第三十五話 逃れられぬ結末
研究所地下で紫の怪物を倒してから、数週間程の時が流れた。
帝国軍と革命軍の戦いはなし崩し的に終結し、シェイル女王による新しい国造りが始まっている。
シェイルの手腕によって国内の混乱は最小限で済み、帝国はかつての平穏を取り戻していた。
そんな中、特に怪物達による被害が大きかった帝都はまだまだ復興の真っ最中。
ナルクは炊き出しや避難所の清掃、ガルやユイカは体力を活かして瓦礫を運んだりなど、自分に出来る手段で手伝いをしていた。
元々人間の為に働くと考えが無いカトラ以外が精力的に働いている中、俺はというと。
「暇だ……」
薄曇りの昼下がり、一人ベンチに座って項垂れる。
自然を残そうと設立されたここは、無機物に囲まれた帝都の中で、唯一自然の息吹を感じられる場所だ。
街外れに位置するここは怪物による被害も少なく、多少の整備で元の環境を取り戻していた。
ふと上を見上げると、赤く染まり始めた紅葉が見事なグラデーションを造り出している。
俺は今、たった一人で暇を持て余していた。
ガル達のように力仕事をしようと思ったのだが、力の加減が上手く行かず、結果的に瓦礫を増やすだけで終わっていた。
レベルが70を超えてきた頃から、普通の人間と力の乖離が更に増している。
水を出そうとして蛇口を壊してしまったり、何気なく手を着いた壁が粉々になったり……
意識していればどうにか大丈夫なのだが、これでは危なっかしくて皆の手伝いが出来ない。
戦って貢献しようにも、最近は魔物の動きも随分落ち着いているし、教国も神殿の事件からは自国に引き籠っている。
わざとレベルを下げるのも、これから訪れるであろう戦いを考えると良い選択ではない。
かといって、このままでは迂闊に皆と触れ合ったりも出来ないしな……
「ほたてさん」
と、誰かに呼び掛けられ、姿勢を正して振り返る。
そこにいた人物を見て、思わず声が出ていた。
「シェイル……!?」
いつものドレス姿とは違い、ナルクが普段纏っているのと左程変わらない素朴な洋服を纏っている。
それでも、陽光に反射しできらきらと輝く艶やかな金髪からは、隠しきれない高貴な気品が漂っていた。
「大丈夫なんですか、こんなところにいて」
「今日私に課せられた業務は全て完了させましたから。それに、たまには息抜きも必要でしょう?」
軽やかに笑いながら、少しだけ首を傾げて見せるシェイル。
まるでアイドルのような可憐な動作に、少しだけ動機が早まる。
服装を見れば分かるけど、どうもお忍びで抜け出してきたようで、周りに人の姿は無い。
いくら平和になったとはいえ、お姫様が護衛の一人も連れず……
って、これ以上言っても無駄か。
「それにしても、随分お久しぶりになってしまいました」
おもむろに隣へ座ったシェイルから、甘い花のような匂いが漂う。
確かにそう言われると、こうしてシェイルと話をするのは数週間ぶりだな。
怪物を倒した後、ゆっくり二人で会う時間も無かったし。
「まあ、色々忙しかったですからね」
多少落ち着いたとはいえ、まだまだ帝国内は予断を許さない状況だ。
新しい行政組織の立ち上げや、他国との外交に、怪物によって発生した被害からの復興など、これからの課題は山積み。
その全てを取りまとめる立場に着いたシェイルの双肩には、想像を絶した責任と重圧がのしかかかっていた。
シェイルは皆の期待に応え、休む暇も無く奔走していた。
当然、今日も公務に勤しんでいるものとばかり思っていたのだが。
「あの、ほたてさん」
「はい?」
シェイルは不意に深刻な口調で問いかけると、一気に距離を詰めてきた。
「シェ、シェイル!?」
白磁の陶器のような白い肌が、触れてしまいそうな距離まで近づく。
同時に肘へ柔らかい感触が当たり、緊張が瞬時に高まる。
「少し、甘えてもいいですか?」
「え、えええ……!?」
こちらの困惑にも構わず。シェイルは容赦なく体を預けてきた。
肩にシェイルの頭が乗せられ、直接体温が伝わってくる。
吐き出される柔らかい吐息の音までが耳に届き、互いの心臓の鼓動までも聞こえそうだと錯覚してしまう。
「ほたてさん、貴方には本当にお世話になりました」
「い、いや、別に」
混乱で脳内がぐるぐると回転し、何が何だか分からない。
シェイルが大胆なのは知っていたが、ここまで直接的な行動に出てくるとは。
無理やり押しのけようにも、今の状態ではシェイルに怪我をさせかねないし……
「この前のお話、覚えていらっしゃいますか?」
「あ、ああ」
結婚の話、まだ諦めていなかったのか。
ここまで自分を欲してくれるのは嬉しいが、まだこっちは心の準備が出来ていない。
「私には、貴方が必要なのです」
しっとりとした声を耳に届かせて、更に体をしだれかからせるシェイル。
脳内の混乱は最大に達し、最早指一本すらまともに動かせない。
ある意味で絶体絶命の窮地に陥り、こうなれば『けいさん』を発動しようかと思いかけた、そのとき。
「はは、随分な格好だな」
俺達の上方で、誰かの軽快な笑い声が響いた。
「カトラ、何でここに」
そこにいたのは、人間の姿になったカトラ。
木の枝に軽く腰掛け、にやにやと笑いながらこちらを見つめている。
「何、お前が暇を持て余していないかと思って探していたのだが…… お邪魔だったようだな」
そう告げて地面に降りたカトラは、背を向けて立ち去ろうとする。
「ちょっと待て、何処へ行くつもりだ」
「決まっているだろう、童女達の所よ」
くつくつと笑いながら、カトラはいかにも面白そうに瞳を細める。
童女とは、カトラがナルクを呼ぶ言葉だ。
「ナルクやユイカに伝えるつもりか!?」
シェイルに結婚の話を持ち掛けられたこと、ナルク達には今まで黙っていた
もし知られれば、ただでさえ面倒な状況が更に混沌と化してしまうだろうから。
「全く、力の割に器が小さい事だ」
「そんな言い方」
カトラの罵倒に、シェイルが憮然とした顔で言い返す。
「どうせなら、全員娶れば良いではないか」
「ええっ!?」
他人事だと思って、またとんでもないことを言い出したな。
一人だけでもどうすればいいか分からないのに、全員相手にしろだなんて。
シェイルも呆れてしまったようで、言い返さずに黙ってしまった。
「……なるほど」
「はい?」
どうやら、黙っていたのは別の理由だったようだ。
「古来より、英雄色を好むと言われていますからね」
「いやいやいやいや、何納得してるんですか!?」
不味い、話の方向がおかしな方向に向かっている。
シェイルまで乗ってしまったら、ストッパー役がいなくなってしまうではないか。
ここは多少強引な手段を使ったとしても、話の矛先を変えなければ。
「そ、それって、カトラも含まれてるのか?」
「何?」
流石のカトラも、ここで自分に話題が向くとは予想していなかっただろう。
これでカトラが怒ってくれれば、少なくとも結婚云々の話は何処かへ行ってくれる。
「はっ、そういうことか」
「えっ?」
「我のような偉大な龍であれば、お前の心を捉えてしまうのも仕方ないな」
カトラは豊かな胸を反らし、誇らしげに何度も頷いている。
「随分長く生きてきたが、誰かと夫婦になるのは初めてだ。これもまた一興、だな」
下手な小細工が、最悪の結果を呼んでしまったらしい。
「よろしく頼むぞ、ほたて」
「お願いしますね、ほたてさん」
二人にそれぞれ腕を組まれ、左右から腕を押し付けられる。
こうなってしまえば、最早逃げることは出来ない。
「あ、はい……」
最後に出た言葉は、大きな諦めと、少しの安堵が混じったものだった。