第四話 天啓、役に立たず
――王都ドルガードでは、風の月第二週火の日に、折れた剣を玄関先に吊るすという奇妙な風習がある。
数百年前、魔物の襲撃からこの地を救った英雄にあやかって始まったとされ、剣を持たないものはナイフや包丁を折り、それすらも持たないものは紙で作った模造品を使う。
鍛冶師からすれば、魂を込めて作った剣を折られるのだから堪ったものではない。
とはならず、折ったものの代わりとして新品を買ってくれることから喜ばれているそうだ。
フィルスト・カオクル著『王国風土記 第二章』より抜粋――
※
窓の外からは、瓦礫を片付ける人々の活気に溢れた声が聞こえている。
街は無残な姿に変わってしまったが、街の人は意外なほど元気だった。
魔物の襲撃からまだ一週間も経っていないというのに、人々の顔には笑顔が溢れている。
恐らくそれは、ドルガード王の存在が大きいのだろう。
居城を避難場所として迷いなく開放し、魔物が城に迫った際には自らが先頭に立って指揮を執ったらしい。
復興においても同様で、まだ危険の残る場所でも積極的に足を延ばしている。
私財をなげうって復興に携わる姿を見て、心を打たれる民衆は多いそうだ。
俺の方といえば、宿屋のベッドに寝転がり、久々のまともな寝床を堪能していた。
瓦礫に呑み込まれ意識を失った後、目が覚めたのは街の入り口だった。
復活地点が離れていなかったのは幸いだったが、どういった条件で変化するのかは調べておく必要があるな。
街の通りを見れば、自らの剣を故意に折って腰に差したものがちらほらと見受けられた。
恐らく、自分が街を救った英雄だと主張しているのだろう。
あそこで名乗り出ていれば、今頃は救国の英雄として祭り上げられていたのかな。
粗末な宿屋ではなく、お城の豪華なベッドで眠れていたかもしれない。
たった一人で魔物の群れを一蹴した者について、多くの人は折れた剣を持った剣士としか知らない。
王国の危機に蘇った伝説の戦士だとか、神に使わされた使者だとか、好き勝手な噂が流されているようだ。
あのとき、扉が崩壊する直前の一瞬、唐突に『けいさん』の力が切れた。
連続使用には時間制限があるのだろうか? おおよそ一時間程度は使えていたから、普通の戦闘に支障は無さそうだけど。
あれだけ力を使ったが、反動の方は今の所訪れていない。
一回死んでリセットされたのか、身体が慣れたのか。
メニュー画面を開いても相変わらず説明は無いので、想像するしかないのがもどかしい。
「ほたて」
ふと、扉の方からこちらを呼ぶ声がした。どうやら、出掛けていたナルクが帰ってきたようだ。
「お帰……り?」
ボロボロだった服を着替え、被っていた埃を洗い流した姿は、見違えていた。
くすんでいた赤い髪は輝きを取り戻し、肌は瑞々しく張りのあるものに。
更に、ボロ布に包まれて分からなかった体の線がはっきりと分かるようになっていた。
元々可愛い子だと思っていたが、ここまで変わるのは予想外だ。
想定外の状況に、一瞬思考が停止する。
「どうしたの?」
「……綺麗だ」
空っぽになった頭から、無意識に言葉が漏れた。
「えっ?」
「えっ!?」
たった三文字の言葉で、二人の時間が止まる。
数秒置いてことの重大さに気付き、顔から血の気がさぁっと引く。
けど、今更気付いても後の祭りだ。
「今、なんて――」
「そ、その服どうしたの? お、お風呂にも入ったみたいだけど」
話題を変えようと、ナルクの変化について聞いてみる。
「服は、ほたてに貰ったお金で買ってきた。お風呂は、宿屋の人が入って良いって。それより、今何か言っ――」
倒した量が量であり、魔物を倒して得た金は結構な量になっていた。
一度死んで半分になってしまったものの、普通に買い物するくらいはある。
「そろそろお腹も空いたし、何か食べに行こうか!」
勢いよくベッドから降り、扉の外へ早歩きで移動する。
ナルクは少し首をかしげていたが、無言で後から着いてきた。
どうにか誤魔化せた、かな?
こんな状況でもたくましい人はいるもので、大通りの左右には出店が軒を連ねていた。
どれもありあわせの材料で作られた簡易的なものばかりだったが、それなりに盛況を誇っている。
金網の上で焼かれていた芋のような野菜を四つほど購入し、ナルクに半分手渡す。
「ナルク、これ」
「ありがと……」
芋を勢いよく頬張れば、じんわりとした甘みが口いっぱいに広がった。食感はジャガイモに近いが、味は薩摩芋に似ている。
どこか懐かしい味を堪能しながらも、視線は正面を向きっぱなしで。
宿屋の件から暫く経っても、ナルクの顔をまともに見れないままだった。
無言のまま二人で歩いていると、武器防具屋の看板が目についた。
今後の戦いに備え、装備を整えようと立ち寄ったのだが。
「こんなに高いの!?」
店頭に並べられた武器の値段を見て、思わず叫んでいた。
さっき買った芋やナルクが買ってきた服と比べても、明らかに高い。
防具も同様で、まともな装備を整えようとすればとても手持ちでは足りなかった。
「済まないねぇ、軍が使うからって買い上げちゃったのさ」
頭に布を巻いた小太りの店主は、申し訳なさそうに頭を下げている。
魔物との戦いに備える為殆どの武器防具は王国軍が接収しており、一般に出回るものは品薄になっているという。
新しく仕入れをしようにも、交通網が寸断されている状況では難しいそうだ。
店内を見回すと、値札だけ置いてあって商品の置いていない棚がちらほらと見受けられた。
理屈は通っているが、それにしてもただの木刀が3000Gもするとは。
最も高い鋼の剣に至っては、5万Gという大金だ。
一回の戦闘で手に入るGは多くても70位だから、鋼の剣を買う為には……
こんなことなら、折れた剣でも捨てるんじゃなかったな。
「ありがとねー」
数十分迷って結局買ったのは、それぞれ一番安かった木刀と籠手のみ。一応格好は付いたが、これでは心もとない。
普通の戦闘なら、『けいさん』を使えばどうにかなる。どうにかなるが、正直あれには頼りたくなかった。
降って湧いた力に頼り切っていると、いつかしっぺ返しを食らいそうだし。
装備屋に寄って暫く経った頃。
まだ襲撃の爪あとが色濃く残る一角に、気になる建物があった。
真っ白い壁に覆われた左右対称の建物中央には、長く伸びた尖塔がある。
窓はモザイク状のステンドグラスで、その殆どは割れているものの、幻想的な美しさは見て取れた。
周囲に見える他の建物と明らかに建築様式の違うそれは、宗教的な意図を持っているように見える。
俺はその建物が何処か気になり、自然と足を伸ばしていた。
割れたガラスの散らばった室内には、二列になった長椅子が等間隔で並んでいる。
長椅子の間を歩いていくと、丁度正面に美しい女性を模った石像が飾られていた。
崩壊しかかった建物の中で、その像だけが壊れても汚れてもいなかった。
壊れた天井からスポットライトのように指す光が、灰色の像を白く輝かせている。
神秘的な光景を前にして、導かれるように像へと近づいた、そのとき。
目の前の景色が一瞬で変化し、上も下もわからない暗闇が上下左右全てに広がっていた。
突然のことに驚く間もないまま、誰かの声が聞こえ始める。
「よくぞここまで辿り着きました、選ばれし勇者よ」
幾重にも反響したその声は、脳裏に直接流れ込んでいるようだった。
と、目前の暗闇が眩く輝き、反射的に瞳を閉じる。
光が収まり、ゆっくりと目を開いたそこにいたのは、神々しい閃耀を纏う一人の女性。
全身を覆う薄いローブのような神秘的な服装や、凹凸のはっきりした体型や、金糸のようにゆらゆらと揺れる長い髪。
この世のものとは思えない程美しい姿は、さっき見た石像がそのまま目の前に現れたように思えた。
「貴女は?」
「私は創生の女神ミトレーヤ」
ミトレーヤと名乗った女性は、柔らかな笑みを浮かべて話し出した。
「勇者よ、世界を救うのです。それが貴方の望みを叶えることにもなるでしょう」
「じゃあ、世界を救えば、俺は帰れるんですね」
「……勇者よ、世界を救うのです」
問いに答えは無く、ミトレーヤは同じ言葉を繰り返す。
「そもそも、世界を救うって具体的に何をすればいいんですか?」
「……勇者よ、世界を救うのです」
全く同じ文句の反芻に、今まで溜まっていた鬱憤が弾けた。
「こっちはいきなり連れてこられて困ってるんですよ。それなのに、まともな説明も無いって――」
カッとなった勢いのままに女神を問い詰めようとしたとき、目の前で光が弾けた。
「……っ!?」
気が付いたとき、そこは元の教会で。
「今、何か聞こえてた?」
「ううん、何も」
突然問いかけられたナルクは、きょとんとした顔をしていた。
恐らく、今の言葉は俺にしか聞こえていなかったのだろう。
「そっか」
世界を救えと言われても、何をすれば良いのか分からない。
そもそも、世界を救ったとされる基準はどこなのか。この王国を魔物から守ることなのか、世界の魔物を全滅させることなのか、あるいはもっと別の――
考えてみても、あれだけの情報では推測の仕様が無い。
途方に暮れる俺へ向け、物言わぬ石像が優し気な笑みを浮かべていた。