第四十四話 幻影打破
室内に現れたのは、臥鬼忍軍とも違う異形の忍者達。
じりじりと歩み寄る忍者達を前に、木刀を抜くか抜くまいか間合いを計っていると、後方から笙鬼の声が響いた。
「ほたて殿、こちらへ!」
いつの間にか視界から消えていた笙鬼は、部屋の隅に飾られた掛け軸の傍にいた。
笙鬼が掛け軸の裏側に手を入れると、部屋の壁が180度回転し、丁度人一人が通れるくらいの穴が現れた。
穴へ飛び込んだ笙鬼の後に続いて、細い抜け道の中へ。
薄暗い通路を歩きながら、笙鬼は早口で喋る。
「あれは刻屍忍軍。我らに変わって新しく御庭番となった者達です」
将軍が綱好に変わったと同時期に、何の前触れも無く和国に現れた忍者集団。
その素性は謎であり、臥鬼忍軍の総力を持ってしても全く分からないままだという。
通路の先に薄らと出口が見え始めた頃、突如轟音を立てて天井が割れ、新手の刻屍忍者達が襲い掛かって来た。
進路上に立ち塞がった彼らが不気味な双眼を赤く光らせた、次の瞬間。
突如周囲の景色が歪み、空間が瞬く間に変化する。
「な……!?」
血を流したように赤く染まる空と、地平線まで続く枯れ木の葬列。
足元はうねる汚泥で満ち、今にも深淵へ引きずり込まれんばかり。
ここは煉獄か辺獄か、一つだけ言えるのは、どう見てもさっきまでいた通路ではないということだけ。
「お気を付け下さい、奴らの忍術です! 呑まれれば魂を……!」
注意を呼びかける笙鬼の声が、途中で掻き消される。
と、足元の汚泥に、小さな気泡が現れ始めた。
ぼこぼこと音を立てる気泡は、次第に大きくなっていく。
気泡が現れる間隔は次第に短くなり、そして。
噴水のように汚泥が巻き上げられ、周囲は泥の塊によって取り囲まれていた。
よくよく見れば、それらはおぼろげに人間の形を取っているように見える。
現れた泥人間の数は、数十を軽く超える。
ゆっくりと動き出した泥人間達は、粘つく拳で襲い掛かってくる。
木刀を振るって反撃するが、泥の体をすり抜けていくのみで全く手ごたえが無い。
いくら攻撃を繰り出しても、泥の人間達は全く意に介していなかった。
恐らく、これは忍術によって見せられた幻覚の中。
であれば、こいつにどんな攻撃を繰り出したとて無意味だろう。
迷路に入った思考の中で、発動させていた『けいさん』がある答えを導き出す。
それは、博打ともいえる回答。
「使いたくなかったけど……」
躊躇しながらメニュー画面を開き、『きおく』の項目をタップする。
目を閉じ、意識を過去の記憶に集中させる。
かつて鋼鉄の怪物相手に放った、124万6574Gもの大金を注ぎ込んだ課金剣の一撃。
今まで経験した中で最大火力の攻撃であり、過剰過ぎる威力にもう使うことは無いと思っていた。
けれど、ここが幻覚の中であり、生半可な攻撃が意味を為さないのなら。
おもむろに課金剣を構え、迫り来る泥人間達へ向ける。
「喰らえぇぇっ!」
課金剣から、全てを呑み込む白い閃光が放たれる。
白い光の渦は泥人間を丸ごと包み込み、世界全てを白く染めていく。
眩い光で視界が埋め尽くされた、次の瞬間。
電源スイッチを切ったかの如く、一気に意識が途切れていた。
眠りから覚めた直後のような眩暈の中、ゆっくりと周囲を見渡す。
そこは、先程までの薄暗い通路。
ぼんやりとした視界が焦点を結べば、先程までと全く同じ態勢で俺達を囲んでいた。
瞬時に意識が覚醒し、木刀を構えつつ後ずさる。
が、予期していた攻撃は無い、まるで時が止まったかのように、忍者達は一歩もその場を動かないままだ。
不思議に思って慎重に歩みよると、忍者達の頭から鮮血が次々と吹き出し、ぷつりと糸が切れた様に倒れていった。
と、すぐ傍で誰かの呻き声が聞こえた。
視線を下に向ければ、頭を抱えて蹲った笙鬼の姿が。
「大丈夫ですか?」
「ええ、面目ない」
まだ茫然としている笙鬼に手を貸し、ふらつく体を支えて立ち上がらせる。
「恐らく、幻覚を破られた反動でしょう」
ぴくりとも動かない忍者達を見下ろし、笙鬼が呟く。
「幻を見せる忍術は、術者の精神力によって全く別の空間を現世に出現させるもの」
幻覚の中で受けた傷は現実の体にも及び、何も出来ないまま命を奪われかねない強力な忍術。
複数で行えば行う程強力になるらしく、五人の術者で放たれた今回の術は相当な力を持っていた筈だという。
熟練の忍者である笙鬼であっても、命がある内に抜け出すことは難しかったかもしれないそうだ。
「貴方の放った攻撃が、空間の許容量を上回ったのでしょうな」
俺の話を聞いた笙鬼は、感心したように深く頷いていた。
忍者ではないこの身には想像するしかないが、パソコンが重いプログラムを起動させてフリーズするようなものだろうか。
あれ程の攻撃だ、空間に与える負荷も尋常ではないだろう。
「早く外へ」
俊敏な動きを取り戻した笙鬼に促され、抜け道の外へ出る。
辿り着いた村の中では、既に激しい戦いが繰り広げられていた。
投げられた無数の手裏剣を避けつつ接近し、苦無で首を刈り取る忍者。
通り道では普通の農民にしか見えなかった老人も、鎖鎌を駆って見事に戦っていた。
混沌とした状況の中で、聞き慣れた声に視線が向く。
「ええい、面妖な術を!」
楓の剣の冴えは流石と言うべきで、相対した忍者の体は中心線から綺麗に別たれていた。
しかし、忍者はまだ動きを止めてはいない。
なんとその忍者は、真っ二つになった体のまま動いているのだ。
半分になった体から繰り出される奇っ怪な攻撃に、楓は大いに苦戦しているようだ。
「楓!」
「ほたて、無事だったのか」
心配していたのだろうか、こちらを見て顔をほころばせる楓。
同時に、楓に襲い掛からんとしていた忍者の動きが止まった。
「くっ、仕損じたか!」
悔しげに呟いた忍者は、土の中へ溶けるようにその姿を消した。
それとほぼ同時に、周囲で鳴り響いていた喧騒も止む。
「助かった、のか?」
さっきまでの混沌が嘘のような静寂の中で、楓の呟きがやけに大きく響く。
「頭領! ほたてどの!」
と、俺達をここまで案内した赤い忍者が現れた。
「紅鬼か。……里の状況は?」
笙鬼の問いに、紅鬼と呼ばれた赤い忍者は重苦しく首を振る。
「芳しくありません。奴らの数が予想よりも多く」
紅鬼が見つめる視線の先には、黒い装束の忍者が骸になって転がっていた。
「むう……」
「このまま逃げ隠れていたとて、いずれすり潰されるのみです。ここは、死中に活を見出すべきかと」
腕を組んで考え込んだ笙鬼に、紅鬼は強い口調で詰め寄る。
「その話は後にせい、今は傷付いた輩を救うのだ」
「……はっ」
渋々頷いた紅鬼は、一瞬で何処かへと飛び去っていく。
その姿を見送って、笙鬼はこちらへと振り向いた。
「申し訳ない、我らの事情に巻き込んでしまった」
「いえ、今の忍者達は多分……」
俺が現れた瞬間、戦闘の最中だった忍者達は姿を消した。
刻屍忍軍の標的は、恐らく俺だろう。
「そんな、奴らも知っていたと」
こちらの推測を聞き、目を見開いて動揺する笙鬼。
「確信はありませんけどね」
それを敢えて軽く受け流しながらも、心の内では深刻な思考が巡っていた。
既に俺の存在が知られており、しかも確実な敵意を向けられている。
まだ臥鬼忍軍に協力するかどうか決めていない状態でも、奴らにとっては十分な脅威らしい。
刻屍忍軍が幕府直轄の御庭番ならば、これは幕府に敵視されているのと同意。
幕府との交渉が目的の俺にとって、これは由々しき事態だ。
正直臥鬼忍軍の話に乗るか決めかねていたが、これで他の選択肢は封じられてしまったようだ。
目的を果たす為、今の幕府を変える。
いくら未知の国とは言え、今までに比べれば穏便に済むと思っていた。
が、また大事に巻き込まれてしまったらしい。
大きく息を吐き出して、ふと上を見上げる。
青々と晴れ渡った空では、一羽の鳶が悠々と風に乗っていた。