第三十話 帝国の血
革命軍と帝国軍が再び戦端を開いてから数日後。
両軍がぶつかり合っている筈の戦場には、異様な光景が広がっていた。
帝国の誇る魔導兵器群は既に破壊され、大地に無残な残骸を晒している。
見渡す限り広がる惨状の中心で、一体の黒い怪物が悠々とその姿を誇示していた。
人間を軽く超すその大きさは歩行要塞にも匹敵し、見る者に原始的な恐怖を呼び起こさせる。
逃げ惑う兵士達に、怪物は容赦なく黒い炎を吐き出す。
大地を舐めるように広がっていく黒い絨毯が、視界の全てを焼き尽くしていく。
そこにいた百人近くの兵士は、全てがあっけなく命を落としていた。
「私は、夢を見ているのか……」
戦況を眺めていた帝国軍の指揮官の口から、絶望的な声が洩れる。
国内に侵入していた教国軍の撤退を確認し、帝国軍は革命軍への侵攻を再び開始した。
戦端を開く前では、数週間も経たずに革命軍を制圧出来ると想定されていた。
数で多少優っていたとしても、新たに開発された魔導兵器をもってすれば問題ではないと。
その想定は、突如現れた黒い巨獣によってあっけなく打ち砕かれた。
見境なく全てを破壊する魔物とは違い、怪物は明らかに革命軍に加担している。
的確に帝国軍のみを狙い、その圧倒的な力を振るっている。
怪物の前では、帝国が威信を賭けて開発した新型魔導兵器がまるで玩具のようだ。
体を覆う堅牢な鱗は放たれた魔導弾を全て防ぎ、鋭い両腕の爪は鉄の装甲を容易く貫く。
何より恐ろしいのは、口から吐き出される黒い炎。
漆黒の獄炎は、包んだ全てを一瞬で灰燼に変える。
何重にも守られた歩行要塞の装甲であろうと、その炎から逃れることは出来ない。
突如現れた黒き脅威に対し、帝国軍は何の手立ても無く蹂躙されていた。
幸運だったのは、相手が一体だけだったという事だろうか。
一つの戦線が怪物に襲撃されたとしても、別の戦線では通常通りの戦闘が可能だった。
それでも、帝国軍が受けた損害は看過しがたいものがある。
いつ怪物に襲われるか分からない状況では、まともに進軍することすら困難だ。
帝国軍の支配地域は国土の半分近くにまで減退し、形勢は明らかに革命軍へ傾きかけていた。
それと同時に、帝国軍内では妙な噂が流れ始めていた。
革命軍のある兵士が、たった一人で帝国軍の要塞を陥落させたと。
怪物相手ならともかく、普通の人間がたった一人で何百人を超す帝国兵と渡り合える筈がない。
この噂は、帝国軍の混乱を象徴する只の出鱈目として消えていくことになる。
そんな状況の中、帝国皇帝であるデスタム・カイオスは、帝都に殆ど姿を見せていなかった。
カイオス帝国の全権を預かる立場ながら、彼の興味は軍事とは別の方向にあったのだ。
帝国軍の指揮を部下に任せ、彼は毎日のようにある場所を訪れていた。
そこは――
※
帝国北東部にあるランシュモア山地下に構築された、国立第一先史文明研究所。
現在更盛を誇っている帝国軍の魔導研究は、この研究所から始まったと言っても良いだろう。
今を遡る事十数年前、地殻変動によって造られた天然の地底湖を埋め立てて建設された。
広大な敷地内には、数百を超す所員の宿舎やその生活を支える商店なども存在しており、最早一つの街と呼んでも良いほどの規模を持っている。
地上から遥か地下にある研究所より更に下へ潜った場所に、研究所内でも一部の人間しか入ることを許されない区画が存在している。
厳重に秘匿されたこの場所は、現在新たに発掘が進められている地域だった。
崩落を防止するための骨組みが何重にも築かれた通路の奥に、周囲の土とは明らかに違う構造物があった。
かつてこの研究所で実用化された歩行要塞より、一回りも二回りも大きいと予測されるそれは、未だ半分以上が土に埋まり、上半身のみを覗かせている状態だった。
鋭角に尖った鮫のような頭部と、同様に刺々しい二本の腕を備えるその遺物は、どこか人の姿を思わせる形状をしている。
濃紫色のそれは、通路を照らすカンテラの光を反射してぎらぎらと輝いている。
「素晴らしい……」
物言わぬそれを、デスタム・カイオスは恍惚とした表情で見つめていた。
まだ四十代にもなろうかという年齢のデスタムだが、白鬚を生やし、右手で杖を付いたその姿は、年齢よりも大分老けて見える。
帝国が遺跡の発掘に力を入れ始めたのは、彼が皇帝の座に着いてから。
この研究所も、デスタムによる鶴の一声で建設が決まったのだ。
結果としてそれは成功し、帝国は他国を圧倒する技術力を得ることになる。
余りに急速な発展で歪んでいく帝国を前にしても、デスタムは遺跡の研究を止めることは無かった。
その情熱は、単に技術の発展を望む以上の執念を感じさせるものだった。
「これの実用化は、いつになるのだ?」
「二週間ほど頂ければ……」
急に問い掛けられた研究員の一人が、怯えたように答える。
「遅い、遅すぎる! 一週間でどうにかしろ」
その言葉に、皇帝は突如怒りを露わにした。
「は、はっ!」
皇帝の怒気を直に受け、研究員は慌てて奥へ下がっていく。
不機嫌そうにその後姿を一瞥したデスタムは、再び遺物に向き直る。
「これが、これさえあれば……」
虚ろな目で遺物を見つめ、誰に聞かせるでもないうわ言を呟くデスタム。
その心の内にあるものとは、果たして。
※
ある夜、月が丁度空の真ん中に登った頃に、突然シェイルの自室に呼ばれた。
城内でも最も高い場所にあるシェイルの部屋は、無骨な城内には似合わない絢爛な調度品に彩られている。
室内にいるのはシェイル一人で、普段険しく目を光らせている護衛のアルバートの姿も無かった。
様々な彫刻の刻まれた白い椅子に座るシェイルは、相変わらず豪華な白いドレスに身を包んでいる。
「どうしたんですか、急に」
「まずはお疲れ様でした、革命軍を代表して感謝致します」
普段と変わらぬ毅然とした表情で、シェイルはゆっくりと頭を下げた。
「別に、あれくらい大したことじゃないですよ」
シェイルが言っているのは、今日帝国軍の要塞を陥落させてきたことだろう。
名前は覚えてないが、堅牢さでは帝国内でも一二を争う大要塞だったらしい。
革命軍も暫くの間攻めあぐねており、そこで俺にお鉢が回って来たという訳だ。
結論から言えば、意外なほどあっけなく攻略できた。
流石に兵士の数は多かったし、魔導兵器も相当数が配備されていた。
しかしそれも、大した障害にはならなかった。
蹴散らされた帝国兵には悪いが、実力が違いすぎるのだ。
帝国内にまだ残っていた魔物を相手に戦闘を重ね、レベルは更に上がっていた。
今のレベルは62、対して帝国兵の強さは恐らくレベル20程度。
魔導兵器を用いたとしても、恐らくレベル30前後の戦力だろう。
そんな相手を前にしては、負ける方が難しい。
「カトラさんにも、随分お世話になっていますね」
「まあ、あれは本人が楽しんでいるだけですから」
今の所、カトラは上機嫌で革命軍に手を貸している。
あの性格だから、他者から畏怖や尊敬の念を向けられるのが堪らなく心地いいのだろう。
カトラはその圧倒的な力を、何の躊躇いも無く振っている。
彼女からすれば、人間の命など気に止める程のものでもないのだろう。
「今日あなたをここに呼んだのは、他でもありません」
シェイルの纏っている雰囲気が、一気に深刻なものへと変わる。
暫しの沈黙を挟んで告げられた言葉は、全く予想外のもので。
「私、シェイル・カイオスは、貴方に婚姻を申し込みます」
「へっ……!?」
こちらはそれを前に、素っ頓狂な声を出すことしか出来なかった。