第二十七話 帰還
「遂に、女神が降臨するのだ!」
女神降臨の時を迎え、神官達の熱狂は最高潮に達しようとしていた。
屋上の出来事は神殿の内外にいる信者にも伝わったようで、至る所で歓声が上がっていた。
歓喜と狂乱の渦が、神殿の全てを包む。
「ほたて、ほたては!?」
その中では、光の中へ消えていったほたてを案ずるユイカの声や。
「いや、違う」
カトラの冷静な呟きも、あっけなく掻き消されていく。
光が収まり、呼び出されたものが神官達の眼前にその姿を現す。
まず目に付いたのは、その巨体。
一軒家を軽く超える大きがある体には、それぞれ鋭い爪の生えた八本の腕。
体色は淀んだ橙一色で、大きな三白眼が目立つ凶相を持ち、口からは二本の牙が突き出していた。
更に、胴体中央には上のものより一回り大きな顔が付いている。
四対の薄い羽が生えた背中からは、何本もの触手がおぞましくうねっていた。
禍々しい姿は、神と言うより魑魅魍魎と呼ばれるに相応しいだろう。
「な、何だあれは!?」
「あんなものが、我らの信ずる女神だと!」
余りに想像とかけ離れた姿を見て、神官達の間に動揺が広がる。
それは他の信者達も同じだったようで、ざわめきと悲鳴が神殿内から響いていた。
魔物は鬱陶し気に騒ぐ神官たちを一瞥すると、背中から生やした触手を一閃した。
空中で閃光が奔り、十数人いた神官達の殆どは、一瞬で首を落とされていた。
「う、うわぁぁぁ!」
運良く生き残った神官の一人が、情けない声で腰を抜かして叫ぶ。
纏っていた法衣を脱ぎ捨てて逃げ出したその姿に、先程までの神聖さは欠片も残っていなかった。
魔物の視線が、魔方陣の中央に立っていたナルクへ向けられる。
ナルクは、未だ呆けたように立ち尽くしていた。
その小さな体へ向け魔物は両手を翳し、容赦なく巨大な火球を放った。
「ナルク!」
咄嗟に体を動かしたユイカが、ナルクを庇うように倒れ込む。
二人の頭上を越えて飛来した火球が、床に当たって弾け飛んだ。
「くそっ!」
ナルクへ覆い被さったままの無防備な背に向け、魔物が宙を飛翔して近づく。
二人の命を纏めて奪わんと、両手の凶悪な爪が振われかけた、そのとき。
屋上全体に、魔物の悲痛な咆哮が響いた。
鼓膜を劈く絶叫と共に、魔物の両肩から噴水の如く緑色の血が流れ出す。
「な、何だ?」
呆然とするユイカの目の前で、切り落とされた魔物の両腕が、まだ命を持っているかのようにのたうち回っていた。
魔物の腕が、その付け根から寸断されていたのだ。
空中で態勢を立て直した魔物が、自身の攻撃を阻んだ原因を睨み付ける。
「まったく、随分と勿体ぶった登場だな」
「……これでも、全速力で駆け付けたんだけど」
くつくと笑うカトラの言葉に、苦笑しながら答えた者。
「ほたて」
二人を庇うように立つ青年を見て、ナルクが思わず言葉を漏らす。
それは光の中へ消えた筈の、ほたての姿だった。
※
塔の外に転がっていた木刀を拾い、あの長い階段を再び登った。
この時代に返してくれたのは嬉しいが、もっと場所を選んでほしかったな。
転がっている死体を見て、何があったのかを大体察する。
様子を伺うように空中で漂っている魔物の両腕が、植物の蔓が伸びていくように再生していく。
その姿を見て、いつか地下の遺跡で遭遇した魔物と似通ったものを感じる。
例えるなら、地下遺跡の魔物が一段階進化したような。
あれがロボットアニメの前期主人公機なら、こっちは後期主人公機という感じか。
こちらを明らかな脅威として認識したのだろう、魔物は一度大きく咆哮すると。
僅かな溜めの後に、凄まじい勢いで突進してきた。
岩のような巨体を活かした突撃は、まともに喰らえば全身が砕け、掠るだけでも大きなダメージとなるだろう。
しかし、それがこちらを捉えることは無い。
後方へ交錯した魔物の体が、木刀の一閃で真っ二つに切り裂かれる。
二つに分かれた胴体から鮮血を撒き散らして、魔物の体は床に落下していた。
普通の相手なら、これで倒せていただろう。
だが……
「来るぞ!」
カトラの警告を受け、もう一度木刀を構え直す。
グロテスクな切断面から触手が何十本も伸び、それらが空中で絡み合っていく。
まるで編み物を作るように、魔物の体は数秒で再び一つに合わさっていた。
再び完全な姿を取り戻した魔物は、激高したかのように全方位へ光弾を乱射した。
豪雨のような攻撃の中では、ナルクやユイカを庇うので精一杯だ。
と、足元からぎしぎしという嫌な音が聞こえ始めた。
「崩れる!?」
石を敷き詰めた足場には幾つものヒビが入り、ぐらぐらと揺らいでいた。
何度も魔物の攻撃を受けた屋上の床は、既に限界を迎えていたのだ。
「カトラ、頼む!」
「承知した」
黒龍へ姿を変えたカトラへ飛び乗り、ユイカとナルクをその背へ降ろす。
カトラの体が空中へ飛び上がった瞬間、音を立てて屋上が崩れていた。
神殿の周囲を飛行する俺達へ、魔物は容赦ない攻撃を繰り出し続ける。
触手を伸ばし、光弾を放射し、火球や雷撃を放つ。
魔物が周りの環境など考えている訳も無く、攻撃の余波で神殿が次々と損壊していく。
あの中には、まだ何人もの信者がいる筈だ。
「ユイカ達を頼む」
カトラの背から手を離し、バランスを取りつつ立ち上がる。
「分かった」
カトラは瞳を細め、ゆっくりと頷き返した。
「ちょっと待て、お前は!?」
「大丈夫、あんな奴に負けないさ」
笑顔でユイカに告げ、カトラの背中から飛び立つ。
こうすることを予測していたのだろう、カトラはわざと速度を落とし、魔物をすぐ背後に引き寄せていた。
今まで追っていた相手が突然襲い掛かって来たことで、魔物の動きが止まる。
「このまま、落ちろっ!」
魔物の胴体、大きく開かれた二つ目の口の中へ、思い切り木刀を突き刺す。
苦悶の声を上げた魔物の動きが止まり、揚力を造り出していた羽が静止する。
魔物は俺を乗せたまま、一気に地上へと急降下していった。
地響きと共に、巨体が大地に衝突する。
俺達が落下したのは、観賞用の草花が植えられた神殿の中庭。
幸運なことに信者達はいなかったようで、周囲に人影は見えなかった。
体を起こし、服に着いた埃を払っていると、体を再生させた魔物が立ち上がった。
先程胴体に突き刺した木刀の傷も、丸ごと元通りになっている。
これでは、いくら攻撃しても埒が明かない。
と、目の前の魔物の体色が、カメレオンのようにゆっくりと変化し始めた。
淀んだ橙色からぎらつく鋼色へ体色を変えた魔物は、自身の力を誇るように大きく咆哮する。
どうやらただ再生するだけでなく、時間を経るにつれて進化までしているようだ。
堅実さが形になったような魔物の体には、木刀の一撃でも容易には通らないだろう。
ふと、ステータス画面を開いてみる。
今のレベルは58、十分とは言えないが多少余裕はある。
特技欄を開き、『きおく』を発動させる。
ふっと意識を集中させ、帝国のシントゥロム山を昇る際に遭遇した、数㎝先すら見えない猛吹雪を思い返す。
数秒も経たずに、中庭全体に白い猛吹雪が吹き荒れていた。
立っているのがやっとの暴風の中を突っ切り、魔物は躊躇なく突進してきた。
体のすぐ脇を通り抜けて行った巨体は、神殿の壁に衝突してようやく止まった。
鋼色の体が半分ほど白い雪に染まったのを確認し、もう一度『きおく』を発動する。
今度思い起こしたのは、王都近辺の砂漠で体験した熱波。
周囲の景色が一瞬で変化し、降り注いでいた雪が止む。
代わりに訪れたのは、体中の水分が奪い去られてしまいそうな灼熱地獄。
空間が熱気で歪み、再び攻撃せんとしていた魔物の動きが困惑で止まる。
次の瞬間、俺は大きく踏み出し、一文字に突き出された木刀が魔物の体を真っ直ぐに貫いていた。
驚愕したように目を見開いた魔物の体が、ゆっくりと崩れていく。
魔物の体には、既にひび割れのような小さな傷が無数に生まれていたのだ。
金属等は急激に冷やされてから熱されると、温度差によって劣化する。
昔見たアニメで得た知識だったが、こんな所で役に立つとはな。
魔物の体が砂のように消えていったのを見届け、木刀を腰に納める。
「おーい!」
と、上方からユイカの元気な声が聞こえた。
空を見上げれば、ユイカとナルクを乗せたカトラが、ゆっくりとこちらに降下しているのが見えた。
大きく手を振るユイカにこちらも手を挙げて答え、安堵の息を吐く。
中庭を照らす柔らかな陽光が、傷付いた植物たちを照らしていた。