第三十六話 繋がる心
帝都郊外の一角に、真新しい住宅が並ぶ一角がある。
家々は高さや壁の色に至るまで全てが同じ形をしており、一面同じ家が続く光景はまるで騙し絵のような奇妙なものだった。
怪物の被害から立ち直るのが最優先であり、凝った建築物などとても建てていられないのだろう。
帝国の無骨過ぎる建築様式も、こういう時には役に立つ。
そんな住宅街の一角に、新体制で働き始めたセーリットの家もある。
一人暮らしにしては広いセーリット宅は、まだ新築だとは到底思えない散らかりようだった。
今までの経験から分かっていたけど、セーリットは本当に片付けが苦手なんだな。
本やさまざまな生活雑貨が溢れたリビングの床に直接腰掛け、、
部屋の奥では、ミトンを着けたセーリットが白い湯気を噴き出すポットを持ち上げていた。
まだ二日しか経っていないのに、公園での話は随分前にあったように思える。
あれからシェイルは、あっという間に話を進めてしまった。
どうやったのか、次の日には諸々の根回しを終わらせてしまっているという手際の良さだ。
まあ、帝国の状況は浮かれた事を言っている場合ではなく、今すぐに婚姻どうこうという話ではないのだが。
大変だったのは、ナルク達に結婚の件を伝えることだった
今までのあれやこれやで気持ちを何となく知っているとはいえ、ここで断られでもしたら赤っ恥どころではない。
かなり緊張しながら、まずは自室にいたナルクに結婚の件を告げる。
真剣な顔で微動だにせずにこちらの話を聞き終えたナルクから。
「ほたてが、いいのなら……」
と顔を赤らめて反応され、こっちまで照れてしまった。
ナルクはそれでよかったのだが、ユイカは違った。
自分の顔を指差しながら話に割り込んできて。
「オレもオレも!」
って、いくらなんでも軽すぎないか……?
「ほたてのことはオレも好きだからな!」
なんて屈託のない笑顔を見せられたら、何も言い返せなくなっちゃったけど。
昨日までの時点では、これで一先ず安心だと思っていた。
けれど今日になって、驚くべき事実をシェイルから聞かされた。
いつの間に話を通したのか、セーリットも結婚する一人に入っていたのだ。
セーリットが俺のことをそういう風に思っているなんて、全く気付かなかったぞ。
こっちも嫌いじゃないのは確かなんだけど、直接会わずに結婚を決めるなんていくらなんでも不味い。
そんな訳でセーリットの部屋を訪れたのが、丁度三十分ほど前。
時刻は夕刻、丁度仕事が終わり帰宅していたセーリットは、快く家の中へ迎えてくれた。
話を一通り聞き終えたセーリットは、一息付くために飲み物を取りに行っていた。
「く、口に合うかわか、分からないけど」
戻って来たセーリットは床の上に二つのカップを置き、慣れた手つきで暖かい飲み物を注いでいく。
サイロンという名の飲み物は、どことなく紅茶のような味がした。
「ありがとうございます」
「た、大変だっ、た、たで、でしょう?」
サイロンを一気に飲み干したセーリットは、気遣わしげな視線を向けた。
付き合いの長さからなのか、シェイルが強引に話を進めたと理解しているようだ。
「いえ、こっちがはっきりしてなかったのが悪いんですから」
冷静に考えれば、互いに好きあっている同士が一緒になるのは自然だ。
「でも……」
頭に浮かんだ迷いから、思わず口ごもってしまう。
問題は、俺にそういう機敏が全く分からないことだ。
思い返せば、今までの人生で誰かを好きになった経験が無い。
勿論美人は好きだし、アイドルかなんかをテレビで見て可愛いと思った事もある。
けれど、いわゆる小説や映画で描かれるような、自分の全てを捧げる程の熱い思いなんて全く見当もつかない。
他人に対する執着が薄いのか、単に相性のいい女性が現れていなかったのか。
とにかく、誰に対しても恋愛感情を抱いたことがなかった。
周りの友人が惚れた腫れたの話をしていても、曖昧に頷くことしか出来なかったことを覚えている。
それが原因かは分からないが、今ナルク達に対して抱いている感情が、恋愛のそれに当たるのか未だにはっきりしない。
勿論、ナルク達の事はみんな好きだ。
顔や体型は言うに及ばず、ナルクの儚さは守ってあげたくなるし、カトラの底抜けの明るさには何度か救われた。
全く折れることのないシェイルの高貴ささに憧れを持ったり、セーリットの健気さと優しさに感銘を受けたりもした。
カトラの雄大過ぎる程の豪放さには、多少呆れの混じった羨望を抱いている。
今まで触れ合った皆の心に、俺はいつの間にか惹かれていたのだ。
でも、普通こういう感情っていうのは誰か一人だけに抱くものじゃないのだろうか。
ナルクにユイカ、シェイルにセーリット、カトラを含めて五人。
五人もの女性を好きだなんて、とんだ浮気者だ。
いくらこの世界が重婚可能だからって、五人は多いよなぁ……
それに、相手がどう思ってくれているのかについても不安だ。
正直に言えば、他人に好かれる自身が無いのだ。
自分がそんなに立派な人間だなんて、とても思えない。
俺は、彼女達の期待に応えられるのだろうか。
「わ、わたしは、う、うれしいわ」
慣れていないのかどことなくぎこちない笑顔からは、嬉びの感情が滲み出ていた。
「本当に良いんですか、俺で?」
そんなセーリットを見て、不意に問いが出る。
こんなこと聞くもんじゃないと思っていても、どうしても聞きたかったのだ。
「貴方が、ううん、あ、貴方じゃ、じゃないと駄目なの。た、多分、他の、の皆も一緒」
「皆も?」
本当にそこまでの感情を持ってくれているのだろうか。
「ま、真っ直ぐで、優しくて、つ、強くて。そんな人、ほ、他にいないから」
いつかシェイルが放った言葉が、不意に脳裏をよぎる。
あのときは、シェイルの称賛を素直に受け取れなかったっけ。
「でも、五人も好きって言えるような奴を……」
「そ、そんなこと、き、気にしないわ。ほ、ほたてさんは、は誰かを贔屓するようなひ、人じゃないもの」
不安を抱いたままのこちらとは対照的に、セーリットははっきりと言い切って見せた。
ここまで言ってもらえるなんて、本当に幸せものだ。
「……本当は、わ、私一人だ、だけを好きって、て言ってく、くれたら嬉しい、いんだけど」
小声で付け足された言葉は、すっかり感動してしまった俺の耳には届いていなかったけど。
「ありがとう、セーリット」
セーリットの言葉を受けて、心中の靄がはっきりと晴れていくのを感じる。
「う、ううん、こちらこそ、ありがとう」
「えっ」
予想外の返答に、思わず聞き返す。
「こ、こんな私を、お、お嫁さ、さんにし、してくれて」
「……セーリット」
少し照れくさそうに頭を下げたセーリットを前に、胸の奥に暖かいものが沸き起こる。
セーリットのお蔭で、大分不安は解消された。
けれど、最も大きな問題はまだ棚上げにしたままだ。
もしこのゲームをクリアしたとき、俺はどうなるのか。
「ふ、ふつつかも、ものですが、よろし、しくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
ゆくりと顔を挙げたセーリットの頬は、林檎のように赤く染まっていた。
この世界を離れるのなら、彼女達を置き去りにしていくことになる。
帰りたい気持ちは、まだ心中に大きな楔を打ち込んだままだ。
けれど、ここまで自分を想ってくれる人達を置いていけるのだろうか。
もし決断を迫られたら、俺は――
ぬるくなったサイロンを飲み干し、空のカップを床に置く。
窓の外を見れば、沈みかけた真っ赤な夕日を、薄らと黒い雲が覆っていた。




