第三十一話 決意
「け、結婚って、何で!?」
結婚と言う二文字が持つ衝撃は凄まじく、敬語も何処かへ吹っ飛んでしまう。
こちらの動揺とは対照的に、シェイルは落ち着き払った様子で再び口を開く。
「この戦いが終わった後の事を、考えたことがありますか?」
またいきなり話が飛んだな……
話題の飛躍に振り回されながらも、どうにか言葉を紡いでいく。
「今の帝国が滅んで、シェイルさんが新しい国を作る」
それがカイオス帝国なのか別の名前なのかは分からないが、ともかく今までとは大きく違った国が出来上がるだろう。
「ええ、大まかにはその通りです」
そこでふっ、と軽く笑ったシェイルは、逡巡するように少し沈黙し、表情を暗くする。
「新しい国を築いていく道は、恐らく容易ならざるものでしょう」
今までの仕組みを大幅に変えるという事は、それだけ大きな抵抗を生む。
暴政を敷いていた前体制を倒しても、全てがめでたしめでたしで終わる訳ではないのだ。
むしろ、そこからが本当に大変かもしれない。
「私一人では困難な道のりであっても、二人ならばその限りではありません。共に歩む者がいれば、容易ならざる道に一筋の光明が差すでしょう」
一旦言葉を切ったシェイルは、真っ直ぐにこちらを見つめると。
「今までの貴方を見て、私は確信したのです。貴方こそが、共に進むに相応しい人物だと」
凛々しい澄んだ声で、一思いに言い切ってみせた。
「俺は、そんな大したもんじゃ……」
戦う事は得意だが、それ以外はまるで自信が無い。
シェイルのように政治なんて出来ないし、セーリットのように作戦を立てられる訳でもない。
こんな奴が、王女の相手として相応しいのだろうか。
「いえ、そんなことはありません。私は昔から、王宮を訪れる様々な人物を見てきました。しかし、貴方に勝る者を見たことはありませんでした。単に能力が高ければ良い訳ではない。私が貴方を求めるのは、貴方の心が得難いものだから」
瞳を逸らさずに告げられたシェイルの言葉に、偽りは一つも交じっていなかった。
今までの人生で一番のべた褒めを受け、嬉しいやら恥ずかしいやらで気持ちが落ち着かない。
けれど、こっちには正直全く実感が無かった。
別に俺程度の精神構造の持ち主なんて、それこそ十把一絡げに転がっている筈なんだけどな。
「私を嫌悪しているのなら、それでも構いません。古今東西、王が側室を持つことは珍しくありませんから」
「いや、貴女の事は嫌いじゃありません。その……むしろ、貴方のことを好ましく思っています。皆の先頭に立ってたくさんの人を導いている貴女に、一人の人間として好意を抱いてるんです」
不思議なことに、照れるでもなく言葉がスラスラと出でいた。
追い詰められて変なスイッチが入ったのか、単に自棄になっただけか。
けれど、この言葉は紛れも無い本心だ。
常に毅然とした態度で、王女としての責務を果たそうとしているシェイル。
そんなシェイルに、俺は憧憬にも似た思いを抱いていた。
……それが恋愛感情なのかどうかについては、まだ良く分からないけど。
「……っ」
流石のシェイルもこれには驚いたようで、目を見開いて暫し表情を固まらせていた。
シェイルは一つ咳払いをして態勢を整え直してから、再び口を開いた。
「なら、どうしてですか?」
「結婚なんてまだ考えたことも無かったし、そういうのはお互いをもっと良く知ってからじゃないとだし……それに」
用は、あまりに急な話で戸惑っているのだ。
この前のナルクのこともあるし、恋だの愛だのに興味の無かったこっちには話が重すぎる。
まだ一人前に他人と付き合ったことも無いのに、いきなり結婚だなんて。
「それに?」
それに、俺はここにずっといられる訳ではない。
いずれ俺は、この世界から去るのだ。
例えここでシェイルと結ばれたとしても、ゲームをクリアすれば元の世界に戻されるかもしれない。
ここまで頑張ってきたのは、そもそもあっちの世界に帰る為だし。
けれど、それをシェイルに言える筈も無く、ただ口を結んで黙り込むしか出来なかった。
「分かりました、どうやら急な話で驚かせてしまったようですね」
こちらの沈黙をどう受け取ったのか、シェイルは一つ溜息を付くと、
「今日はここで引くとしましょう。ただ、私は諦めた訳ではありませんから」
相変わらずの毅然とした態度で、高らかに宣言したのだった。
※
燭台のぼんやりとした明かりに照らされる城内の廊下を、一人とぼとぼと歩く。
「どうしよう……」
先程受けた衝撃は、簡単に消化出来るものではない。
シェイルから離れた後も、頭の中には彼女の言葉と表情がぐるぐると渦を巻いていた。
「きゃっ」
と、考え事をしながら歩いていたのが悪かったのか、曲がり角で誰かにぶつかってしまった。
「うわっ!? ご、ごめんなさい」
慌てて謝罪を告げ、突き飛ばしてしまった人物の方を向く。
「わ、私は、大丈夫」
通路に座り込んでいたのは、黒いローブを纏ったセーリットだった。
彼女の全身はいつものようにローブに覆われており、声を聴かなければそれがセーリットだとは分からないだろう。
「私か、影が、薄いから」
セーリットは差し出された手を取って立ち上がると、自嘲気味に笑う。
屋外だろうと室内だろうと常にローブを纏っているセーリットは、ある意味存在感抜群だと言えるような……
「ど、どうかしたの? ほた、て」
「いや、ちょっとですね……」
そのとき、頭の上で電球が点った。
いつか聞いたけど、セーリットとシェイルは昔馴染みって言ってたっけ。
「セーリット、頼みがあるんだ」
無防備に投げ出されていた両手を握り、真剣な口調でセーリットに近付く。
「は、はい……!?」
いきなり迫られたセーリットは、長く伸びた髪の間から覗く目を白黒させていた。
※
薄暗いセーリットの自室は、乱雑という言葉を形にしたような有様だった。
床には隙間なく本や紙が散らばっていて、足の踏み場もない。
中央に置かれた机の上で灯る一本の蝋燭が、頼りない明かりを放っていた。
「随分散らかってますね……」
前に訪れた山頂の家もそうだったが、整理整頓という言葉は彼女の頭には入っていないらしい。
「適当に、座っ、てて」
「はぁ……」
セーリットの言葉通り、足元に散らばっていた本を適当に掻き分け、剥き出しになった絨毯の上に腰掛ける。
向かいに座るセーリットは、積まれた本の上で体育座りをしていた。
……あんな場所に座って、腰が痛くならないのだろうか。
こちらが先程の出来事を話している間、セーリットは慌てることも無くただ話に聞き入っていた。
「し、シェイルが、そんな事を」
「ええ……それで、どうしていいか分からなくなってしまって」
嘘を付いても仕様が無いので、正直に自分の気持ちも伝える。
シェイルに好意を持っているのは確かだが、流石にいきなり結婚はどうかという戸惑いと。
随分都合のいい話だが、これが原因でシェイルと妙にこじれたくないという願望を。
「シェイル、ら、らしいわね」
話を聞き終えたセーリットは、驚くでもなく自分で注いだコーヒーを飲んで一息着いている。
「驚かないんですか?」
「あの子なら、そ、それくらいやるも、の」
セーリットは逡巡するように少し視線を宙に彷徨わせてから、ゆっくりと口を開いた。
「あの、子は、とってもま、真面目な子なの。自ぶ、分に与えられた役わ、割を、全力で、やり通そうと、しているの」
「どうして、そこまで……」
自分と大して歳の変わらないシェイルが、何故ああも頑なに自分の信念を貫きとおせるのだろう。
そこに至る過程には、一体何があったのだろうか。
「ごめんなさい、私か、からは話せ、な、ないわ。で、でも」
カップを机の上に置き、セーリットがこちらに歩み寄る。
女性特有の甘い香りがふわっと漂い、少しだけ鼓動が早まる。
「あの子は、自分の為に、自分の利益の為に行動している訳じゃない。それは、信じて欲しいの」
澄んだ瞳をはっきりと見開き、セーリットは真っ直ぐに言葉を告げる。
「だから、お願い。出来る範囲で良いから、あの子を助けてあげて」
それは、普段のセーリットからは考えられない程はっきりとした口調で。
聞いていたこちらの心の中に、すっと自然に入り込んできた。
ここまで言われて、黙っているのは性に合わない。
「正直さっきまでは、彼女を完全に信じ切れていませんでした。でも、貴方の言葉で、覚悟が決まりました」
何を考えているか良く分からないし、美人だけどどこか近寄り難い雰囲気のある彼女に対して、心のどこかで苦手意識を持っていた。
「ほたて、さん」
けれど、一人の人にここまでの想いを向けられる人物が、悪い人間である筈がない。
少なくとも、今ここにいるセーリットの言葉は信じられる……よな。
「全力で彼女の……彼女と貴女達の助けになります。自分の、出来る限りの力を尽くして」
ゲームクリアという終わりがいつ来るのか、それは分からない。
けれどそれまでは、俺の全力を彼女達の為に使ってみよう。
必要としてくれる人の気持ちに応えることは、間違っていない筈だから。
「それが結婚ってなると、話は別ですけどね」
こちらの冗談めかした言葉に、セーリットも微笑みを返す。
身体中に纏わり付いていた靄が、一気に晴れた気分になる。
新たな決意が、心の内で確かに生まれていた。