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第四十八話 優しさの躯

 和国は、古来から武を好む国柄である。

 かつて和国を統一し、幕府を起こした家易は、誰もが羨むような偉丈夫であったという。

 歴々の将軍も、家易に恥じぬ堂々とした男子ばかりであった。

 そんな中で、五代目綱好は異質だったといえよう。

 幼いころから病弱であり、10になるまで殆ど城から外に出たことは無かった人間。

 体の弱く、まだ年若い綱好が将軍となることに、内外からは少なくない批判が出た。

 しかし、血筋でいえば間違いなく直系であること、また他の縁者に丁度良い年頃の者がいなかったこと等から、敢えて言うなれば消去法で綱好が選ばれていた。

 そんな事情で選ばれた将軍が、素直に尊敬を向けられる筈も無い。


 ここで、綱好が愚鈍な男であればまだ良かった。 

 明らかにそれと分かるおべっかの中であっても、真意を知らずにのうのうと暮らせていた筈だから。

 しかし、綱好は聡明な知性を持っていた。

 重臣たちが顔に浮かべた臣従の中の、明らかな嘲りが解るくらいには。

 綱好は、それを受けて素直に憤りを表せる性格でもない。

 誰にも打ち明けられぬ澱みを抱えたまま、綱好は悶々とした日々を送っていた。

 

 そんな中、綱好の前に一人の男が現れた。

 何処とも知れぬ傍流の出自、それも養子という立場でありながら、凄まじい働きを見せた一人の男。

 男は年功序列の幕府の中において破竹の勢いで出世し続け、遂には江渡城の中にまで出入りできる立場となっていた。

 その者の名は、慟刻という。

 城内の大多数と同じく、綱好も最初は慟刻を良く思っていなかった。

 突如現れた成り上がり者に対して、好感情を持てと言う方が難しいだろう。


 ある日、綱好は偶々慟刻と話をした。

 廊下ですれ違った際に、綱吉の方から話し掛けたのだ。

 ふと目が合った瞳の中に、自分と同じような、満たされぬ悲しみを見た気がしたから。

 実際に言葉を交わしてみて、それは確信に変わった。

 慟刻の言葉には、他の者とは明らかに違う知性の輝きと、重く暗い悲しみが確かにあった。


 いつしか、二人は秘密裏に会合を重ねるようになっていた。

 常に将軍としての立ち振る舞いを求められる綱好が、慟刻の前では何故か自然にいられた。 

 そんな中で、綱吉は誰にも話したことの無い心の内までもを吐露していた。


 「私は、優しさでこの国を治めたいのだ」


 百年近く平穏が続いても、今だ和国には戦国以来の殺伐とした空気が残っていた。

 それを改め、感情ではなく知性と法によって国を統治する。

 心優しき綱好の、たった一つの夢だった。

 そう言ってしまってから、綱好は大いに後悔した。

 この夢は、誰にも話していなかった。

 例え話したとて、古くからの考えに凝り固まった重臣たち相手では一笑に付されるのが落ちだ。

 多少は物わかりの良い者達であっても、苦い顔をして押し黙るのが関の山だろう。

 これは元々、秘めたまま墓場まで持っていくつもりだったのだ。

 だが、慟刻は違った。


 「それは、素晴らしきお考えです」


 自分の軟弱な考えを、心から素晴らしい言ってくれた。

 この時、綱好は始めて心からの忠臣に巡り合ったと感じた。

 始祖家易に仕えていたような、命すらをも預けられるような者が。

 そう言う理由があっては、綱好が慟刻を重用したのも当然の帰結と言える。


 側近中の側近である老中にまで取り立てられた慟刻は、綱好の期待通りの働きを見せた。

 鎖国や生類憐みの令は、共に和国を平穏に保ちたい綱好の心をくみ取ったものだった。


 急に江渡城の護衛を廃せと言われても、綱吉は素直に従った。

 今まで、慟刻に従って間違いは無かったから。


 「慟刻よ、今日は特別な祭りでもあるのか?」


 「我らにとって重要な儀式が、これから始まります。これが終われば、全てが変わるのですよ」


 「そうか、それは楽しみだ」


 慟刻の言葉を受け、綱好の顔に無邪気な笑みが浮かぶ。

 綱好は慟刻を、心から信じていた。

 意識が途切れる、その最期の瞬間まで。


                        ※


 「何が、何があったのだ……!」


 江渡城最上階、天守に設置された将軍の居室内に、楓の叫び声が虚しく響く。

 最早、声を潜める理由も無くなっていた。

 何故なら、ここにはもう誰も居なかったから。

 将軍の住まう場所に相応しい絢爛さを放っていただろう豪華な家具は、今や見る影も無い。

 部屋は荒れ果て、正常な位置に着いている物は一つも無かった。

 全てが無秩序に乱された光景は、まるで小型の竜巻が通り抜けたようだ。

 呆然としながら足を踏み入れてみるが、やはり誰の気配もない。 


 「ようやく来ましたか」


 突如響いた何者かの声に、二人は驚いて振り返る。

 誰も居なかった筈の室内に、長身痩躯の男が現れていた。

 長髪を無造作に伸ばした男が纏っていたのは、見慣れた和服とは違う、全身を薄く覆う漆黒の服。

 もしここにほたてがいれば、ロボットアニメのパイロットスーツのようだと想起しただろう。

 格好だけでなく、全身から放たれる寒々しい気配が男の底知れなさを明示していた。


 「何者だ、貴様」


 「おや……? お目当ての姿が無いようですが」


 紅鬼の鋭い殺気を纏った問いをぶつけられても、男はがっかりしたように肩を竦めるのみ。

 武器と呼べるようなものを持っていないにも関わらず、男の態度には余裕が満ちている。


 「綱好様を、将軍を何処へやった!」


 「暗殺しようとしていた相手の心配とは、奇妙なことですね」


 「……っ!」


 図星を突かれ、楓は思わず押し黙る。


 「私のことを話したとて、貴方達には訳が分からないでしょう」


 そんな楓に、男は飄々とした態度で続けた。


 「せめて、ここに彼がいてくれれば良かったのですが」


 「……彼とは、ほたて殿か?」


 「ええ、魔物のことを知っている彼ならば、私を見ただけで状況を察せれるでしょうに」


 「魔物?」


 聞き慣れない単語に、楓の頭上で疑問符が浮かぶ。

 が、それに返答は帰ってこない。


 「まあ、いずれにしても」


 男の表情が楽しげに歪むと、剥き出しの殺気が部屋中を包んだ。


 「……来る!」


 瞬時に短刀を構え、戦闘態勢を取る紅鬼。


 「何が何だか分からないが……!」


 その横で、楓も静かに刀を抜いた。


 「ここで貴方達が死ぬことに、変わりは無い」


 慟刻が冷徹な言葉を告げた、次の瞬間。

 ぶぉんという不気味な音と共に、周囲の空気が揺れた。


 「きゃあっ」


 「ぐわぁっ!?」


 悲鳴と共に、二人は部屋の壁まで吹き飛ばされていた。

 立ち上がろうにも、見えぬ何かに押しつぶされて全く動けない。

 まるで、空気全体が錘に変わったかのように。


 「大人しくしていれば、苦しまずに済みますよ」


 二人にゆっくりと歩み寄る慟刻の顔には、残酷な笑みが浮かんでいた。


 「喰らえっ!」


 楓の腕に支えられた紅鬼の掌から、忍術による火球が放たれる。

 赤々と燃え盛る火炎は、紅鬼が渾身の力を込めて生み出したものだった。

 しかしそれも、慟刻に触れる僅か手前で消失していた。


 「残念でしたね」


 「そんな……」


 最期の望みを絶たれ、布に隠れた紅鬼の表情が絶望に染まる。

 それは紅鬼が初めて見せた、年相応の少女の姿だったかもしれない。


 「それでは、終わりです」


 無造作に突き出された男の掌に、眩い光が点る。


 「誰か、誰か助けて…… 助けてよ、ほたて!」


 最早錯乱状態に陥った楓が、開け放たれた部屋の窓へ向け叫ぶ。


 「無駄な事を……」


 口の端を歪ませた男が、光球を二人に向け放とうとした、そのとき。


 「さ、せ、る、かぁっ!」


 絶叫と共に、部屋の天井が突き破られた。

 激しい衝撃音が室内を包み、木材の破片が部屋中に飛び散る。


 「ようやく、主賓の登場ですか」


 もうもうと立ち込める粉塵の中、何者かの影がゆっくりと立ち上がる。

 それは、双方が待ち望んでいた者。

 木刀を持つ、あの青年の姿だった。

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