当な恐怖を感じたのだろう。


 「だが、お前は逃げなかった」


 芯の通った声と共に、澄んだ瞳が真っ直ぐに俺の目を射抜く。 


 「例え自身より遥かに大きな敵を前にしても、全く怯まずに立ち向かっていく、そんなお前を見て、私も逃げるのを止めたのさ」


 そこまでを一息で言い切ってから、一拍置いて楓は続ける。


 「それに、和国の生まれでもないお前があそこまで戦ってくれたというのに、意地を張っている場合ではないからな」


 「別に俺は」


 戦っているときの俺は、和国を救おうとなんて思っていなかった。

 物の怪たちと戦っていたのは、正義の為なんて綺麗な理由では無く、ましてや、同情心などでもない。

 和国の混乱が収まれば、シェイル達帝国の為になると思ったからだ。

 単に自分の為であり、楓が言っているような立派なものでは無い。


 「お前はお前の利の為に戦っていたのだとは分かっている。だとしても、お前のお蔭で救われた民がいるのは事実だ」


 が、そんなことはとっくにお見通しだったようである。


 「ありがとう、ほたて。和国の民に変わって、心からの感謝を」


 その上で、あえて俺に礼を告げているのだ。 

 なら、変に謙遜するのは失礼だろう。 


 「こちらこそ、どういたしまして……だな」


 「ああ」


 言いたかったことを言い終えたのか、どこかすっきりとした表情の楓。

 その和らいだ雰囲気を前にして、こちらの緊張も少しだけ緩和される。


 「一つ、聞いていいか」


 「うん?」


 不意を突かれ、きょとんとした顔を浮かべる楓。

 久しぶりに素の楓を見れた気がして、ちょっと嬉しい。


 「剣の修業は、もう止めるのか」


 将軍という立場に専念するのなら、剣術修業はもう止めるべきだろう。

 けれど、俺は楓に剣を止めて欲しくなかった。

 例え逃避の手段であったとしても、剣に抱いていた感情は嘘ではなかったと思うから。


 「……止めないさ、止めないとも」


 楓は驚いたように息を呑んでから、力強く宣言した。

 迷いの無い凛々しい表情を見て、胸の内にあったもやもやがようやく霧散する。

 男だろうが女だろうが、楓は楓だ。

 変に気にするのは、俺らしくないよな。


 「よし、握手しよう」


 「……何故だ?」


 「いいからいいから」


 困惑する楓を押し切って、堅く握手を交わす。

 しっかり握り返してきた楓の手は、予想よりも柔らかかった。  


                       ※


 楓が将軍の地位に着いてから、一週間程が経った。

 心配されていた反発も無く、新たに始まった統治は呆気ないくらい淡々と進んでいた。

 これは、先代将軍を含む古い重臣が丸ごと消えたことも関係している。

 新しく幕府の要職に就いたのは、今まで表舞台に出ていなかった人材が殆どだった。

 その中には、半ば腐敗していた幕府の中で疎まれていた人物も多く、楓の境遇にも一定の理解が示されていた。

 一般民衆の方といえば、そもそも女がどうなどと言っていられる場合ではなかった。

 この窮地を救えるのなら、性別の違いなど気にしている場合ではなかったのだ。

 

 就任から僅かな期間で、楓は凄まじい働きを見せていた。

 各地の混乱を見事に治め、物の怪の被害へも的確に対処していた。

 本人は謙遜していたが、元々統治者としての適性は高かったらしい。

 彼女が将軍になることを妨げていたのは、女であるという一点だったのだろう。

 裏の話をすれば、臥鬼忍軍がその下に付いたのも大きい。

 刻屍忍軍が壊滅した今、諜報の世界において彼ら以上の存在はいない。

 彼らからすれば、自分を雇ってくれる相手なら誰でも良かったのかもしれないけど。

 和国は取り敢えずの安定を見せ、ひと時の平穏を取り戻していた。

 ――そして今日、俺は。


 高く透き通った秋空に、数羽のとんびが翼を広げている。

 小高い丘の上からは、復興の兆しが見え始めた江渡の街が見下ろせた。


 「行くのか?」


 背後から聞こえた楓の声に、江渡の街から視線を離す。

 今日はお忍びということで、目の前に立つ楓の服装は軽いものだ。

 将軍として公の場に立つときは、何重にも着飾った酷く動き辛そうな服を着ているもんな。


 「悪い。でも、帝国が心配なんだ」


 まだまだ和国の行く末は厳しく、ここで離れるのは心苦しい。

 けれど、やはり帝国が心配な気持ちは抑えきれなかったのだ。

 幸いと言うべきか、和国の鎖国政策は解除されていた。

 今はそんな余裕が無いだろうけど、帝国への支援も既に約束済みである。

 つまり、本来の目的は果たしたことになる。

 なんだけど……


 「いや、謝る必要は無い」


 帝国へ帰ると告げたとき、楓の反応は以外にもあっさりとしたものだった。

 もっと引き留められるのかと思った手前、少し寂しくなってしまったのは我儘だろうか。


 「しっかし、分からないことだらけだったな」


 和国で起きた出来事は、今だ深い霧の中にあった。


 「ああ…… 結局、綱好の行方も分からないままだ」


 物の怪の出現に、江渡城の異変。

 どちらの原因も不明であり、行方不明になった人々は未だ見つかっていない。

 その二つに関係していたと思われる男は、既に過去の存在になっている。

 そもそも、あの男は何者だったのか。

 噂では、刻屍忍軍を操っていたのもあの男だったという。

 尋常ではなかった気配や戦闘力から、ただの人間で無いことだけは確かだけど……


 「どうした、さっさと行くぞ」


 と、龍形態になったまま待機していたカトラが、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 このまま待たせていたら、一人で帰ってしまいかねない。


 「ああ、今行くよ」


 分からないことを気にしても仕方ない。

 それよりも、今は他にやるべきことがある。

 気持ちを切り替え、カトラの背に乗ろうとした、そのとき。


 「……っ!」


 何の前触れも無く、楓の表情が変化していた。


 「どうした!?」


 目を見開き、信じられないものを前にしたように静止する楓。


 「そ、空が」


 その視線の先へ、ゆっくりと振り返る。

 今まで晴天そのものだった空が、一面の暗雲に包まれていた。

 突然の変化に驚く間もなく、分厚い雲の隙間から一筋の光が差す。

 それはまるで、暗転した舞台にスポットライトが当てられるように。

 眩い光に包まれて、天から何者かがゆっくりと地上に降り立つ。

 あまりに神秘的な光景を前に、声一つ発することが出来ない。

 目も眩む閃光を放つ人影から、誰かの声が聞こえた。

 

 「久しぶりだね、ほたて」


 それは、聞き慣れたあの少女の声だった。

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